第4話:断罪の宴と、凍てつく微笑
王宮の大広間は、眩いばかりの魔導灯の光と、着飾った貴族たちの喧騒に包まれていた。
中央の円卓には、最高級の葡萄酒と山海の珍味が並び、楽団が奏でる軽快な調べが夜の空気を震わせる。
だが、その華やかな円の中心に立たされているリィネだけは、異物だった。
泥の染み付いた古い修道服。乱れた髪。そして、王子の「穢れ」を吸い込み続けたことで土色に沈んだ肌。
彼女を取り囲む貴族たちの目は、汚物を見るかのように冷ややかだった。
「見なさい、あの無様な姿を。我が国の聖女ともあろう者が、魔力を枯渇させ、あんなに薄汚れて」
「ジュリアス殿下がお慈悲で婚約を続けてくださっていたというのに、恩を仇で返すとは」
心ない囁きが、礫のようにリィネに降り注ぐ。
リィネは俯き、震える肩を抱いて耐えるふりをした。その視線の先、一段高い玉座の横には、黄金の輝きを放つジュリアス王子が、新聖女候補のミレーヌを伴って立っていた。
「静粛に」
ジュリアスが手を挙げると、広間は水を打ったように静まり返った。
彼は優雅な足取りでリィネの前まで歩み寄ると、悲劇の主人公を演じるような痛ましい表情を作った。
「リィネ。君の不甲斐なさには、正直、言葉もない。聖女としての祈りを怠り、自身の魔力を濁らせた結果、我が国の穀倉地帯には瘴気が溢れ始めている。……君が『偽物』であったことは、もはや疑いようのない事実だ」
リィネは、唇を噛み締めながら、掠れた声で応じた。
「……殿下、私は、貴方の……貴方のための、浄化を……」
「黙れ! 自分の無能を僕のせいにするのか? 醜いな、リィネ。隣にいるミレーヌ嬢を見なさい。彼女はたった一度の祈りで、僕の心をこれほどまでに晴れやかにしてくれた」
ジュリアスは、リィネの首にかかった聖女の証――精霊銀のメダルを、力任せに引きちぎった。
鋭い鎖がリィネの白い首筋に赤い筋を作り、床に転がったメダルが虚しい音を立てる。
「リィネ・ルミナリス! 君との婚約を破棄し、聖女の称号を剥奪する。貴国に仇なす不浄な存在として、今この瞬間をもって国外追放を命じる!」
王子の宣告に、広間からは拍手と喝采が沸き起こった。
リィネは床に崩れ落ち、嗚咽を漏らす演技を続けた。
だが、その内側では――彼女は、自身の魔力回路の深淵に封じ込めていた「毒(穢れ)」の栓を、慎重に緩めていた。
(……溢れなさい。私が今まで飲み込んできた、この男の醜悪なすべてを)
リィネの体から、一瞬、どす黒い霧が噴き出した。
それは彼女が死にゆく間際、魔力が暴走して消滅するかのような偽装だった。ジュリアスはその光景を見て、満足げに鼻で笑った。
「ふん、魔力の暴走か。最後まで汚らわしい女だ。……ガルハルト! 貴様に最後の大役をやる。その死にかけの女を抱え、今すぐ西の国境へ捨ててこい。野垂れ死にようが、魔物に食われようが構わん。二度と、我が国の土を踏ませるな」
控えていたガルハルトが、一歩、前に出た。
彼の琥珀色の瞳は、深淵のように暗い。彼は一言も発さず、床に伏したリィネを軽々と横抱きにした。
その腕の力強さと、鎧越しに伝わる微かな震えが、彼の怒りの深さをリィネに伝えていた。
「……御心のままに、殿下」
ガルハルトの声は冷徹だった。
彼はリィネを抱えたまま、一度も後ろを振り返ることなく大広間を去る。
その後を追うように、聖教騎士団の精鋭五十名が、一糸乱れぬ動きで退場していく。
王子は、それを「自分に対する最後の敬意」だと思い込み、嘲笑を浮かべてミレーヌの腰を抱き寄せた。
「さあ、諸君! 穢れは去った! 今夜は新しき聖女の誕生を祝おうではないか!」
沸き立つ王宮を背に、ガルハルトたちは夜の闇を疾走した。
馬の蹄が石畳を叩く音が、静まり返った王都に響き渡る。
西の城門を抜け、王都を覆う「守護の結界」の境界線へと差し掛かった。
「……リィネ様。もう、大丈夫です」
ガルハルトの低い声。
リィネはゆっくりと目を開けた。そこには、王宮での衰弱しきった「偽聖女」の姿はなかった。
結界を越えた瞬間、彼女を縛っていた見えない鎖――ジュリアスからの「強制的な逆流」が断ち切られたのだ。
「……ああ、体が、軽い。……空気が、美味しいわ」
リィネはガルハルトの腕の中で、初めて心からの笑みを浮かべた。
同時に、王都の方向から不気味な地響きが聞こえてきた。
リィネが去ったことで、彼女が王宮の土深くに埋めて「浄化中」にしていた王子の膨大な穢れが、一気に活性化を始めたのだ。
王宮の中央塔、ジュリアスが祝杯を挙げているであろう場所の石壁に、蛇のような黒い亀裂が走る。
聖女という「ゴミ箱」を捨て、蓋を閉めることすら忘れた愚かな王子の末路は、ここから始まる。
「ガルハルト。止まらないで。夜が明ける前に、私たちはさらに先へ」
「承知いたしました。……リィネ様、俺はこの時を、一生忘れません。貴女を自由にしたこの瞬間の風を」
ガルハルトは愛馬の腹を蹴り、漆黒の荒野へと加速した。
背後で崩れ始める偽りの黄金郷を、リィネは一度も見ることなく、ただ前方の暗闇を見つめていた。
そこには、彼女が自らの手で切り拓く、本当の人生が待っている。




