ギャルの家で勉強会 2
電車を乗り継ぎ、普段はバスを利用する道のりを、二〇分かけて歩いた。
住宅街に入り、高千穂の『とうちゃーく』の声で足を止める。 一軒家を前にして、麻戸は呼吸が浅くなっていたことに気付いた。
「あ、緊張してるっぽい」
玄関に手を伸ばしかけていた高千穂が振り返る。
「友達の家に行ったことは?」
「透和くらいかな」
「まぁ、麻戸がぼっちなのを別にしても、大体は外で会うから家なんて入らないよね」
「フォローするならそれに徹してくれ。 傷口に塩が入って来てるから」
「ぼっち呼びは良いん?」
「事実とは異なる表現のため、あえて否定はせん」
『ふーん』と適当な返事をする高千穂は、ドアノブに手をかけたまま、こちらを見つめていた。
どうするんだ、という無言の問い。
麻戸は来る途中に買ったものを掲げながら、家の中に入るよう促した。
ガチャ、と玄関が開く。
「ただぁいまー」
高千穂の後ろを麻戸が続いて入る。
左には二階に上がる階段。 右には廊下があって、突き当たりのドアが開くと、女性が笑顔で歩いて来た。
「おかえり、梓ちゃん」
高千穂と一言交わした直後、視線が麻戸に向く。
「いらっしゃい、麻戸くん。 梓ちゃんに色々聞いていたから会えて嬉しいわ」
「余計なこと言わない」
ぴしゃりと高千穂が言った。
一体なにをどこまで話したのか気になるが、家族ならば何でも話しているだろう、と麻戸は漠然と思う。
そこに不満な気持ちは一切ない。 それどころか、女性の瞳をじっと見てしまった。
(似てるなぁ……)
高千穂とは違い、落ち着いた雰囲気。 けれど柔らかく細められた目元は、高千穂にそっくりだった。
「こんにちは。 今日は場所をお借りしてすみません」
麻戸は手に持っていた袋から中身を取り出して、女性に渡した。
「オススメのバームクーヘンです。 ご家族とどうぞ」
「あら、ご丁寧にありがとね」
それから家に上がるよう促され、麻戸は『お邪魔します』と返した。一歩足を踏み入れると、振り返って靴を揃える。
「律儀じゃん。 まだ緊張してんの?」
「緊張というか本気出してる。 人様の家に上がる時のやつ、父さんに叩き込まれたからな」
ただ作法を真似ているだけ。 学生のガキが取り繕ったもので、ぎこちなさがあるだろうが、だからと言って手を抜いて良いものではない。
だが初対面でのやり取りが終われば、ミッションはほぼ達成したようなものだ。
今ではすっかり鼓動は落ち着いていた。
「それにしても本当にここで良いの?」
リビングに入ると女性が言った。
四人掛けのテーブルにはオレンジジュースの入ったグラスが二つ置かれる。自然と席が決まり、椅子を引いた。
「はい。無理言ってすみません。 広々とした空間が好きなもので」
「分からんわー。 あたしがみきの家に行ったときは逆に部屋から出なかったかんね」
対面の椅子に座る高千穂が言った。
「好みは人それぞれってな」
「まぁ、そうだけど」
話しながらテーブルに教材を広げた。 漢字の通り、一息ついただけで、すぐにペンを握った。
「じゃあ私は違う部屋にいるから、お勉強頑張ってね!」
「えっ……」
リビングのドアノブに手をかけた女性を見て、麻戸は小さな声を上げた。
脳内アラートが最大音量で鳴り響く。倫理観の崩壊が目の前まで来ていた。
「ちょ、っと待ってください。 おば、高千穂の、……お母様はここにいてくれないと……!」
咄嗟のことで高千穂達が動けないでいる中、麻戸は続けた。
「あずさんと二人きりがダメなんです。 過ちが起きたら、父さんに殺され、いや責任とって学生結婚……とにかく大変なことになる前に!」
「いやもうなってんのよ……。いつも以上に大変なことになってんのよっ、頭ん中が!」
バンッ! と高千穂は机に手をついて立ち上がる。
「てか誰がお母様だ!? ナチュラルにあずさん呼びすんなし! それに過ちなんて…………あーもうっ、親の前で下ネタはキッツいんだわ!」
「待て。俺は真剣だ、あずさん」
「うん、知ってる。だからまず落ち着け?」
「学生とはいえ警戒心は持たないと。 距離感バグってるあずさんは尚更な。 男子を軽々しく家に上げるなんて、俺の父さんなら角が生えるぞ。 あ、でも今日はありがとう。 すごく助かります」
『聞けよ……』と高千穂はげんなりしながら肩を落とした。
「あ」
麻戸は一言呟いた。 顔を手で覆い隠しながら天を仰ぐ。ふぅ、と息をこぼし、手のひらを女性に向けた。
「誤解です。 俺がというより一般論でして、もちろん高千穂、さんを傷つけるつもりはなく……」
「あ……、シラフった。 にしても爆発したねー。 気持ちよかったっしょ」
言葉の尻が下がる麻戸を見ながら、高千穂は呑気にそう言った。
しかしそれを最後に音はなくなった。
息が詰まりそうな雰囲気が漂う。 麻戸はお母様の顔を見れなかった。
だから、気付くのが遅れた。
「ふ、あははっ。 すごい、梓ちゃんに聞いていた通りの子なのね!」
「でっしょー」
親子で笑い合っている。麻戸は目を丸くした。
「聞いてた、とは?」
「えっと……、よく分からんやつ。 訳のわかんない思考で意味分からんこと言うけど、友達になりたいと思った、ってね」
お母様がそう言うと、高千穂はパタパタと顔を手で煽りはじめた。
「いやはっずいなー……。ったく、友達の家に上がるだけで考えすぎだっての」
「梓ちゃんが人を家に連れて来たのは初めてなのよ? しかもそれが麻戸くんとなれば……ふふっ、待った甲斐があったわ」
「醜態晒して申し訳ありません……」
麻戸は、赤くなった顔を隠すように頭を下げた。
「良いの。 梓ちゃんを考えてのことだろうから。 でもそうねぇ……、私もここにいて良いのならお邪魔しちゃおうかしら」
依然として笑みを絶やさず、お母様は言った。
麻戸は静かに顔を上げ、蚊の鳴くような声で呟く。
「ぜひ……」
麻戸がパニックで口走ったあずさん呼びは【一歩 2】にて、高千穂に却下された呼び方です。




