第七章 ゼーユ看護師長からの相談
そして。
「今は……十七時か。送っていこう」
コントラストニュアンスさんはそう言った。
「いえいえ!自分たちで帰るので、大丈夫ですよお!!」
ミライ・ユくんがそう言ったが。
シュン!!
魔法陣が僕たちを包んだとも思ったら、家の前の門についていた。
「うお!」
応用魔法も難なくこなす、流石大幹部だなあ……!
「さて。では」
コントラストニュアンスさんは帰ろうとする。
「機会があればまた会おう。その時は、よろしく頼む」
「あ!待ってコンさん!!まだ話したりない——」
トロンプくんがそう言うも、コントラストニュアンスさんは光の中に姿を消した。
「ああ~~!!折角久しぶりに話せたのに~~!!」
悔しがるトロンプくん。
僕たちは、まあまあ!と優しくなだめた。
それに。
なんだか……近いうちにまた会えそうな予感がした——
◇
そして。
あれから数日が経ち。
僕たちは、再びVenom Desire医療班本部へと足を運んでいた。
もちろん目的は——仕事の手伝いだ。
受付には今日も朝から長蛇の列。
診察を待つ人々。
治療を終えて安堵した表情で帰っていく患者さん。
そして、慌ただしく廊下を駆け回る医療班の人たち。
この建物は今日も大忙しだった。
僕たちも朝から、それぞれ任された仕事をこなしている。
薬品を運んだり。診察室へ患者さんを案内したり。資料を届けたり。掃除をしたり。
できることは決して多くない。
でも、それでも誰かの役に立てるのなら嬉しかった。
正直に言えば。
医療班へ来るたびに胸が痛くなる。
怪我をして苦しそうにしている人。
家族を心配そうに見守る人。
そんな光景を見るたび、自分まで苦しくなってしまう。
「魔法がある世界なら、みんな幸せなんじゃないか」
最初はそんな風に思っていた。
だけど現実は違う。
魔法があるからこそ起きる事故もある。
魔法犯罪もある。
病気だって存在する。
この世界にも、人は傷つき、苦しみ、涙を流す。
だからこそ。
誰かを助けられる仕事は、本当にすごいと思った。
少しでも力になれるなら。
少しでも笑顔を取り戻してもらえるなら。
僕は、何度でもここへ来たい。
そう思っていた。
◇
そして昼休み。
午前中いっぱい働き続けた僕たちは、ようやく一息つくことができた。
医療班本部の休憩スペース。
窓から柔らかな陽射しが差し込み、心地よい風がカーテンを揺らしている。
僕たちはいつものように丸い木製のテーブルを囲み、それぞれ飲み物を片手に腰掛けていた。
「はぁ~~っ!」
トロンプくんが大きく背伸びをする。
「今日もいっぱい患者さん来たねぇ~!」
そのまま椅子へぐったりともたれ掛かった。
「朝からずーっと動きっぱなしだったよぉ」
「だな」
ミライ・ユくんも苦笑する。
コップのお茶を一口飲みながら肩を回した。
「今日は普段より多かった気がする」
「んね」
僕もうなずく。
少し疲れてはいたけれど、不思議と嫌な疲れではなかった。
三人そろって休憩できるこの時間が、なんだか心地よい。
「そういえばさー!」
トロンプくんが急に身を乗り出す。
「今日も魔法の相談してた患者さんいたんだよ!」
「あー!」
僕も思わず笑う。
「僕も会った会った!」
「能力が思うように発動しないって悩んでる人でしょ?」
「そうそう!」
トロンプくんが何度もうなずく。
「『最近火の魔法使うと煙しか出ないんです……』って」
「それでゼーユ看護師長が」
ミライ・ユくんが思い出したように笑う。
「『睡眠不足ですね』って一発で見抜いてたな」
「すごかったよねぇ!」
「結局ちゃんと寝たら治ったし」
三人で顔を見合わせて笑う。
「あとさ!」
「僕、今日は迷子の子も案内したよ!」
「あ、それ俺見た」
ミライ・ユくんが笑う。
「最後、親御さん泣いてたな」
「うん!」
トロンプくんも嬉しそうに笑顔になる。
「無事会えてよかったぁ!」
「僕はね」
僕も今日の出来事を思い出す。
「おばあさんが荷物持ってて大変そうだったから運ぶの手伝ったんだ」
「へぇ!」
「ありがとうって言われちゃった」
「カゲエくんらしいな」
ミライ・ユくんが少し笑う。
「困ってる人見つけると放っておけないもんな」
「えへへ……」
少し照れてしまう。
こうやって今日あった出来事を話しているだけなのに。
なんだか楽しい。
忙しい午前中の疲れなんて、自然と忘れてしまうくらいだった。
すると——
《……カゲエくん》
「え?」
突然だった。
誰かが。
僕の名前を呼んだ。
でも、その声は耳から聞こえたわけじゃない。
頭の中へ直接響いてくるような、不思議な感覚だった。
「……?」
思わず辺りを見回す。
でも誰も僕を呼んではいない。
ミライ・ユくんとトロンプくんも普通に話を続けている。
聞こえたのは、僕だけらしい。
この声は——
《あー、あー》
《聞こえてマスか?》
《今、君の脳内へ直接語り掛けてマス》
「(おおっ!?)」
思わず目を丸くする。
間違いない。
ゼーユ看護師長だ。
頭の中へ直接話しかけるなんて……そんなことまで出来るの!?
《驚かせてしまったね》
《少しだけ入り口の方を見てくれるかな?》
言われるまま、ちらりと休憩室の入口へ視線を向ける。
すると。
ドアの影から、ひょこっと誰かが顔を覗かせていた。
白衣姿。
優しそうな笑顔。
そして、小さくこちらへ手招きしている。
ゼーユ看護師長だった。
《今は私の分身が診察を担当してる》
《だから仕事の方は心配しなくて大丈夫》
なるほど。
だからこんなところに来られるのか。
《少しだけ……君に話しておきたいことがあるんだ》
その声音が、ほんの少しだけ真剣になる。
僕は自然と姿勢を正した。
《ミライ・ユくんとトロンプくんには……トイレでも行ってくる、とでも言って席を外してもらえるかな?》
「……?」
何だろう。
少し気になった。
わざわざ二人に聞かれないように話したいこと。
しかも、こんな方法で呼び出すなんて。
何か重要な話なのかもしれない。
僕は小さく頷き、二人へ向き直った。
「あー……」
できるだけ自然に笑顔を作る。
「ちょっとトイレ行ってくるね」
「おっ」
トロンプくんが気軽に手を振る。
「行ってらっしゃーい!」
ミライ・ユくんも笑う。
「迷うなよー?」
「もう!」
僕は思わず笑ってしまった。
「トイレくらい迷わないよ!」
「ははは!」
三人で少し笑い合う。
その何気ないやり取りに少しだけ安心しながら、僕は席を立った。
そして。
ゼーユ看護師長が待つ休憩室の入口へ向かって、一歩、また一歩と歩き始める。
看護師長はいまだ小さく手招きを続けている。
その穏やかな笑顔の奥に隠された「話しておきたいこと」とは、一体何なのだろうか。
胸の奥に小さな緊張を抱えながら、僕は静かにゼーユ看護師長のもとへ歩いていった。
◇
「ここなら誰にも聞かれないかな。カゲエくん、来てくれてありがとね」
ゼーユ看護師長は、僕を医療班本部の奥へと案内してくれた。
廊下を歩くたび、白く磨き上げられた床に靴音が静かに響く。
先ほどまで聞こえていた患者さんたちの声や、看護師さんたちが忙しく走り回る音も、だんだん遠ざかっていく。
案内された先は、一室の手術室だった。
大きな手術台。
無数の医療器具。
天井には眩しいほどの手術灯。
けれど——。
この部屋は、不思議なほど静かだった。
誰もいない。シーン、とした空気だけが漂っている。
もちろん理由は知っている。
ゼーユ看護師長が、魔法だけでほとんどの患者さんを治療してしまうからだ。
手術そのものを行う機会がほとんどなく、この部屋は滅多に使われないらしい。
だからこそ。
人に聞かれたくない話をするには、これ以上ない場所だった。
ゼーユ看護師長は静かに部屋の扉を閉める。
カチャリ。
その小さな音だけが部屋に響いた。
「何か……大事なお話なんですか?」
僕は少し緊張しながら尋ねる。
「ああ、ちょっとね」
ゼーユ看護師長はいつもの穏やかな笑顔を浮かべながらも、その瞳だけはどこか真剣だった。
「Venom Desireの今後に関わる、大事な話なんだ」
「今後……」
思わず息をのむ。
Venom Desireの今後。
そんな重大な話を、どうして僕なんかに……?
ゼーユ看護師長はゆっくりと言葉を続けた。
「今度ね」
「大幹部全員を集めて、一つの議題について話し合う大会議を開こうと思っているんだ」
「大会議……!」
思わず声が漏れる。
大幹部全員。
モノクロームさん。
グラデーションさん。
コントラストニュアンスさん。
ゼーユ看護師長。
その他、まだ会ったことのない大幹部の人たちも全員集まるということだ。
そんな光景、想像しただけでも圧倒されてしまう。
Venom Desireの最高戦力が、一つの部屋に集まる。
まさに歴史的な会議だ。
「そこでなんだけど」
ゼーユ看護師長は、僕の目をまっすぐ見つめた。
「カゲエくんも、よかったら参加してほしいんだ」
「…………え?」
一瞬、頭が真っ白になる。
「えええええええッ!?」
思わず大声を上げてしまった。
「ぼ、僕がですか!?」
「うん」
ゼーユ看護師長はあっさりとうなずく。
「どうして僕なんかが……!?」
慌てて両手を振る。
「だ、大幹部の皆さんが集まるんですよね!?僕なんてまだ新人ですし!そんなところに入ったら場違いなんじゃ……!」
「あはは」
ゼーユ看護師長は思わず吹き出した。
「君、自分の立場忘れたの?」
「え?」
「『ボスの弟』」
その一言だけで、僕は言葉を失った。
「それは、どんなことがあっても揺るがない事実だろう?」
「……」
「君はVenom Desireにとって、とても大切な存在なんだ」
「だから私は、君にも参加してほしい」
その優しい声には、社交辞令なんて一切感じられなかった。
本気で、そう思ってくれている。
だからこそ——。
「ええ……!?ぼ、僕なんかでいいなら……」
思わず頬をかいてしまう。
それに。
大会議ということは。
兄さんも来るかもしれない。
久しぶりに直接会えるかもしれない。
そう思うだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「あの……でも、一つだけいいですか?」
「ん? なんだい?」
「その……」
僕は少し視線を泳がせる。
「僕だけだと……その……」
「すごく緊張しちゃうので……」
ゼーユ看護師長はクスッと笑う。
「正直だねぇ」
「だから……」
「ミライ・ユくんと、トロンプくんも、一緒に参加してもいいですか?」
「……うーん」
ゼーユ看護師長は腕を組み、小さく唸った。
「うーん……」
「うーーーーん……」
珍しく、本気で考え込んでいる。
普段なら何でも即決しそうな人なのに。
やっぱり難しいお願いだったんだろうか。
僕は慌てて首を振った。
「あ、やっぱり今のなし——」
「……分かったよ」
「!」
ゼーユ看護師長は小さく息を吐く。
「私がなんとか……してあげよう」
「わあっ!!」
思わず顔が明るくなる。
「ありがとうございますっ!!」
勢いよく頭を下げた。
「ふふ。二人とも優秀だからね」
「きっと他の大幹部のみんなも、会えば気に入ってくれると思うよ」
そう言って優しく笑う。
「明日の昼頃、Venom Desire本部まで来てくれるかな?ミライ・ユくんなら場所は知っているだろう?」
「早速、会議を開いちゃうよ」
「明日の昼……!」
思わずごくりと唾を飲む。
まさか、こんなに早くその日が来るなんて。
昨日まで普通に医療班のお手伝いをしていた僕が。
明日はVenom Desire最高幹部たちの大会議に参加することになる。
期待と、不安と、緊張。
いろいろな感情が胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。
「じゃ、それだけ」
ゼーユ看護師長は扉へ向かって歩き出す。
「忙しいところ来てくれてありがとう、カゲエくん」
ドアノブに手を掛け、振り返る。
「明日はよろしくね」
「……はい!」
僕も笑顔で返事をした。
扉が静かに閉まる。
再び静寂に包まれた手術室で、僕は胸に手を当てた。
——いよいよ。
Venom Desireの、本当の中枢へ足を踏み入れる時が来たのだった。




