第4話 思い込み
周の突発的な行動に莉子は思わず目を見開いた。彼女の顔には戸惑いの色が滲んでいる。
「藤田くんどうしてここに」
「ここは俺に任せて、七瀬さんはコーヒー淹れて」
「で、でも」
周がコーヒー器具の方へ莉子を押しやった。莉子は何か言おうとしたが、この状況に混乱して言えなかった。
「俺が注文取ってくる」
そう言って周はレジの方へ向かった。
「いや、藤田くんそうじゃなくて」
莉子は周に手を伸ばした。何か言いたげな様子だったが、周には届かなかった。
レジに立った周はさっき莉子の IDを尋ねたナンパ男と向かい合った。営業用の笑顔を貼り付けて親切な口調で言った。
「お客様、ご注文お願いします」
「なんでお前が出るんだ。さっきの女の子呼んでこいよ」
ナンパ男はコーヒー器具の前にいる莉子を示して言った。周は表情一つ変わらずに言葉を続いた。
「早めに注文してください。お客様が待って待っております」
「は? 誰が待ってるってんだ」
ナンパ男は振り返った。自分を後ろに並んだ列。不満に満ちた眼差しが自分に向けられている。
「あの人なんでこんなに遅いんだ」
「前の人は何してんだ」
微かに聞こえてくる苛立った声。自分に向けた非難の眼差しにナンパ男はすぐに顔を逸らした。
「注文しますか」
周は営業用の笑顔でもう一度催促した。
「えーと、その・・・コーヒー一つお願いします」
「はい。お持ち帰りですよね?」
「え?」
「お持ち帰りですよね?」
ニコッと笑って聞いているけど、口調からは「お持ち帰りにしろ」と言わんばかりの圧が感じられた。
「・・・はい。お持ち帰りにします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
会計を済ませると、周はすぐに次のお客さんの注文を取った。注文を受けるたび、滞らないようにすぐ莉子に伝えた。
「七瀬さんコーヒー一つといちごラテ一つ」
「藤田くん、ま、待って」
注文を受け取った莉子は慌てて周を呼び止めようとしたが、周には届かなかった。さっきあのナンパ男のせいで注文が立て込んでいた。そのため、一刻でも早く注文を取りに行かないといけなかった。莉子は振り向かない周の背中を見つめながら呟くように言った。
「わたし、これできないんだよ・・・」
莉子の声は周に届かず、寂しく空気に溶けていった。
しばらくして、なんとかお客さんの注文を捌き切って少し一息つく余裕ができた。周は大きく息を吐きながらつぶやいた。
「死ぬかと思った」
ナンパ男のせいで列が長くなって急に注文も増えた。そのため、本当休む暇もなく注文を受けて伝わることを何十回は繰り返した。
「七瀬さんちゃんとできてるかな」
注文を取ることに夢中になって全く気が回らなかった。まあ、店長の娘だからこの程度簡単にやれるだろう。でも注文多いからちょっと休んで手伝いに行こう。
と甘く考えた周はレジの横の丸椅子に座った。ぼーっとホールを見ていると、最初注文を取ったナンパ男が立っているのが見えた。
(あの人なんでいるんだ。真っ先に注文を取ったのに。そういえば、俺あの人にコーヒー渡したっけ」
注文を受けることに夢中になってよく覚えていない。七瀬さんに聞くことにして周は振り返った。
「七瀬さんコーヒーなんだけどちうで・・・え!?」
莉子を見た周は目が丸くなった。あちこちに水が飛び散っていてコーヒー粉が散らばっている。その中心には、莉子が泣きそうな顔で両手を握りしめて立っている。
「七瀬さん一体何があったんだ」
「そ、それが・・・コーヒーを淹れようと思って水を沸かしてなんとかやってみようとしたけど。ごめん。実はわたしコーヒー淹れられない」
「なんだって!?」
周は一瞬聞き間違いだと思った。店長の娘だから当然コーヒーを淹れられると思っていた。
「な、なんで言わなかった」
「何度も言おうとしたよ。けど、藤田くん忙しかったから」
「・・・・・・」
言われてみれば確かに七瀬さんは何度も俺を呼んでいた。だが、お客さんが待っているため、七瀬さんの話を聞く余裕がなかった。あとで、聞いても構わないだろ、と思ったのに、まさかそれがコーヒーを淹れられないってことだったなんて。
(当たり前に淹れられると思った俺のせいだ。今からでも淹れて・・・
・・・七瀬さん手はどうしたんだ」
莉子が手を握りしめているのが目に入った。その様子がまるで右手で左手を隠しているようだった。
「あ、これ。なんでもないよ。そんなことよりどうすーー」
「ちょっと手どけてみて」
「ガチでなでもないんだってば。それより早く・・・ふ、藤田くん? いきなり何を」
周が隠していた手を掴んで引き上げた。すると、その下に隠されていた右手が顕になった。
「やっぱり」
莉子の左手の甲が赤く腫れている。そこまでひどくはない。けど、結構痛そう。
「これどうしたんだ」
「実はさっきお湯をこぼして」
どうにかコーヒーを淹れてみようとした時だった。ママがやるのを見た記憶をできる限り呼び起こして水を沸かしコーヒー豆を挽いた。コーヒー粉にお湯を注ごうとしたとき、緊張して手が震えたせいで、ついお湯をこぼしてしまった。そのとき手の甲にお湯がかかってしまった。応急処置として冷たい水で冷やしたが、赤く腫れ上がっていまだにヒリヒリしていた。
「ほんっとに大丈夫だよ。我慢できる」
「そう?」
莉子の声に、周は手を離した。そして何も言わずに背を向けてどここへ行ってしまった。
(怒っただろう)
無理もない。もし立場が逆だったらすごくキレたはずだ。代わりだと言って仕事もできないし、邪魔になるだけで、なんの役にも立たない。そのくせに怪我までして。ほんっとみっともない。
「今日ついてなさすぎじゃん」
変な人に絡まれたし、仕事もできなくて足手纏いになるばかり。なんの役も立たない自分があまりにも情けなかった。あまりにもバカみたいで、赤く腫れ上がった手の甲はヒリヒリして、また涙がこぼれそうになった。
「これ、当ててて」
涙を堪えている最中、突然周の声が聞こえた。莉子は驚いて慌てて涙を拭いながら顔を上げた。周が自分に向かって手を伸ばしている。その手には、丸められた茶色タオルが握られていた。
「これなに」
「氷。皮膚に直接当てるのは良くないってどっかで聞いたから、ビニールに入れてタオルで包んだ。あ、タオル水で洗ったから、安心して。とりあえずこれを当ててて。あとで薬持ってくるから」
「・・・ありがとう」
莉子は周の言葉に従って手の甲に当てた。
(冷たい)
衣の向こうから冷気が伝わってきて手の甲の奥まで染み込んでいった。痛みが少しは治まる気がした。
「ここに座って」
周が丸椅子を一つ持ってきて莉子を座らせた。
「でも注文が」
「大丈夫。俺がやるから。七瀬さんはそこで休んでいて」
周は袖を捲って再び水を沸かし始めた。




