第6話 私がやる
コーヒーを淹れているうちに、いつの間にか窓の外は薄暗くなり、そろそろ掃除する時間にやってきた。
「藤田くん今日の掃除は私がやるね」
「じゃ洗い物は俺が」
「いやいや、洗い物も私がやるよ」
両方とも一人でやるという莉子の言葉に、周は首を傾げた。
「なんで。昨日みたいに洗い物は俺がやってもいいよ」
「いいのよ。私のせいで今日苦労したじゃん。恩返しっていうか、お礼として掃除は私一人でやらせて」
莉子は今日のことをずっと心に引っかかっていた。藤田くんは迷惑かけちゃったから、掃除くらいは一人でやるのが礼儀だと莉子は思った。
「そういうわけで藤田くんはゆっくりしててね」
「いや、でも・・・」
「もしかして私一人じゃ不安ってこと? まあそうだよね。今日だって足手纏いだったんだもん」
「いや、そういう意味じゃない。ただ」
「そういう意味じゃないなら、ゆっくりしててね。コーヒーは淹れられないけど、掃除はできるんだから」
莉子は周の背を押しやって椅子に座らせた。
「ここで休んでて。さっさと終わらせてくるから」
莉子は掃除道具のある倉庫に向かった。やがて、莉子は掃除機とモップを持って出てきた。
「あら、藤田くんいないね。どこ行っちゃったんだろう」
そこの椅子に座らせておいたのに、どういうわけか周が消えていた。莉子は周りを見回しながら周を探してみたが、結局見つけられなかった。
「着替えに行ったんかな。まあすぐ帰るだろう。そのうち、掃除しておこう」
莉子は別に気にしないことにして、本格的に掃除に取り掛かった。
ホールの椅子を机にしまい、端から端まで掃除機をかけ、床をモップで水拭きする。約三〇分後。床を拭いていた莉子は立ち止まって、モップを持ったまま額に滲んだ汗をかいた。
「ふぅ、終わった」
店がそこまで広くなくてそんなに時間がかからなかった。莉子は自分が拭いた床を眺めながら独り言した。
「私、掃除結構上手いじゃん」
床は顔が映るくらいピカピカになった。店のライトの光を反射してピカピカと輝く床を見ていると、なんだか誇らしい気持ちになる莉子だった。
「次は洗い物か。洗い物もさっさと終わらせよー」
莉子は鼻歌を歌いながら大股にシンクへ向かった。
(今日に限ってお客さんが多くて結構溜まっていたみたいけど、さっさと終わらせて退勤する)
掃除が終わるのを待っている藤田くんのためでも早く終わらせたかった。十分以内に終わらせると決めてシンクへ向かうと、見慣れた後ろ姿がうっすらと見えてきた。
「もう掃除終わった? 早いね。ちょうど洗い物も終わったから退勤しよう」
「藤田くんなんで洗い物を」
莉子は目を丸くしたままぼーっとシンクを示した。掃除を始まるときには山のように溜まっていたコップや容器が、きれいに洗われたまま水をポタポタと滴っている。
「何もしてないと暇でさ。二人でやるほうが早く終わるし」
「暇なら先に帰ればよかったのに」
「それでもよかった?」
「もちろん」
「うーむ、じゃ今度からそうするね」
周はイタズラっぽく笑いながら、シンクの横に置いてあったタオルを手に取った。
「先に着替えてきて。後片付けだけしていくよ」
「私も手伝うよ。コップ拭けばいいんでしょ」
「いいよ。洗うタオルが二倍になってしまうから俺一人でやるよ。七瀬さんは着替えてきて」
二人でやれば当然一人よりは早く終わるけど、タオルも二倍に使うことになって仕事が増えてしまう。タオル洗うの面倒くさいから、一人でやる方がマシだと周は思った。
(どうせすぐ終わるから)
周の提案に、莉子は「わかった」と答えてすぐ更衣室に向かった。一人になった周はコップを拭いた。拭き終わったあと、タオルを洗って干しておいた。これで洗い物を終えた周は更衣室へ向かった。更衣室のドアの前に立つと、ちょうど制服に着替えた莉子がドアを開けて出た。
「び、びっくりした」
ギリギリで止まれてよかった。危うく、藤田くんとぶつかるところだった。
莉子は驚いた胸を落ち着かせながら、周に言った。
「ごめん。そこにいると思わなかった」
「いや、大丈夫。俺も今日同じ経験をしたから、わかるよ」
出勤したとき、前原さんがいるとは知らずにドアを開けて心臓が止まりそうになっていた。
「そうだったの? あ、ごめん。私が道を塞いでたわね。着替えてきて」
「ありがとう」
莉子が更衣室から出て道を譲ってくれた。周は莉子の言葉に従って更衣室に入った。
「今日マジで大変だった」
ドアを閉じる途端、周は大きなため息をついた。いつもより疲れが二倍だった。まあ、こうなるのも当然だ。一人で注文を受けて、コーヒーを淹れてお客さんに出したから。二人分の仕事を一人でこなしていた。
「そういえば、店長がいないと前原さんも一人だったのに。まさかこれを一人で全部やったわけ? 五時間ずっと?」
周はせいぜい四〇分程度だった。だが、すいは五時間ずっと一人だった。そう思うと、尊敬の念が湧いてきた。
「大人すごい」
四〇分一人でやって疲れ果ててるのに、五時間ずっと一人でやり遂げるなんて。普通にすごいとしか思えなかった。
「あ、こうしてる場合じゃない。七瀬さんが待ってるんだ。さっさと着替えて退勤しよう」
周は急いで出勤したとき着てきた制服に着替え、鞄を肩にかけて更衣室を出た。ホールに出ると、スマホをいじりながら周を待っている莉子が見えた。周は莉子に近づいて静かに声をかけた。
「七瀬さん」
「ん? 着替えてきた?」
莉子は顔を上げて優しい声で言った。周が頷くと、莉子はスマホを鞄に入れて勢いよく立ち上がった。
「じゃあ退勤しよっか」
「・・・うん」
肩に鞄をかけて振り向いてニコッと笑う莉子。あまりにも魅力的な容姿に、周は一瞬うっとりと見惚れてしまった。
「藤田くん? 何ぼーっとしてるの。早く退勤しよー」
「ん? あ、うん。退勤しよう」
莉子の声に我に返った周は、莉子の後について店を出た。店を出てからも周の視線はしばらく莉子から離れなかった。




