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第九章 挨拶

 そして——。

 コツ。コツ。

 広々とした本部のロビーに、規則正しい足音が響いた。

 最初は誰も気に留めていなかった。

 談笑している組員さん。

 資料を抱えて走る人。

 応接室へ向かう人。

 電話をしながら歩く人。

 皆、それぞれの仕事をこなしていた。

 しかし——。

 その足音が近付いてきた瞬間だった。

 まるで誰かが合図でも出したかのように。

 全員が一斉に動きを止める。

 そして。

 サッ。ササッ!

 誰も声を掛け合うことなく、美しい動きで左右へ分かれ始めた。

 背筋を伸ばし。

 両手を前で揃え。

 一直線に整列する。

 その動きには一切の乱れがない。

 誰か一人でも遅れることはなく、まるで長年訓練された軍隊のようだった。

 そして。

 その人物が前を通り過ぎるたび——。

「「お疲れ様です!!」」

 全員が深々と頭を下げる。

 右。左。右。左。

 順番に。

 まるで精巧に組み立てられたドミノ倒しのように、頭を下げる動きが波のように伝わっていく。

「おお……」

 思わず見惚れてしまった。

「すっげえ……」

 ミライ・ユくんも感心している。

「こんなの初めて見たよ……!」

 トロンプくんも目を丸くしていた。

 そして、その人物は——。

「あ、いいよいいよ」

 柔らかな声が響く。

「皆、元の場所に戻ってお喋りしててね」

 パンッ。軽く手を叩く。

「はい、戻って戻って〜」

 その一言で、組員さんたちは一瞬だけ顔を見合わせた。

「え……?」

「いいのかな?」

「本当に戻って?」

 そんな表情を浮かべる人もいた。

 しかし。

「あなた様がそう言うなら」

 というように皆すぐ笑顔になり、

「失礼します!」

「では!」

 それぞれ元いた場所へ戻っていく。

 談笑していた人はまた談笑を始め。

 書類を持っていた人は仕事へ戻り。

 ロビーには再び穏やかな空気が流れ始めた。

 その光景を見て、僕は思わず笑顔になる。

 やっぱり。

 この人だ。

「ゼーユ看護師長!」

 真っ白な白衣をなびかせながら、颯爽とこちらへ歩いてくる。

 長い白衣が歩くたびにふわりと揺れ、その姿はまるで物語に出てくる名医そのものだった。

「君たち!」

 ゼーユ看護師長はいつもの優しい笑顔を浮かべる。

「よく来てくれたね」

「こんにちは!」

 僕は元気よく頭を下げた。

「こんにちは!」

「こんにちはッ!」

 ミライ・ユくんとトロンプくんも慌てて挨拶する。

「あはは。元気そうで安心したよ」

 ゼーユ看護師長は嬉しそうに笑った。

「最初はびっくりしたでしょ?入口。全部壁紙なんだもんね」

「いやあ!」

 僕は思わず苦笑する。

「本当に驚きました!」

「家具も人も全部本物だと思って近付いたら、全部壁紙で!」

「『何もない!?』って三人とも大混乱でした!」

「あははは!」

 ゼーユ看護師長はお腹を抱えて笑った。

「毎回みんな同じ反応するんだよね。だから、あそこを見るの結構好きなんだ」

「意外と趣味悪いですね?」

 思わずツッコミを入れる。

「あはは、否定はしないよ」

 ゼーユ看護師長は悪びれる様子もなく笑っていた。

「それに、本人認証でも驚きました!」

「ん?」

「兄さんとの思い出を話してください、なんて言われちゃって!」

「おお!」

 ゼーユ看護師長の目が少し輝く。

「それは面白そうだね。私にも聞かせてよ!どんな話をしたの?」

「えっとですね」

 僕は少し照れながら昔話を始めた。

「兄さんがパンケーキを作ってくれたことがあって……」

 焦げて真っ黒になったこと。

 止められたのに食べたこと。

 苦すぎて吐き出したこと。

 兄さんが笑いながら謝ってくれたこと。

 最後は二人でもう一度焼き直して、一緒にデコレーションしたこと。

 話し終えると。

「ふふっ」

 ゼーユ看護師長は優しく笑った。

「あはは、カクシエくんらしいね。想像できるよ。とっても微笑ましい話だった」

「ありがとうございます」

 少し照れくさくなる。

 その時だった。

「あ」

 ゼーユ看護師長が何かを思い出したように手を叩いた。

「そうそう」

「カクシエくんなんだけどね。今日は来られないみたいなんだ」

「……え?」

 胸が少しだけドキリとする。

「なんでも——」

 ゼーユ看護師長は苦笑しながら、小さなメモを取り出した。

「本人から伝言預かってるよ」

 そして、少し声色を変えながら読み上げる。

「『ごっめーーん☆!!』」

 あ。

 兄さんだ。

 この独特なテンション。

「『会議も超大事!なんだけど、コッチも大事でさあ!!今日は行けないわ!本当にごめん!!ゼーユさんッ!!』」

 完全に兄さんだった。

「ええぇぇぇぇぇぇ~~!!」

 思わず大きな声が出てしまう。

「兄さん……!」

 せっかく。

 久しぶりに会えると思っていたのに。

 直接話せると思っていたのに。

 少しだけ胸の奥が寂しくなる。

 ゼーユ看護師長はそんな僕を見て、優しく笑った。

「残念だけど、仕方ないね」

「カクシエくんも、組織のボスだから。世界中を飛び回ってるんだ」

「会議の内容は、もう事前に全部伝えてある。だから今日は、ここにいる大幹部の皆へ説明するだけになるかな」

「……そうですか」

 僕は少しだけ肩を落とした。

 久しぶりに兄さんの顔を見たかった。

 兄さんの声を聞きたかった。

 直接、「元気だった?」って聞いてほしかった。

 そんな気持ちが胸いっぱいに広がる。

 だけど。

 兄さんが忙しいことくらい、僕が一番よく知っている。

「……うん」

 僕は小さく笑った。

「兄さんも、お仕事頑張ってるんだもんね。また今度会える日を楽しみにしてます!」

「その意気だ」

 ゼーユ看護師長は優しくうなずくと、くるりと本部の奥へ振り返った。

「さあ」

「皆、待ってるよ」

「いよいよ——大会議の始まりだ。」

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