嵐の前 3
学校が見えなくなるまで歩を進めると、立花と一ノ瀬は同時に振り返る。
「おいおいおい、かっこいい羊だったじゃんよ!」
「それな。 まじ最高の羊」
足は止めず、満面の笑みで麻戸の体を叩く二人。
麻戸の横を歩く高千穂が言う。
「なぜに羊?意味わかんな過ぎて困惑なんだけど」
「穏便にすませるために羊を真似するんだってぇ。 麻戸が言いだしたの」
「やっぱね!麻戸が言いそうな事だと思ったわー」
納得だと頷きながら高千穂は口角を緩める。 声を高くして、笑顔を見せていた。
高千穂の視線が麻戸に止まる。
「ん、どしたん?」
高千穂は変わらずだった。
本庄に見せていた時の表情だ。
「……一ノ瀬に頼まれたからでもあるんだけど、俺はその顔をやめさせたくて割って入ったんだ」
笑顔のまま高千穂の表情が固まる。
「もしかしてまだ腑に溜めてるものがあるのか?」
「そりゃあまぁ……、あたしにも内臓あるし」
「あ、そっか」
しんと、した空気が漂う。
立花はすでに前を向いて歩いていた。 一ノ瀬はぽつりと高千穂の名前を呼ぶ。
それからは、靴裏の地面を擦る音だけが場を占めた。
「あり、がと、ね……。正直、来てくれて助かったわ」
ふと、高千穂は前を歩く二人の方を見て言った。 立花と一ノ瀬から返答を聞き、ちらりと麻戸に目を向ける。
「でもね、麻戸は駄目だった、かも」
「……ほう、俺の羊は高評価をもらえたんだが?」
捻り出した言葉だった。
「だってさ、麻戸は目立つの嫌いでしょ?」
高千穂は柔らかく、自嘲気味に笑う。
「それなのにあんな先輩と関わっちゃってさ。叩かれもしたし……」
「……、」
「麻戸とは、誰も何にも関係ない所で話をしているのが良かった」
以前、罠にかけギャルの群れに引き摺り込んでおいてどの口が言うか、と麻戸の脳裏を駆ける。だがそれは思っただけ。
飛び出した言葉は違った。
「つまり、また勘違いしたわけだな?」
『え?』と高千穂は顔を上げる。
「確かにギャルに遅れを取る日々が続いているけど、俺は元々海のように広く、そして深い心の持ち主。 ウミネコ数羽が海面に突っ込んで来ようがビクともせんな」
高千穂は呆気に取られた。 普段よりもわずかに開いた目で麻戸を見つめる。
「そうそう。 曜真を心配する必要はねーって」
高千穂の視線がゆっくり動いた。
再び立花は口を開き、閉じるを繰り返す。 後頭部に手を回してボリボリと掻く仕草をすると、
「…………うん。例え話でもしようとしたけど何もないわ。とりあえず大丈夫って思ってたら良いと思われ」
即座に『適当か』と麻戸が言い放つ。『お前には言われたくない』と立花が返すと、一ノ瀬が吹き出した。
「君たちは締まらないねぇ。ちょいダサなんだけどぉ」
「曜真が悪いよ」
「フォローしきれなかった透和のせいだろ」
「うっわぁ。小学生みたいな言い合いするじゃん」
ぐっ、と麻戸は口ごもる。 考えてみると否定出来ない会話だった。
これから何か言い返したとしても、それはムキになって返しただけの言葉に過ぎない。 黙っているのが最善だ。
立花も同じ考えをしたらしく、ぎこちない顔して黙秘を貫いていた。
「あは」
一呼吸置いて、沈黙を破ったのは高千穂だった。
「そっか。うん、私の考えすぎか……。麻戸はちゃんと強い子だったんだね」
「語弊がある言い方やめて? 小学生って言われたばかりで傷口深いから」
抑える所は心臓付近。 言葉のナイフはガードを擦り抜けて来るが、必死に守りの体勢をとる。
そっと高千穂は手を伸ばした。
ほんのりと、背中に温もりが伝わる。
「ごめ…………ありがとね、麻戸」
『ああ』と麻戸は言った。
全員から死角になっている左の拳を、爪を立てながら力いっぱい握りしめる。
そうしなければいけない。
距離が近くなったせいで視界を埋め尽くす高千穂の顔。取り戻したかったものが目の前に現れると、表情筋の全てが崩れ落ちそうだった。
「ねぇー。 一件落着したところで麻戸に聞きたいことがあるんだけどさぁ」
すーっ、と背中の熱が消える。切り抜けたと静かに息を吐いた。
『ん?』と一ノ瀬の方を向きながら左手を軽く揺らす。
「どっからウミネコ出てきたん?」
「…………え?」
「いやさっきのやつ。海面に突っ込むだの言ってたじゃん。 あれが羊以上にイミフで気になっててさぁ」
「あ、あぁ、えっと…………ウミネコが先輩で、海が俺で」
「は?」
なんのジェスチャーか分からずに振り乱していた手は、だらんと落ちた。
「ごめん、説明つらいです……」
「えー、なんとなくもうちょいで分かりそうなんだけどなぁ……、梓わかる?」
「え"っ」
飛んで来た火の粉に顔を引き攣らせる高千穂。 立花がボソッと『コイツ鬼か』と言った。
「えーと、つまりさ、鳥が魚をとるために水中に突っ込んで来たところで、広大な海はダメージないっしょ?」
「うん」
「だから、先輩のウミネコみたいに小さな攻撃は、海のように広い心の麻戸には効かないって意味になんの」
「お、おーっ! なぁるほどねぇ!」
感心したと言わんばかりに一ノ瀬は声を上げる。
麻戸は勢いよく高千穂に右手を差し出した。
「なんよ、この手」
「友好の証。 俺達、親友にグレードアップしても良いんじゃないか?」
「え、無理。 こんなしょうもない事でグレードアップしたくないわ」
駅の改札の前で、麻戸はバッグから定期券を取り出した。
「一応言っとくけど、二人とも今日は家から出ないようにな。 万が一に会ったりでもしたらどうする事も出来ん」
一ノ瀬はスマホの画面をタップして構える。
「てかこのまま四人でカラオケ行けばよくない? 嘘を本当にしちゃえば良いじゃん」
「それは駄目だ。 猫が一匹で留守番してるから早く帰らないといけない」
『冷房が切れてたら最悪だし』と麻戸は続けた。 しかしその言葉は女子二人の耳には届いていないのかも知れない。
キラキラと輝く瞳で迫って来た。
「麻戸猫飼ってんのぉ!?」
「めっちゃ見たいんだけど! 家にお邪魔して良い?」
一呼吸すら置かず、麻戸は言う。
「駄目。 知らない人来ると緊張しちゃうから」
真顔だった。 頭の中にこびりついた文章を正確に最速で読み上げる。
「曜真は、自分の命より猫の一日を優先するから諦めた方が良いよ」
立花が追い討ちをかけるように断言すると、二人は露骨にテンションを下げた。
「あー、ああぁぁぁ……」
「くっそぉ。ぬか喜びさせられたぁ。……んじゃ、立花だけでも行く?」
「二つの意味でごめん。この後は麻戸の家でゲームする予定なんだよね」
「はあ? 話違くない?」
「俺は猫が来る前から麻戸家に行ってるから、今では家族同然です」
ごめんと言った割に、立花は勝ち誇った顔をしていた。
高千穂のじっとりとした視線が、麻戸に突き刺さる。
「なに、二人は付き合ってんの?」
「んな訳ねーだろ!」
『怖い事言うなよ』と立花は寒気を抑えるように自分の両肩を抱いた。
「まぁ、見た目で言うなら透和の方が彼女っぽいな」
「まず否定しろや!」
「あ、ちょっと電話して来るから先に行っといて」
麻戸は一人、改札を潜らずに踵を返した。 立花の悲鳴、女子の黄色い声が遠ざかる。
「………………、」
麻戸は手ぶらだった。
視線を巡らせ、音を意識する。
人の波。 後ろ。 エスカレーター。 柱の陰。
どこにも、記憶したばかりの四人の男はいなかった。
本庄の前から立ち去る時、確かに聞こえた。
コソコソとした、囁き。
内容は分からない。
馬鹿にするような高笑いや、挑発するような煽りではなく、もっと、作戦を企てる時のような——。
(てっきり後を付けて来るのかと思ったけど、考えすぎだったかな……?)
予想は外れた。 しかし麻戸の表情は一向に晴れない。




