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第十六章 救いのカタルシス

「——」

 一瞬。

 本当に、一瞬だけ。

 私は言葉を失ってしまった。

 二人の瞳は真っ直ぐだった。

 冗談ではない。

 本気で、私を仲間として迎え入れたいと思ってくれている。

 その気持ちは、痛いほど伝わってきた。

 もちろん——。

 私だって入りたい。この子たちと一緒にいたい。

 この子たちが目指す世界を、隣で見届けたい。

 犯罪のない世界。誰も泣かない世界。

 そんな優しい夢を、本気で叶えようとしている彼らを、支えてあげたい。

 ……でも。

 私は、小さく首を横に振った。

「……私はね」

 静かに口を開く。

「人間じゃ……ないんだ」

「「え?」」

 二人の表情が固まる。

 予想していた返事とは、まったく違ったのだろう。

 お互いに顔を見合わせ、不思議そうに首をかしげている。

「……どういうこと、ですか?」

 カクシエくんが、恐る恐る尋ねてきた。

 私は少しだけ目を閉じる。

 これを言えば。もしかしたら。

 今まで築いてきた関係は、全部壊れてしまうかもしれない。

 皆、最初はそうだった。

 正体を知った途端、逃げていく。

 怖がる。悲鳴を上げる。

 それが当たり前だった。

 だから私は、人間の姿に変身していた。

 ……でも。

 この二人には。

 嘘をついたまま仲間になることだけは、したくなかった。

「……私の」

 一呼吸置く。

「本当の姿を見ても……」

「怖がらないかい?」

 二人は黙って聞いている。

「それでも」

「入っていいよって、温かく迎えてくれるなら——」

 私は優しく微笑んだ。

「その時は、ぜひ」

「君たちに協力したい」

 そう言って。

 私は。

 変身魔法を解除した。

 今思えば。

 どうしてあの時、あんなにもあっさり正体を見せてしまったのだろう。

 慎重な私らしくない。

 もっと別の伝え方だってあったはずだ。

 けれど、あの時の私は。

 きっと。

 心のどこかで信じたかったんだ。

 この子たちなら。

 受け入れてくれるんじゃないかって。

 シュウウウウウ……

 変身魔法がゆっくりとほどけていく。

 人間の姿が光に包まれた。

 そして。

 私の身体は、みるみる変化していく。

 百七十センチだった身長は、ぐんぐんと伸び始める。

 二メートル。

 三メートル。

 四メートル。

 あっという間に巨大な身体へと変わっていった。

 白衣は魔法によって同じように巨大化し、身体を包み込む。

 肌の色も、人間の肌色から、美しい淡い水色へと変化する。

 筋肉は大きく隆起し、全身から圧倒的な魔力が溢れ始める。

 その姿は、人間とは明らかに違う。

 地球には存在しない生命体。

 これが——

 本来の私だった。

「「!!!?」」

 流石に二人とも目を見開いた。

 口もぽかんと開いている。

 私は少しだけ寂しそうに笑う。

「私は……」

「この地球の生き物じゃない」

 静かな声で語る。

「パラレルワールドから来た」

「人間の食べ物を研究するために、この地球へ来て」

「そして、この教会へ辿り着いた」

 少しだけ空を見上げる。

「私の種族は——」

「《人間の上位種》だ」

 言い終えた。

 辺りは静まり返る。

 風だけが、木々を揺らしていた。

 二人は何も言わない。

 やっぱり、怖かったかな。

 そう思った、その時だった。

「……かっけえ」

「え?」

 思わず聞き返す。

 すると。

「かっけええええええ!!!!」

 アールデコくんが目をキラキラ輝かせながら叫んだ。

「でっけえええええ!!!!」

「上位種って何だよそれ!!」

「ロマンありすぎるだろーーー!!」

 そのまま私の足元まで駆け寄ってくる。

 カクシエくんも負けじと走ってきた。

「すげえ!!」

「肌、水色じゃん!!」

「めっちゃ綺麗!!」

「しかも魔力、すごっ!!」

 二人とも、完全に興奮していた。

 ……あれ?

 反応がおかしい。

 怖がるどころか。

 ものすごく目を輝かせている。

「なんか肌ぷるぷるしてる!」

「触ってもいい!?」

「あ、ああ……」

 私は戸惑いながら頷く。

「別に、構わないけど……」

「やったーー!!」

 ぺた。

「おおおお!!」

「ぷにぷにしてる!!」

「すげえ!!」

「冷たくて気持ちいい!!」

「肌めっちゃ綺麗じゃん!!」

 子どものようにはしゃぐ二人。

 私はただ呆然としていた。

「……」

 そんなはず、ない。

 怖くないの?逃げないの?化け物だって思わないの?

 私は恐る恐る聞いた。

「……こわく」

「ないのか?」

「「え?」」

 二人は同時に首をかしげる。

「私は……」

「君たちを……」

 少しだけ声が震える。

「食べちゃうかもしれないぞ?」

 少しでも怖がってくれた方が、むしろ自然だった。

 すると。

 一拍置いて——

「「あはははははは!!!」」

 二人は大笑いした。

「何それーー!!」

 アールデコくんがお腹を抱えて笑っている。

「脅し文句が『食べるかもしれない』って!」

「めちゃくちゃ優しい人じゃん!!」

「普通もっと、『世界を滅ぼす』とか言うだろ!」

「はははは!!」

 カクシエくんも笑いながら頷いた。

「それに俺たちはさ」

「もう知ってるんだよ」

 二人は私を真っ直ぐ見上げる。

 その瞳には、一切の恐怖も偏見もなかった。

 あるのは、信頼だけだった。

「「ゼーユさんが優しい人だって——もう知っちゃってますから!!」」

 その一言が。

 胸の奥へ、真っ直ぐ飛び込んできた。

 今まで、誰にも言ってもらえなかった言葉。

 種族ではなく。力でもなく。見た目でもなく。「私自身」を見てくれた。

 その瞬間。

 胸の奥で、何かが音を立ててほどけていくのを感じた。

 ……ああ。

 私は、この子たちとなら。

 一緒に歩いていきたい。

 心の底から、そう思えたのだった。


 ◇

 そして——。

 約束の集合時間。

 夕暮れが近づき、森の中は赤く染まり始めていた。

 私は教会をあとにし、一人、森の奥深くへと足を進める。

 人間は誰一人として立ち入らない、深い深い森。

 鳥のさえずりだけが響き、風が木々を揺らす静かな場所。

 その開けた空間には——

 私たちを地球へ運んできた巨大な魔法ロケットが、静かに待機していた。

 銀色の機体には、上位種の紋章が刻まれている。

 魔法陣がいくつも展開され、発射準備はすでに整っていた。

「……おっ」

 誰かがこちらに気付く。

「やっと来たかよー!」

「カタルシス!」

 同僚たちが手を振っている。その中には、幼馴染の姿もあった。

「集合時間、ちょっと過ぎてるぞ?」

「たっく、お前が遅刻なんて珍しいじゃねえか」

 冗談交じりに笑う同僚。

 私は小さく頭を下げた。

「ああ……すまない」

 本当は。

 もっと教会のみんなと話していたかった。

 もう少しだけ。あと少しだけ。

 そんな気持ちが、足を止めてしまっていた。

「部長も少し怒ってるぞー」

「早く乗ろうぜ」

「地球なんてもう十分見ただろ?」

 皆がロケットへ乗り込んでいく。

 ガシャン。

 ガシャン。

 金属製の階段を上る音が森に響く。

 だが——

 私は。

 その場から一歩も動かなかった。

「……?」

「どうした?」

 幼馴染が振り返る。

「カタルシス?」

「早く来いよ」

 私はロケットを見上げる。

 故郷へ帰るための乗り物。

 いつもなら迷わず乗り込んでいた。

 でも。今は違う。

 私は静かに息を吸い込み——

 覚悟を決めた。

「……私は」

 全員がこちらを見る。

「この惑星〈地球〉で、生きていく」

 静寂。

 森から音が消えたように感じた。

「……え?」

 一人が声を漏らす。

「何言ってんだ?」

「冗談だろ?」

「早く来いよ」

 皆が困惑した表情を浮かべる。

 当然だった。

 故郷を捨てるなんて。

 普通なら考えられない。

 私は首を横に振る。

「私は」

「昔から——」

 胸に手を当てる。

「人間が、大好きだった」

「!」

 皆の目が大きく見開かれる。

 私は続けた。

「人間は弱い」

「寿命も短い」

「怪我もする」

「失敗もする」

「泣く」

「迷う」

「それでも」

「誰かを守ろうとする」

「大切な人のために、自分を犠牲にする」

「笑顔を守ろうとする」

「愛することをやめない」

 一つ一つ。

 心の中に溜め込んできた想いを言葉にしていく。

「私は……そんな人間が」

「昔から大好きだった」

「可愛くて」

「尊くて」

「愛しくて」

「見ているだけで幸せになれて」

「ずっと……」

「ずっと一緒にいたかった」

 今まで誰にも話せなかった本音。

 何百年も胸にしまい続けてきた想い。

「私は人間を守りたい」

「人間の笑顔を見ていたい」

「人間と一緒に笑っていたい」

「だから」

「私は地球に残る」

「それが——私の人生だ」

 話し終える頃には。

 いつの間にか。

 研究員だけではなく。

 部長や責任者たちまで集まっていた。

 皆、何も言わない。

 ただ。

 信じられないものを見るような目で、私を見つめている。

「(何を言っているんだ、こいつ)」

「(人間なんかのために?)」

「(頭でもおかしくなったのか?)」

 そんな視線だった。

 

 その時だった。

「……」

 一人だけ。

 ゆっくり前へ出てくる人物がいた。

 幼馴染だった。

 彼は少しだけ笑って。

 静かに言った。

「……知ってたよ」

「!」

 思わず顔を上げる。

「カタルシスが」

「人間のことを愛してるのは」

「なんとなく分かってた」

「……」

「昔からさ」

「人間を見る時だけ、お前」

「すげえ優しい顔してたもんな」

 その一言だけで。

 胸がいっぱいになった。

 誰にも気付かれていないと思っていた。

 誰にも理解されないと思っていた。

 でも。

 一番近くにいた親友だけは。

 ちゃんと見ていてくれた。

「……行ってこい」

 幼馴染は笑う。

「ゼーユカタルシス」

「お前は」

「お前が、本当に大切だと思える存在のために生きろ」

 一歩、後ろへ下がる。

「それだけだ」

 少し照れくさそうに鼻をこすり。

 最後に。

 昔と何も変わらない笑顔を見せた。

「あばよ」

「親友」

 その一言を残し。

 彼はロケットへ乗り込んだ。

 ゴオオオオオオ……

 魔法陣が輝き始める。

 地面が震える。

 巨大な魔力が空へ放たれていく。

 私はその場から動かなかった。

 ただ。

 ロケットを見上げ続けた。

「発射まで十秒!」

「九!」

「八!」

 ゆっくりと浮かび上がるロケット。

 風圧で木々が大きく揺れる。

「三!」

「二!」

「一!」

 ドオオオオオオオンッ!!

 轟音とともに。

 ロケットは一直線に空へ飛び立った。

 あっという間に小さくなり。

 やがて、一つの星のような光になって。

 静かに見えなくなった。

 森に静寂が戻る。

 私はしばらく、その空を見つめ続けていた。

 胸の奥には寂しさもあった。

 故郷を捨てる。

 もう二度と帰れないかもしれない。

 それでも。

 後悔は、不思議なくらいなかった。

 私にはもう。

 守りたい場所がある。

 守りたい人たちがいる。

 愛する世界がある。

 私は静かに笑い、小さく呟いた。

「ああ……」

「あばよ、故郷」

 そして。

 空の彼方へ消えていった一筋の光へ向かって。

「……ありがとう」

「親友」

 そう呟くと、私はゆっくりと踵を返した。

 この日から。

 上位種・ゼーユカタルシスではなく。

 人間と共に歩む、一人の魔法使い——ゼーユ看護師長としての人生が、本当の意味で始まったのだった。

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