麻戸の抵抗 1
(……………最悪だ)
麻戸は教室に入ろうとした所で絶望した。
授業が終わり、トイレから戻ると席が占領されていた。
麻戸の席に座るのは高千穂。 高千穂の席に座るのは同じクラスのミキと他クラスの女子だった。
次の授業はこのクラスでやるため移動をする必要はない。 それならたかが十分程度そこら辺で時間を潰せば良いだけなのだが、次の授業で提出するプリントがある。
忘れていた物だが大した事はない。 五分でもあれば出来る。
席に着けたら出来る。 椅子に座れたら出来る。 周りの目を気にする事なくペンを動かせたら出来る。
(それが出来たら苦労はしない………っあああああ!ギャルこえぇええええ!!!)
高千穂一人ならば今となっては気にならない。 しかしギャル友達といる高千穂はもはや別人だ。 人によって態度を変えている訳ではないのだろうが、ただ何というか、ホームグラウンドでテンションが高くなるスポーツ選手みたいなものだ。 それに便乗してギャル友のテンションも更に高くなるのだからチームプレイも一級品である。
(ん?)
今のは見間違いなのか。
前髪をオールバックにして悩んでいた麻戸は、高千穂と目が合った気がした。
教室の戸の陰に身を隠して様子を伺うと、高千穂が何やら友達に話しかけていて一斉に立ち上がった。
どうやら教室から出て行くみたいで、後ろの戸から出るのと同時に、麻戸は前の戸から中に入った。
ふと横を見る。
一番後ろを歩いていた高千穂は、教室から出る直前に親指を立ててこちらに向けて来た。
(女神……?)
彼女に対してそう思ったのは的を射ているだろう。今の席は聖域だ。それなら隣に来た彼女も、聖域に相応しい人格の持ち主だという事になる。
高千穂が作ってくれた時間を無駄にする訳にはいかない。 麻戸は席に着いて机にプリントを広げた。
ペンを片手に、文字の羅列を見つめる。
たったそれだけの事だ。
「あ、お隣さん帰って来てる」
「まじだ。梓、お帰りなさいって言ってあげなよぉ」
「おっかえりー!」
ウケる、新婚じゃん! などと言いながら教室中に笑い声が響き渡った。
(ま、て……待て待て。 これは、どういう……?)
麻戸の視線はプリントに釘付けだ。 しかし内容は一切入って来ない。体の至る所にじんわりと汗がにじむ。
(何でこんなに早く………いや、早過ぎるっ。一分も経ってないぞ)
これはあり得ない事だった。 彼女達は偶然出て行ったのではなく、高千穂が意図的に出てくれたのだ。 麻戸が苦手とする人種だから気を遣ってくれたのだ。
だから、次の授業まで帰ってくるはずがない。 ここに戻って来る必要がない。
(忘れ物でもした……………っ、座っただと!?)
高千穂の席に、おっとりした顔の一ノ瀬ミキが腰を下ろした。その膝の上には、一見して勝ち気な性格だと分かる別クラスの女子が乗った。 当たり前のようにお腹に手を回して密着している。
「よっ、と」
高千穂は掛け声と共に小さくジャンプして麻戸の机に座った。
穴が開きそうになるほどプリントを見ていた麻戸の視界の端に、チェック柄のスカートと人間の足が見える。
「おじゃましまーす」
頭上から落とされた声。 骨の髄まで染み込んだ恐怖により悲鳴が出そうになったが、麻戸は唇を噛んだ。
(……………そう、か。そうか。そうか。そうなんだな。 そういうことなんだな? つまりコイツは、最初から俺を嵌めるつもりだったんだな!?)
天使のフリをした悪魔。 聖域を穢す存在。
麻戸は、隣にいるギャルズにバレないように眼球だけを動かす。 力を込めて見上げた先には、ニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた女子がいた。
「ねぇ、聞いてよ。 急に炭酸が飲みたくなって買いに行ったんだけどぉ、教室出たらいらなくなってさぁ。 気分ってマジ怖いよねー」
「うん」
結局はやはり麻戸を釣るための策略だったのだろう。 嘘だと丸わかりな事をわざわざ言って来た。
これから最悪な未来が訪れるのは彼も理解している。 だが逃げ出す訳にはいかない。
ここで逃げてしまえば確実に『え、なにあれ、感じわる』とか『めっちゃ避けられてんじゃん!』とか『ザ・陰キャ』などと言われてしまうからだ。
(こんなもの、さっさと片付けてやる。終わったタイミングでトイレにでも行けば怪しまれないだろ)
真っ白になりかけの思考を懸命に巡らせて、ペンを走らせる。
「てか名前なんだっけ?」
ひゅっ、と呼吸とは違う息が漏れた。
そう言ったのは隣の席でミキの膝に座る別クラスの女子。 名前を知らないのはお互い様だが、ストレートに言われるとメンタルに直接攻撃されてるようだ。
(よし、ここは頑張ろう!)
別クラスの女子は、肩甲骨あたりまで垂れた黒髪のポニーテール。 メイクも薄く、一見ギャルとは思えない印象。しかし制服を着崩したり、喋り方や振る舞いなどはまさしくギャル。 麻戸の恐怖対象になる人種。
だが、麻戸は成長している。
高千穂と会話していると思って話せば良いのだ。 ギャルというカテゴリーに属している者は似たり寄ったりだと推測する。
「こほん」
声を出しやすくするために咳払いをして、麻戸は告げた。
「麻戸です。 好きな映画はランボーです」
なにか一つでも話題になりそうなキッカケを作れば拾ってくれるだろう。………と、人任せにしたのが間違いだった。
期待が虚しく散った。
彼女達の表情が物語っている。
「私は隣のクラスの観月なんだけど……え、これって私も好きな映画とか言った方が良い感じ?」
「いや、流れで言っただけだから別にいい…………っす」
困惑が伝わってくる。 同時に麻戸も困惑していた。
ギャルとはノリで生きているのではなかったのか。 この冷め切った空気を作ってしまうほど、話題提案がつまらないものだったのか。
答案用紙を全部記入したのに全問不正解みたいな感覚。 麻戸の手の内からペンが落ちて、机の上を転がる。
それは途中で急停止した。
白くて傷一つない手がペンに被さっている。
「けーたい」
プリントの上にペンを置いて高千穂が小さく呟いた。 言葉のままに麻戸はポケットから携帯を取り出す。
(何だ………って高千穂から?)
メッセージが一件。 机に座る彼女が携帯を片手に持っている。連絡先を交換した覚えはないんだが、と麻戸は思う。 直後にクラスで作ったグループから検索をしたら出来るか、と理解した。
メッセージにはこう書いてある。
ーー初めてのお見合いか! もっと共感出来る作品チョイスしろし!……とか言ってほしかった? てか陽キャじゃないやつにいきなりぶっ込まれてもフツーに困るかんねw
文章から小馬鹿にした感じが伝わって来た。 だがそれは苛立ちが募るものではなく。
むしろ、
(あー、これこれ)
安心した。
この居心地悪い空間を築いた元凶に対して、麻戸はそう思ってしまう。




