第9話 頼みたいこと
挨拶された後も、莉子は時折、周に話しかけてきた。
「藤田くん何してるの」
休み時間にも。
「藤田くんはパンなの。美味しく食べてね」
昼休みの時も、突然どこから現れたのか話しかけてきた。
(七瀬さん内緒にして欲しかったじゃなかった? 変に見られてるぞ)
確か内緒にしてくれるって頼んだのは向こうのはずなのに、バレることを気にしているのは周の方だった。莉子に話しかけられるたびに胸がひやっとして誰かに見られていないかと、周囲を確認してしまう。
「なんで俺がハラハラしなきゃいけないんだ」
周は自分でも分からない疑問を抱えたまま、カフェへ入っていった。
「いらっしゃいませ。あ、藤田くん」
店に入ると、エプロンをつけた莉子が迎えてくれた。
「まだ注文入ってないからゆっくり着替えてきてね」
莉子の声に、周は足を向けた。しかし、その方向は更衣室の方ではなかった。
「えっ、藤田くんどうしてこっちにくるの。更衣室はあっちだけど」
周が更衣室ではなく自分の前にきて少し戸惑った。周は莉子の言葉に何も返さず、ただ黙って彼女を見つめた。無言の視線に圧を感じられた莉子は、なぜか緊張してしまった。莉子がふいと視線を逸らすと、周が口を開いた。
「七瀬さん昨日バイトのこと内緒にしてほしいって言ってたよね?」
「うん。言ってた。それがどうした」
なんで急にそれを聞くんだろう。質問の意図を汲み取れない。
「なのに、なんで学校で挨拶して話しかけるんだ」
「・・・え?」
周の問いに、莉子は首を傾げ、戸惑ったような声を漏らした。冗談でも言ってるのかと思ったが、周の表情はあまりにも真剣だった。その様子に、莉子は頬をぽりぽり掻きながら逆に問い返した。
「挨拶しちゃダメなの?」
「ダメなわけじゃないけど。バイトしてるの内緒にしたいわけじゃなかった?」
「内緒にしたい」
「なら、学校では距離を置くべきじゃん。親しく接すると、みんなおかしいと思うんだ」
「え、そうかな」
周の言葉に、莉子は少し考え込んだ。そういえば、今日の昼休みに藤田くんに「美味しく食べてね」って言って一緒にいた友達が不思議がっていた。
『莉子ちゃん藤田くんと仲良かった? 藤田くんと話すの初めて見た気がする』
『そうだね。いつの間に仲良くなったの』
友達の問いに、「実は一緒にバイトして仲良くなった」とは素直に言えなかった。
『ちょっと話す機会があってさ。ちょっと話してみたけど、すごく優しかった。で、仲良くなりたいと思って』
『へぇ、そうなんだ。意外だね』
そう適当に誤魔化すと、みんなそれ以上は深く追及せず、納得したように引き下がってくれた。
「挨拶くらいはいいんじゃないかな。別に変には思わられないと思うけど」
莉子の甘い考えに、かえって周は不安になった。
「もしバイトしてることがバレたらどうするんだ」
「まあそうなったら仕方ないでしょ。っていうか、藤田くん私のこと心配してくれてるの?」
「いっ、いや、そ、そんなわけないだろ」
不意に図星を突かれた周は、動揺を隠せなかった。それを見て莉子はくすりと笑った。
(ほんと優しいね)
頼まれたからって、ここまで心配してくれる人は滅多にない。なのに、藤田くんは私よりもずっと心配している。
「大丈夫だって。バレないよ。それとも、藤田くんは学校で私に声かけられるのが嫌?」
「いや、そういうわけじゃないが」
正直にいうと、嫌じゃない。たまに周りのクラスメイトに不思議そうな目で見られるから、バイトのことがバレないかと心配になっていただけだ。むしろ学校で莉子に挨拶や話しかけられるのは良かった。なんか近くなった気がして悪くなかった。
「じゃ問題ないでしょ。これからもたくさん挨拶して話しかけるから、次からはちゃんと答えてね」
「わかったが、バレないかな」
「バレないんだってば。そんなことより着替えてきてね。今日藤田くんに頼みたいことがあるから」
頼みこ取ってなんだろう。
周は首を傾げた。莉子はまだ教えるつもりがなかったのか、意味深な笑みを浮かべるだけで何も言わない。周はきょとんとしつつ、とりあえず更衣室へ向かった。制服からユニフォームに着替えて出ると、莉子がメモ紙を手渡した。
「注文入ってたよ。コーヒー一つ」
周は頷いてすぐにコーヒーを淹れ始めた。コーヒー豆を挽いて、水が湧くのを待っている中、レジに帰らず横にじっと立ってこっちを見ている莉子が気になった。
「あの、七瀬さん? どうしてここにいるんだ。レジ空いてるが」
「お客さんないから大丈夫。あ、お湯が沸いたみたい」
莉子が湯気を立てるケトルを指さした。周は火を止め、しばらく待った。
「あら、すぐ注ぐわけじゃない?」
「お湯が熱すぎると、味が苦くなって少し冷めるまで待つんだ」
「えぇ、そうなんだ」
莉子は周の言葉を注意深く聞き、手に持っていたメモ帳に書き留めた。
しばらくしてお湯が適温になったと判断した周は、ケトルを手に取り、コーヒー粉にゆっくりとお湯を注ぎ始める。その様子を興味深そうに眺めていた莉子が、口を開いた。
「どうしてそれしか注がないの? 少なくない?」
「蒸らすのよ」
「蒸らす?」
「そう、抽出する前に少し蒸らすんだ」
莉子は周の言葉をまたメモ帳に書き留めた。やがて、周はケトルを手に取って蒸らしたコーヒー粉に注ぎ始めた。
「どうして円を描くように注ぐの」
「それが・・・・・・ごめん、忘れた」
店長にわけを教わったけど。覚えてないな
「じゃ後でママに聞くことにして」
莉子はメモ帳に書き留めながら、小さく独り言を呟いた。
しばらくして、お湯を注ぎ切った周はケトルを置いた。コーヒー粉に溜まった水が下のクラスコップにポタポタと落ちていった。
「もう待つだけ?」
「うん。待つだけだけど、ずっとそこにいるつもり?」
「待つだけ・・・・・・」
周の声が聞こえないのか、莉子は小さく独り言を呟きながらメモ帳に書き続けていた。
(さっきから何を書いてるんだ)
お湯を沸かした時からずっと気になっていたが、コーヒーを淹れることに集中していたこともあり、聞くタイミングを逃してしまった。
「周、お湯が落ち切ったよ」
「ん? あ、ほんとだ」
溜まっていたお湯が落ち切り、残ったのは濡れたコーヒー粉だけだった。周はコーヒー粉を捨て、下のグラスコップを取り出し、マグコップに移し替えて莉子に渡した。
「ありがとー」
もうお客さんに渡せば注文一つ完了だ。と思い、片付けを始めようとしたその瞬間、突然露が手に持ったコーヒーを飲み始めた。周はびっくりして咄嗟に莉子の手を掴んで止めた。




