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股間に聖剣があった ――分かり合えないと分かり合う哲学  作者: チンポジ博士


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第六話 「分かり合えないことを、分かり合う」

三森の一件のあと、悠は少し落ち着いた。


チンポジ哲学を口に出さなくても、考えることはできる。


むしろ、口に出さない方がよく働く。


それは悠にとって、大きな発見だった。


世界を斬る刃ではない。


自分の踏み込みすぎを止める重し。


そう思えるようになってから、悠は以前より人の話を聞けるようになった。


理解するためではない。


完全には分からないと知るために、聞くようになった。


それは少し不思議だった。


前より諦めているのに、前より近づける。


昼休み、哲学棟の中庭で、悠は霧島と並んで座っていた。


霧島はサンドイッチを食べている。


悠は購買のあんパンを持っていた。


「最近、少し変わったね」


霧島が言った。


「そうですか」


「前は、分からないことに苛立ってた」


「今も分からないです」


「でも、分からないことを敵にしてない」


悠は少し考えた。


確かにそうかもしれない。


以前の悠は、分からないことが怖かった。


だから、分かろうとして苦しくなった。


あるいは、分かった顔をする人に腹が立った。


だが今は少し違う。


分からないこと自体は、悪ではない。


分からないものを、分かったことにする方が怖い。


「分からないって、案外安定するんですね」


悠が言うと、霧島は笑った。


「哲学科二年生の発言としては危ういね」


「退学ですか」


「保留」


その時、白峰が中庭へやってきた。


手には本を持っている。


相変わらず分厚い。


「何を話している」


「分からないことについて」


霧島が答えた。


白峰は当然のように隣へ座った。


「分からないことは、放置してよいという意味ではない」


「分かってる」


悠は言った。


「ただ、分からないまま扱う方法があるんじゃないかと思って」


白峰は少し考えた。


「それは寛容論に近い」


「また偉人ですか」


「偉人ではない。概念だ」


白峰は本を開いた。


「自分と違う価値観や信念を、完全には理解しなくても、存在を許容する。寛容とは、単なる好意ではない」


霧島が頷く。


「嫌いでも許容する、だね」


白峰は言った。


「そうだ。好意ではなく、距離の技術だ」


悠はその言葉に引っかかった。


距離の技術。


それはとても収まりがよかった。


「距離の技術……」


悠が呟くと、白峰が少し嫌そうに言った。


「変な方向へ接続するなよ」


「しません」


「本当だな」


「たぶん」


白峰は疑っていた。


その日の午後、社会問題研究会では、外部講師を招いた小さな勉強会が開かれた。


講師は地域の相談支援員だった。


活動家というより、実務家だった。


年配の女性で、話し方は淡々としている。


「相談の現場では、相手を理解しようとしすぎないことも大切です」


その一言で、悠は顔を上げた。


支援員は続けた。


「もちろん話は聞きます。でも、“分かります”を簡単に使うと、相手を傷つけることがあります」


悠は思わず身を乗り出した。


「相談者の人生を、こちらが全部分かるわけではありません。だから私は、“分かります”より、“聞きました”を大事にしています」


部室が静かになった。


それは、悠がずっと探していた言葉に近かった。


分かる、ではない。


聞く。


受け取る。


ただし、入り込みすぎない。


支援員は言った。


「支援には限界があります。限界を言わない支援者は危険です」


霧島が小さく頷いた。


白峰も何かを書いている。


悠はノートに書いた。


寄り添うより、限界を示す。


支援員は、具体例を話した。


家庭の問題。


仕事の問題。


外国人住民とのトラブル。


宗教上の食事。


騒音。


近所付き合い。


どれも、正解が一つではなかった。


支援員は言った。


「大事なのは、誰の困りごとかを分けることです。本人の困りごと。周囲の困りごと。制度の困りごと。これを混ぜると、話が壊れます」


悠は強く頷いた。


混ぜると壊れる。


まさにそうだった。


講義のあと、質疑応答で悠は手を挙げた。


「相手の気持ちを理解することと、踏み込みすぎることの境界は、どう考えていますか」


支援員は少し笑った。


「良い質問ですね」


悠は少し緊張した。


支援員は答えた。


「私は、“本人が望んだ範囲まで”と考えています」


「本人が望まない場合は?」


「待ちます。あるいは、扱える外部問題だけ扱います」


「外部問題?」


「たとえば、暴力がある。家賃が払えない。通院できない。近所と揉めている。そういう具体的なことです。本人の心の奥まで理解しなくても、扱える問題はあります」


悠はペンを握った。


内心を理解しなくても、外部問題は扱える。


それは、チンポジ哲学を社会へ接続する上で、とても重要な線だった。


支援員は続けた。


「逆に、本人の心を全部分かった気になると、支援者の方が危険になります」


霧島が悠を見た。


悠は目を逸らした。


自分のことを言われている気がした。


勉強会が終わったあと、霧島が支援員に話しかけていた。


悠は少し離れて待った。


白峰が隣に来る。


「今日の話は、君の比喩よりよほど上品だった」


「当然ですね」


「だが、方向は近い」


悠は頷いた。


「限界を言う支援者は誠実だと思いました」


「限界を言う思想もな」


白峰はそう言って、本を閉じた。


その夜、悠はノートを整理した。


新しいページの上に、こう書く。


チンポジ哲学の作法


すぐに消そうとしたが、やめた。


恥ずかしいが、今はまだ必要だった。


一、本人には重要。他人には完全には分からない。

二、完全理解を装わない。

三、内心ではなく、外部問題を扱う。

四、本人が望まない範囲へ踏み込まない。

五、実害が出たら公共問題として扱う。

六、使いすぎない。

七、振り回さない。


最後に一行追加した。


分かり合えないことを、分かり合う。


その言葉を見た時、悠は不思議な気分になった。


それは諦めではなかった。


むしろ、初めて他人へ近づくための出発点に見えた。


翌日。


ゼミで討論があった。


テーマは「共感教育」。


教授が学生に問いかける。


「共感は教育できるでしょうか」


学生たちが答える。


「ある程度は可能だと思います」


「体験学習が有効です」


「他者の立場に立つ訓練が必要です」


悠は黙って聞いていた。


以前なら苛立っただろう。


今は少し違う。


共感教育が全部間違いとは思わない。


想像力は大事だ。


知らないことを学ぶことも大事だ。


ただし、それは完全理解ではない。


悠は手を挙げた。


教授が指名する。


「神代くん」


悠は立ち上がった。


「共感教育は必要だと思います。ただし、“相手の気持ちになれる”というより、“相手の気持ちは完全には分からない”ことを学ぶ教育の方が大事だと思います」


教室が少し静かになった。


悠は続けた。


「分かったつもりになると、相手の内面を勝手に決めつけてしまう。だから、共感の目的は同一化ではなく、距離感を調整することではないでしょうか」


教授はゆっくり頷いた。


「興味深いですね」


白峰が横で腕を組んでいる。


霧島は後ろの席で笑っていた。


悠は、あの言葉を使わなかった。


使わなくても言えた。


それが少し嬉しかった。


講義後、教授が悠を呼び止めた。


「神代くん」


「はい」


「君の言う“距離感”は、大事な論点です。ただし、距離を取りすぎれば無関心になります」


「はい」


「近づきすぎれば侵入になる」


「はい」


「その間をどう扱うか。それを考えるといい」


教授はそれだけ言って去っていった。


悠はしばらく立ち尽くした。


距離を取りすぎれば無関心。


近づきすぎれば侵入。


その間。


そこが、自分の考えるべき場所なのだと思った。


夕方、悠は霧島と中庭にいた。


秋の気配が少しだけあった。


「今日、言わなかったね」


霧島が言った。


「何をですか」


「例の単語」


「言わなくても済みました」


「成長した」


悠は少し笑った。


「でも、頭の中にはありました」


「それでいいんじゃない」


霧島は空を見上げた。


「全部を綺麗な言葉にしなくてもいい。頭の片隅に置いておけば」


悠は頷いた。


「zipで圧縮して」


霧島が笑った。


「何それ」


「必要な時だけ解凍するんです。常時起動すると危ないので」


「確かに、常時チンポジを考えてる人は嫌だね」


「本当に嫌です」


二人は笑った。


笑えるうちは、まだ大丈夫だと思った。


悠は空を見上げた。


星はまだ出ていなかった。


本当は、星や風から真理を見つけたかった。


でも、今は少しだけ受け入れられる。


美しいものだけが、深いとは限らない。


くだらないものが、深い場所へ繋がってしまうこともある。


ただし、深く掘りすぎてはいけない。


そこには虚無もある。


だから、片隅に置く。


必要な時だけ解凍する。


使ったら、またしまう。


悠はノートを閉じた。


そして、小さく呟いた。


「分かり合えないと、分かり合う」


霧島が聞き返す。


「何?」


悠は少し考えてから言った。


「僕の中では、けっこう大事な言葉です」


霧島は少しだけ笑った。


「悪くないね」


その日は、それで十分だった。

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