麻戸の抵抗 2
「ねぇー、この曲よくない!?」
一ノ瀬みきは早くも麻戸に興味をなくしていた。 携帯を見ながら興奮気味に言う。 高千穂は条件反射みたくすぐに机から降りて、観月は顔を覗かせる。
三人が小さな画面を見ると音楽が流れた。ほんの二〇秒ほどだった。
「良き! 撮ろ撮ろ!」
観月が率先して二人の手を引く。 おそらくだが、踊っているところを撮ってSNSに載せるのだろう。
再び、麻戸は安堵する。
空気のように扱ってもらえるのならプリントに集中出来るからだ。 彼女達が自分の世界に入っているから警戒する必要もない。
「は……? だっり!!」
途端に不意を突かれた。 麻戸は電気でも流されたかのように跳ね上がる。
ドッドッドッドッドッ!! と体の内側全体に響く鼓動。血流が爆走している。
ゆっくり顔を動かすと、観月が指で摘んでいる黒い紐を睨んでいた。 彼女は確かポニーテールをしていたはず。 それが今や解かれているから、ゴム紐が切れたと考えるのが妥当だ。
(……ギャルのこういう所が怖いんだよな)
ポカポカ陽気だと思った瞬間に氷点下になる急激な温度差。 背後に嫌な空気を感じながら、麻戸はペンを走らせる。
「どっちかゴム持ってね?」
「ん、あるよ」
「さすがっ。梓マジ最高だわ」
高千穂がバッグから出したのは、まだ買ったばかりで袋に入ったままのゴム紐だった。
「新品じゃん、すまんね」
「良いって良いって」
言いながら高千穂は封を破って、取り出したゴム紐を麻戸の机に置いた。
「?………??」
会話は耳に入って来ていた。 ここで話を振られるのはあまりにも文脈が繋がっていない。
麻戸は一ノ瀬と観月を見た。 同じようにポカンとしていて、高千穂だけが口角を上げていた。
「それじゃあ、女の子が困ってるわけだし助けてあげよっか」
麻戸は石化した。
彼女の友達二人は同時に吹き出す。
「あっは! それはイミわかんねぇって!」
「急な無茶振りが鬼なんだけどぉ」
二人はツボには入ったみたいで腹を抑えながら"く"の字型に折れ曲がっている。
これが冗談だと思っているのか。 一時的な衝動に駆られて悪ノリをしているだけだと思っているのか。
(コイツは、本気で言ってやがる……!?)
冗談ならば、もう引き下がって良いだろうに、今もまだ視線を落として来ている。
一体なにを求めているのだろうか。 慌てふためいて、尻尾巻いて逃げるのを期待しているのだろうか。
麻戸の決断は早かった。
(反撃だ。 ここで一発、鼻を明かしてやる)
麻戸は立ち上がって椅子の後ろにまわる。 まだ笑っている観月に目を合わせて、やんわりと微笑んだ。
「いらっしゃい、観月さん。 今日は撮影用にセットするだけだったよね」
トントンと背もたれを叩いて座るように促す。
時が止まった。 それは嵐の前の静けさ。 直後、火山が噴火するように笑い声が爆発する。
「あははははは! マジなにが始まった!?」
「ウケ。麻戸ってそういうこと言うやつなん?」
羞恥が麻戸を襲う。奥歯を噛み締めて表情を維持した。 素面に戻るな!と必死で訴え続ける。
しかし逃げ場所を求めてしまった。 眼球がグルグルさまようと、ある一点にとどまる。
彼女は二人のように笑っていなかった。口角を歪に曲げているが声は出していない。
ふと、彼女の……高千穂の目が細まった。
「ほら、胡春。 店長が言ってるんだから早くしないと」
「え、梓……?」
高千穂は戸惑っている観月の手を引いて椅子に座らせた。 あちこちに視線を飛ばしている観月に、麻戸は後ろから話しかける。
「コンセプトは決まってるかな?」
「は、え、なになに? 怖いんだけど」
「店長のお任せで良いってさ」
「ようし。それなら清楚な感じにしようか」
「あ、清楚が好みなん?」
「余計な事は言うな、っす」
麻戸と高千穂は客(?)を完全に無視しながら続ける。
「はい。最初にこれ使って」
「ん?」
渡されたのはウェットティッシュだった。 袋から抜き取られたシートはアルコール臭を放っている。 それはウイルスを滅菌するための物。 この場面で渡されたら、麻戸という菌を消毒しろという事になる。 日頃あれだけ会話をしていても、ギャルの群れの前ではバイキン扱い。
麻戸はよろめいて一歩下がった。 すると、高千穂は首を振る。
「予想つくから言うけど、それ誤解ね。 マナーみたいなもんだと思って」
「分かっ、た……」
それはそうだな、と麻戸は思う。
顔だけは何となく見た事あるのかも知れない程度の人間に接触されては、髪はおろか手でも不快だろう。
「観月。 勢いで言ったけど続けても良い……っスか?」
麻戸はアルコールウェットティッシュで手を拭きながら尋ねる。
「いきなり素になられても困るんだけど……。てかそもそも出来んの?」
「ああ。 透和………立花っているだろ。 あの陽キャ代表の」
「うん」
「小学校を卒業する頃。あいつが髪型を気にするようになった時にセットしたのが俺」
「余計な不安きたー。 しかも絶妙にエピが気になるー」
間髪入れずに高千穂が割り込んだ。
「同感しかない! でも良いよ、なんか面白そうだし」
「ん、ありがとう。…………俺が礼言うのは変か?」
「店長はやーく」
「ああ。じゃあクシ、は、いらんな」
手首に黒いゴム紐をつけて高千穂からクシを貰おうとしたが不必要だと気付いた。観月の髪を見つめて、そっと手を伸ばす。
「すごいな、これ」
カラスの羽を彷彿とさせる光沢感。触れると、まとまっていた髪が一本ずつに散らばった。 手の内で束を作っても重さが感じられない。 ほんの少しでも手を緩めたらサラサラと流れ落ちていく。
「私の自慢。中々なもんでしょ」
「……姉や妹とは全然違う。美術館内を着物姿で歩いたら、動く日本人形として客とれるくらいだ」
「なにそれ。意味わかんね」
「なんでよ胡春。めっちゃ褒め言葉じゃん。ね?店長」
「……っす」
「クセ強かよ。てか麻戸って両方いるんだね」
「両方?」
「姉と妹」
ああ、と麻戸は相槌を打つ。
「二つ上と三つ下がいる」
「ふーん」
観月の耳の前にある髪を両サイドから後ろに持ってくる。 後頭部付近で一つに束ねた。
「手際良いじゃん」
「一時期、気が狂うくらいやらされたんだ。これくらいは出来る」
「それを先に言え? 立花のエピとか絶対いらないでしょ」
「そうか?」
観月と会話をしつつ、麻戸は手を動かす。
背中の中心を越えるほどの長い髪だから、少し曲がるだけで全体が歪んで見えていた。
形を整えていると、ふと違和感を覚えた。 ちらりと横目で見ると。
「今のところはふつーのハーフアップだねぇ。 こっからなんかすんの?」
先ほどまで椅子に座っていた一ノ瀬みきが、麻戸の隣から顔を覗かせていた。




