第七話 「正しい距離」
「近づく」と「踏み込む」は違う。
そのことを、悠はようやく少しだけ分かり始めていた。
完全には分からない。
だから、近づかない。
それでは断絶になる。
完全には分からない。
だから、全部分かったフリで近づく。
それでは侵入になる。
問題は、その間だった。
どこまで近づくのか。
どこから先は止まるのか。
その距離を、誰が、どう決めるのか。
悠はノートに書いた。
正しい距離とは何か。
書いてすぐ、線で消した。
正しい距離。
その言い方がもう危うい。
正しい距離など、たぶんない。
近いと安心する人もいる。
近いと苦しい人もいる。
放っておかれると安心する人もいる。
放っておかれると見捨てられたと感じる人もいる。
距離もまた、一人一派なのだ。
その日の社会問題研究会では、「外国人住民との地域トラブル」がテーマだった。
ゴミ出し。
騒音。
集合住宅の共用部。
自治会。
宗教上の生活習慣。
資料には、いくつもの事例が並んでいた。
「これは差別ではなく、前提共有の問題でもあると思います」
三森が言った。
悠は少し驚いた。
以前より、三森の発言は落ち着いていた。
「日本では当たり前でも、相手には当たり前じゃないことがあります。だから、まずローカルルールを説明する必要があると思います」
白峰が頷く。
「契約と慣習の境界だな」
霧島が言った。
「でも、説明した上で守れないなら?」
部室が少し静かになった。
悠はノートに書く。
合わせない自由はある。
だが、入るなら合わせる義務もある。
少し考えてから言った。
「受け入れる側にも責任はあると思います。説明せずに“察しろ”は無理です。でも、説明しても守れないなら、契約や利用条件で切るしかない」
「冷たくない?」
誰かが言った。
悠は首を振った。
「冷たさではなく、距離の問題だと思います。共存するなら、最低限の運用ルールが要る。そこを曖昧にすると、現場が壊れます」
霧島が悠を見た。
「かなり実務寄りになったね」
「哲学で現場を壊したくないので」
白峰が小さく笑った。
「良い傾向だ」
議論は続いた。
ある学生が言う。
「でも、多文化共生って、相手の文化を尊重することですよね」
悠は答えた。
「尊重は、全部受け入れることではないと思います」
言ってから、少しだけ間を置く。
「相手の文化は相手のものとして認める。でも、この場での運用は、この場のルールに合わせてもらう。たぶん、それも距離感です」
三森が頷いた。
「お互いの全部を混ぜない」
「はい」
悠は続けた。
「混ぜると、どちらのものでもなくなる。だから、どこまで共有するかを決める」
霧島が言った。
「近づきすぎない共生」
その言葉は、悠にしっくり来た。
近づきすぎない共生。
それは冷たく聞こえるかもしれない。
だが、近づきすぎる共生は、時々、相手を飲み込む。
全部理解しようとする。
全部混ぜようとする。
全部受け入れようとする。
その果てに、境界が消える。
境界が消えると、今度はどちらかが苦しくなる。
部会のあと、悠は霧島と廊下を歩いた。
霧島が言う。
「今日、よく我慢したね」
「何をですか」
「言いたかったでしょ」
悠は視線を逸らした。
「……少し」
「何て?」
悠は小声で言った。
「他人のチンポジまで多文化共生するな、って」
霧島は吹き出した。
「言わなくて正解」
「分かってます」
二人は少し笑った。
笑えるうちは、まだ大丈夫だ。
研究室に戻ると、白峰が本を読んでいた。
「神代」
「はい」
「今日の議論は悪くなかった」
「ありがとうございます」
「ただし、“合わせろ”は強い言葉だ。使い方を間違えると同化圧力になる」
悠は頷いた。
「はい。だから、最初に説明責任があると思います」
「説明しても合わない場合は?」
「無理に入れない」
白峰は本を閉じた。
「そうだな。境界線は排除のためだけではない。互いを壊さないためにもある」
悠はその言葉を書き留めた。
境界線は、排除だけでなく保護でもある。
チンポジ哲学が、また別の形で現れた気がした。
他人の収まりに踏み込まない。
だが、自分の収まりも壊されない。
距離感とは、一方的な遠慮ではない。
相互保護なのだ。
その夜、悠はノートに書いた。
正しい距離は、最初から決まっていない。
近づきすぎれば侵入になる。
離れすぎれば断絶になる。
だから、場ごとに線を引く。
その線は、相手を消すためではなく、互いを壊さないためにある。
書き終えて、悠は少しだけ手を止めた。
それはもう、チンポジという言葉を使わなくても成立していた。
だが、奥には確かに、あの恥ずかしい聖剣が刺さっている。
悠はノートを閉じた。
抜かない。
でも、そこにあることは知っている。
それくらいが、ちょうどいい。




