キラリン湖の魔物
「ギルマスは居るか?!」
男の人が顔色を変えて飛び込んできた。ちょうど酒場の方の掃除の手伝いをしていた時のことだった。
ギルドは朝早くから開いているけど、冒険者さんたちは夜型が多いのでお昼少し前までは大抵受付は開店休業状態。なので酒場の方の手伝いをすることが日常になっていた。
だから、その男の人の来訪は本当に珍しいことだった。
カラシ色の短パンに上着も簡単な上っ張りを羽織っただけで、発達した胸の筋肉や腹筋を露にした大男。浅黒い肌が屋外の肉体労働に従事していることを雄弁に物語っていた。
その男の人に似たり寄ったりした人がもう2、3人ギルドのドアを開けて入ってきた。みな一様に強張った表情をしている。
一見してただ事ではないと思った。
「は、はい。奥に居ますけどなんの御用でしょう」
慌てて奥への入り口と男の人の間に割って入る。たとえどんな用件であろうがいきなりギルドマスターに合わせるのは、受付嬢としての矜持が許さない。
「なんの用だと? 冒険の依頼に決まってるだろ」
「クエストの発注ですか?
そ、それならこちらの申請用紙に必要要件を」
「バカ野郎! そんなのんきなことをいってられるか!人が死んでるんだぞ!
今すぐにでもあの化け物を退治くれ!」
化け物? 人が死んでる?
どれも物騒な単語だった。急いでいるのは分かるけど規則は規則なのだ。
「困ります。申請書類はクエストのランクを正しく査定するためのものです。ちゃんと書いていただかないと受け付けるわけにはまいりません」
「あー、頭の悪いネーちゃんだな。
いいか、その暇がないって言ってんだろ。そういうめんどくさいことをしたくないからギルマスに面と向かって話がしたいって言ってるんだよ」
男の人がぐっと近づいてくる。すごい圧がかかってくる。肩を掴まれ無造作に小突かれた。
不意をつかれてバランスを崩してそのまま私はあっけなく尻餅をついてしまった。
「受付の小娘は引っ込んでろ」
男の人は私を見下ろすとそんな言葉を投げつけた。恥ずかしさで顔がかっかと火照る。蔑みの言葉ではなく、ちょっと小突かれただけで無様に転んでしまう自分がなにより恥ずかしかった。
「なにを揉めている?」
突然背後から声がかかった。振り向くと事務所のドアが開いて、一人の男の人が立っていた。
簡素な服に中肉中背。
ガンツさんだ。
これといって目立ったところのない人物。それが、私たちの冒険ギルドのギルドマスターだ。
略してギルマス。ここで一番偉い人で、私の雇い主。ちなみちA級冒険者だ。
ガンツさんは黙って床に倒れている私にチラリと視線を向けた。すごく恥ずかしかった。
「あんたに話があってきたんだ。すぐに依頼っ?!」
ガンツさんに詰め寄ろうとした男の言葉が凍り付いた。いつの間に抜かれたのかガンツさんの腰の剣が男の人の喉元に突きつけられていた。ガンツさんの目がすーーと引き絞られる。
「その前に、謝罪が先じゃねーのか」
「な、なんの話だ。お、俺たちはただ、クエストの依、依頼をしにきただけだ」
「ふーん、俺には大声で怒鳴り散らして、うちの大事な従業員に乱暴を働く無法者にしか見えんが? 退治がどうとか言っていたが、退治しなくちゃなんねーのはお前ってことでいいか?」
「い、いや、すまねぇ、俺たちも焦っていたんだ。それでつい、な。
謝る。謝るから、その剣をとりあえず収めてくれ」
「謝るのは俺にじゃねぇ」
ガンツさんは滑らかな動きで剣を鞘に納めると、私を抱き起した。そして、男の人の前に立たせる。
「この子に謝れ。話はそれからだ」
男の人は、露骨に嫌な顔をしたがガンツさんににらまれて、頭を下げた。
すまねぇ、悪かったと目をそらし気味の謝罪の言葉には誠意は感じられなかったけれど、一刻も早く、みんなの視界から消え去りたかったのでそれを受けいれた。そして、逃げるようにギルド入り口近くにある自分の定位置、すなわち受付のブーツへと逃げ込んだ。
「キラリン湖に化け物がでた?」
「そうだ。朝の漁で網を投げていた舟がやられた。
湖面に黒い長い影のようなものがうっすらと見えたと思ったら続けざまに舟が何艘もひっくり返された。10人以上が湖に投げ出されて、その内4人が行方不明だ」
「黒く長い影ねぇ。だれかその化け物の姿を見たやつはいないのか?」
ガンツさんと例の男の人は酒場のテーブルのところで話し合っていた。
キラリン湖の名前が出た時から、私は受付のところでじっと二人の話に聞き耳を立てていた。
男の人は名前をブライアンさんというらしい、ブライアンさんはキラリン湖の漁業組合の偉い人らしい。
「湖に投げ出られた奴らはみんな無我夢中だったんでな。ただ、水中をすごい勢いで動き回る黒い塊を見たっていうのは何人かいる」
ブライアンさんはそういうと後ろに控えている数人の男の人たちの顔を見た。似たり寄ったりの服装をしていたのでみんな漁師さんなんだろう。とりあえず向かって右からブライアン手下1、2、3と番号を振っていったら手下6まで数えれた。
「今度は黒い塊か。それじゃあ、魔物の特定ができねぇな」
すこし、イライラしたようにガンツさんがいった。クエストを受けるにしても対象の正体がわからないとランクの設定ができない。ランクの設定は冒険者の命にかかわる話だ。だからギルマスの最重要責務で、神経を使うところなのだ。
「話を聞く限りだとウミヘビ系統の魔物のようだけど。キラリン湖にそんな魔物が生息してるなんて聞いたことないわね」
真っ白い服を着た女の人がガンツさんの隣に座った。我が冒険者ギルドの副ギルマスのコーネリアさんだ。ガンツさんのパーティのレギュラーで治療師。こちらもAランク冒険者さんだ。
「ウミヘビ系統っていってもピンキリだからなぁ。せめて大きさぐらいわからないのか?」
ガンツさんの問いに、ブライアンさんは自分の後ろに控えていた手下1~6の顔を順々に見て回ったが、手下たちはみんなふるふると首を横に振るだけだった。
「あ、あのぉ。私、それみたかもしれません」
ずっと悩んでいたが、私は意を決してそう言った。
2021/10/24 初稿
2022/06/07 誤記訂正




