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股間に聖剣があった ――分かり合えないと分かり合う哲学  作者: チンポジ博士


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第五話 「逆刃刀」

翌週、悠は静かだった。


あまりにも静かだったので、逆に目立った。


講義では手を挙げない。

部室でも発言しない。

研究室でも、ノートだけを見ている。


白峰が言った。


「今度は黙りすぎだ」


悠は顔を上げた。


「振り回さない練習中です」


「極端だな」


「極端なんです」


白峰はため息をついた。


「哲学は沈黙すればいいというものでもない」


「でも、話すと切れます」


「包丁みたいに言うな」


悠はノートを閉じた。


そこには大きく、


抜くな。


と書いてあった。


霧島がそれを見て笑った。


「本当に封印してる」


「封印してます」


「聖剣?」


「逆刃刀です」


「まだ言ってる」


「大事なんです」


霧島は椅子に座った。


「で、逆刃刀って何?」


悠は少し考えてから言った。


「斬れるけど、斬らないためのものです」


「それは知ってる」


「チンポジ哲学も同じです。相手を論破するために使うと、たぶん間違える。自分が踏み込みすぎる瞬間に、自分へ向ける」


白峰が言った。


「つまり自己批判装置か」


「はい」


霧島が頷く。


「距離感の哲学としては正しいね」


悠は少し安心した。


だが、その安心はすぐ崩れた。


その日の午後、社会問題研究会で相談があった。


一年生の女子学生、三森が来ていた。


彼女は部室の端で、小さく座っている。


話を聞くと、所属するゼミで少し揉めているらしい。


テーマは性的マイノリティに関する発表。


同じゼミの学生が、善意でこう言った。


「当事者の気持ちにもっと寄り添おう」


三森はその言葉に違和感を覚えた。


しかし、それを言うと、


「冷たい」

「理解が足りない」

「当事者を傷つける」


と言われた。


三森は言った。


「私、差別したいわけじゃないんです。ただ……寄り添うって言葉が、少し怖くて」


悠は息を止めた。


自分と同じ違和感だった。


だが、ここで抜けばまた切る。


悠は黙った。


白峰が聞く。


「具体的に何が怖かった?」


三森は考え込む。


「その人自身を見ているというより、属性に寄り添っている感じがしたんです」


霧島が言った。


「個人じゃなくて、属性に?」


「はい」


三森は頷いた。


「ゲイだから、女性だから、弱者だから、こう感じるはずだ、みたいな。そんなふうに決めてしまっていいのかなって」


悠の中で、刃が震えた。


言える。


言えば通る。


属性に寄り添うな。個人を見ろ。


しかし悠は、すぐには言わなかった。


代わりに、三森に聞いた。


「三森さんは、どう言いたかったの?」


三森は少し驚いた顔をした。


「私ですか」


「うん。誰かの代表じゃなくて、三森さん自身は」


三森は膝の上で手を握った。


「私は……分からないものを、分かったことにするのが怖いって言いたかったんです」


悠は頷いた。


「それでいいと思う」


白峰が悠を見た。


霧島も見ていた。


悠は続けた。


「分からないから否定する、ではない。分からないから近づきすぎない。たぶん、そういう言い方ならできる」


三森は小さく頷いた。


「でも、それだと冷たいって言われませんか」


悠は少し考えた。


「冷たいかもしれない。でも、熱すぎる善意も怖い」


霧島が口を挟んだ。


「言い方を整えるなら、“当事者一般”に寄り添うのではなく、“目の前の個人の具体的な困りごと”を聞く、かな」


白峰も言う。


「属性から結論を出すな。実害と本人意思を確認しろ。これなら哲学的にも制度的にも通る」


三森の表情が少し緩んだ。


「それなら、言えそうです」


悠は胸をなで下ろした。


抜かなかった。


切らなかった。


でも、少しだけ役に立った。


その夜、悠は霧島と大学の坂を下っていた。


霧島が言った。


「今日は良かったね」


「抜かなかったので」


「抜かなかったけど、使ってた」


悠は立ち止まった。


「使ってました?」


「うん。自分の中で」


霧島は続けた。


「三森さんの違和感を、君が代弁しなかった。まず本人に聞いた。それが良かった」


悠は少し黙った。


「前なら、たぶん言ってました」


「何を?」


悠は苦い顔をした。


「あなたのチンポジに寄り添うな、って」


霧島は笑った。


「言わなくて正解」


「はい」


「でも、その言葉が頭にあったから距離を取れたんでしょ」


悠は頷いた。


「たぶん」


「なら、それでいい」


夜風が吹いた。


悠はようやく、少しだけ分かった気がした。


チンポジ哲学は、口に出さなくても使える。


むしろ、口に出さない方がいいことの方が多い。


それは、相手を黙らせる言葉ではない。


自分を止めるための、恥ずかしい刃だった。


翌日。


三森はゼミでこう言ったらしい。


「私は、属性に寄り添うより、個人の困りごとを聞いた方がいいと思います」


揉めはした。


だが、前より議論になった。


白峰はそれを聞いて言った。


「実にまともだ」


霧島が言った。


「元の発想がチンポジとは思えない」


悠は机に突っ伏した。


「言わないでください」


白峰が真顔で言った。


「やはり名称だけが致命的だ」


「そこは僕も同意します」


教授が研究室に入ってきた。


「何の話ですか」


全員が黙った。


教授は穏やかに笑った。


「まあ、聞かないでおきましょう」


悠は少し感動した。


不問。


これだ。


教授は何も聞かなかった。

しかし、無視したわけではない。


距離を取ったのだ。


悠はノートを開いた。


不問とは、無関心ではない。

踏み込まないという配慮である。


その下に、もう一行書く。


逆刃刀は、抜かない時に一番働く。


その文字を見て、悠は少しだけ笑った。


やっと少し、収まりがよくなった気がした。

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