第十五章 出逢いのカタルシス
そうして。
私は、人間たちが暮らす街をゆっくり歩いていた。
石畳の道。両脇には可愛らしい花壇が並び、小さなパン屋や雑貨屋、お菓子屋さんが賑やかに営業している。道を歩く人々の笑い声。子どもたちのはしゃぐ声。焼き立てのパンの香り。どこか甘いお菓子の匂いまで漂ってきて、街全体がとても温かい雰囲気に包まれていた。
「(へへへ……)」
「(かわいい……)」
「(人間、かわいい……)」
私は表情だけは必死に平静を保ちながら歩いていた。
だが心の中では。
「(歩いてるだけでかわいいんだが!?)」
「(子どもが笑ってる!!かわいい!!)」
「(あっ、お母さんと手をつないでる!!尊い!!)」
「(老人同士で仲良く散歩してる!!尊い!!)」
「(なんだこの世界……最高か!?)」
もう限界だった。
今すぐ写真を撮って保存したい。
しかし今日は任務中。
ぐっと我慢する。
「(落ち着け私……)」
「(今日は調査……今日は調査……)」
深呼吸を一つ。
そして視線の先に、大きな建物が見えてきた。
「(お……)」
「あれが例の教会かな?」
思わず足を止める。高くそびえる鐘楼。白く美しい壁。
色鮮やかなステンドグラスは太陽の光を受けて七色に輝いている。
風が吹くたび。
カラン……
コロン……
優しく澄んだ鐘の音が街中へ響き渡っていた。
「(きれいだなぁ……)」
思わず見惚れてしまう。
宗教施設というより、一つの芸術作品のようだった。
教会の前には小さなお菓子売り場まで設置されている。
「(よし)」
「(まずは調査開始だ)」
「(お菓子を一つ買って味を記録して、それから教会の中を見学して……)」
そう考え、売店へ向かおうとした。
その瞬間だった。
「ドロボーーーッッ!!!」
「ん!?」
一人の黒い男と通りすぎる。男は何か荷物を抱えて通りすぎていった。
すると、教会の地区から一人の少年がやってきた。
「ハアハア……!!あの、そこの方!」
「(わあああ!話しかけられちゃったよおお!!)……なんですか?」
「今、黒い服の男が走っていきませんでしたか!?あれ、参拝者さんのカバンを盗んだ泥棒なんです!!どっちに逃げていきましたか!?」
なんと。そんなことが……。まったく、悪い子もいたものだね。
「あっちに——」
そう言いかけたとき。
ブウウウウン!!!
バイクが走ってやってきた。
「ははは!!あばよッ!」
その男はカバンをこれ見よがしに見せつけ、走り去っていこうとした。が。
「!?!?なッ——」
バイクは、動かなくなった。
タイヤは動いている。正確には、前に進めなくなった。
「これは——!?」
少年も驚いている。そして。
「カクシエーーっ!泥棒、どこにい……おお!?なんだこの状況は!?」
「バイクが止まってる!?あ、この男泥棒!!」
「……魔法か?」
もう二人の少年と小さな女の子も出てきた。
「……さて」
私はゆっくりとバイクに近づく。
バイクを魔法で発進させなくしたのはもちろん私だ。
「皆に、ごめんなさい、しようね?」
「ひ、ヒイイイイイ!!」
男はバイクを降りて、カバンを少年に放り投げた。
「よっと……!」
ナイスキャッチ。
「ごめなさあああああああいい!?!?!?」
黒い服の男は一目散に逃げていった。
そして。
しばらく呆然としていた四人は、ほぼ同時に我へ返った。
「「「「…………」」」」
お互いに顔を見合わせる。
もう一度、動かなくなったバイクを見る。
そして。私を見る。もう一度バイクを見る。私を見る。
「……」
「……」
「…………」
数秒の静寂。
次の瞬間だった。
「今の……魔法ですかっ!?!?」
最初に叫んだのは、最初に話しかけてきた灰色の髪の少年だった。
目をこれ以上ないほど輝かせながら、一歩前へ出てくる。
「す、すごいです!!」
「さっき、何も触ってませんでしたよね!?」
「あの距離から魔法を発動させたんですか!?」
「しかも、一瞬で泥棒を止めるなんて……!!」
興奮で言葉が止まらないらしい。
すると隣にいた少年も勢いよく身を乗り出す。
「あんなにすんなり魔法が使えるなんて……!!」
「どこの魔法大学の出身なんですか!?」
「王立!?それとも中央魔法学院!?」
「まさか帝国魔法大学ですか!?」
「え?」
思わず瞬きをする。
どうやらこの世界では、魔法大学というものがあるらしい。
私はそんなものへ通ったことはない。
上位種の世界では、幼いころから魔法を学ぶのが当たり前だったからだ。
そんなことを考えている間にも。
「すげぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「かっけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
元気いっぱいの少年が、目をキラキラさせながら飛び跳ねていた。
「俺、あんな魔法初めて見た!!」
「全然呪文唱えてなかったじゃん!!」
「バイクが止まった瞬間なんて鳥肌立ったぞ!!」
「やっぱ本物のエリート魔法使いってすげぇぇぇぇ!!!」
その横では、小さな女の子が両手を胸の前でぎゅっと握っている。
「すごかったです……!」
「とっても……かっこよかったです……!」
尊敬の眼差し。純粋な憧れ。
四人とも、まるで英雄を見るような目で私を見つめていた。
「(…………おお)」
私は少しだけ驚いた。
魔法を褒められること自体は珍しくない。
上位種の世界では、実力があれば称賛される。
だが。こんなにも純粋で。
まっすぐな尊敬の目を向けられたのは、初めてだった。
そして。四人は息を合わせたように、一斉に頭を下げた。
「「「「お願いします!!」」」」
「俺!」
「私!」
「俺!」
「私も!」
「「「「魔法を教えていただけないでしょうか!!」」」」
ものすごい勢いだった。
まるで嵐のような熱意。
「(お、おおおお……!?)」
私は思わず一歩後ろへ下がる。
「(えっ!?)」
「(何この展開!?)」
「(人間からお願いされた!?)」
「(しかも魔法教えてくださいって!?)」
「(えっ!?えっ!?)」
頭の中では大騒ぎだった。
「(これってつまり……)」
「(私……先生になるってこと!?)」
「(えええええええええ!?!?)」
「(なにその神展開!!)」
「(そんなイベントある!?)」
「(人間の先生とか夢じゃん!!)」
「(ありがとう世界!!!!)」
心の中では、もう飛び跳ねていた。
しかし外見だけは。
できる限り冷静を装う。
「……まあ」
一度咳払いをする。
「いいよ」
さらりと言ってみせる。
しかし心の中では。
「(いいの!?私!?)」
「(やばいやばい!!)」
「(教えられる!!)」
「(人間に!!)」
「(かわいい生徒が四人もできる!!)」
「(最高なんだけど!!!!)」
完全に理性が崩壊していた。
その返事を聞いた四人は。
「やったーーーーーーっ!!!!」
一斉に飛び上がった。
「わあああああ!!」
「ありがとうございますっ!!」
「先生だーーー!!」
「今日から先生だーー!!」
少年たちはハイタッチをし、小さな女の子まで嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
その笑顔を見た瞬間。
「(…………)」
「(笑顔)」
「(かわいい)」
「(全員かわいい)」
「(もうだめだ)」
「(尊すぎる……)」
心臓を押さえたくなる衝動を必死にこらえる。
こんなに嬉しそうに笑ってくれるのなら。
この子たちには、少しでも多くのことを教えてあげたい。
魔法のことも。
人を守ることも。
そして——
誰かのために力を使うことの尊さも。
私は静かに微笑みながら、四人の期待に満ちた瞳を一人ひとり見つめ返した。
——この出会いが。
後に私の人生を大きく変える、かけがえのない縁になることを。
まだ、この時の私は知る由もなかった。
◇
それから、六日間。
私は毎日のように教会へ通った。
昼過ぎになると教会へ顔を出し、夕暮れまで子どもたちと過ごす。
いつの間にか、それが私の日課になっていた。
そして、その時間は自然と——
私たちの「魔法レッスン」の時間になっていた。
教会の裏庭。柔らかな日差しが差し込み、鳥のさえずりが聞こえる静かな広場。
そこで私は、四人に魔法を教えていた。
「よし。それじゃあ今日は、魔法の基礎中の基礎から始めようか」
私は笑顔で四人を見渡す。
「まずは《光の点灯魔法》だね。手のひらに魔力を集めて、優しくイメージするんだ。『小さな光が生まれる』ってね」
「なるほど……」
四人は真剣な顔で耳を傾ける。
そして。
「……えいっ!」
ポッ。
テンペラテクスチャーちゃんの手のひらに、小さな光が灯った。
「できたぁ!」
「わあああ!!」
周りの三人も拍手する。
「やったじゃないか、テンペラちゃん!」
「えへへ~♪」
嬉しそうにはにかむ姿がもう可愛すぎる。
「(なんなんだこの生き物……!!)」
「(可愛すぎるだろおおおお!!!!)」
もちろん表情には出さない。私は大人だからね。……たぶん。
翌日。
「今日は物を浮かせる魔法を覚えてみようか」
石ころを四人の前へ置く。
「焦らなくていいよ。魔法は力じゃない。イメージだから」
「ふんぬぬぬぬ……!」
カクシエくんが必死に集中する。
石が……
ぷるぷる。
ぷるぷるぷるぷる。
全然浮かない。
「うわあああ!!」
ボンッ!!
煙だけ出た。
「げほっ!げほっ!」
「あはははは!!」
アールデコくんが腹を抱えて笑う。
「お前、煙しか出せねえじゃねえか!」
「うるさい!!次は絶対成功するからな!!」
すぐ言い返すカクシエくん。二人は顔を突き合わせて睨み合う。その様子を見て。
「はぁ……また始まった」
コントラストニュアンスくんがため息をつく。
「本当に仲が良いんだか悪いんだか分からないのだわ」
テンペラちゃんも苦笑していた。
「(かわいい)」
「(全員かわいい)」
「(毎日見てても飽きない)」
「(人間って最高……)」
三日目。
四日目。
五日目。
少しずつ、少しずつ。
四人は魔法を覚えていった。
「今日は初めて応用魔法に挑戦してみよう」
私は静かに言う。
「《転移魔法》」
「瞬間移動ですね!」
カクシエくんが目を輝かせる。
「そう。これは私も普段からよく使う魔法だよ」
かなり難しい魔法だ。
普通なら習得まで何年もかかる。
だから私は、失敗しても全然構わないと思っていた。
だが——。
「……できた」
「え?」
アールデコくんが消えた。次の瞬間。
「おい」
後ろから声がした。
「わあ!」
私は思わず飛び上がる。
「もう成功したの?」
「ははっ!」
アールデコくんが笑う。
「意外と簡単だったぜ!」
「すごっ!!」
カクシエくんも驚いている。
「お前もう使えたのかよ!?」
「お前らまだ使えねえの?」
ニヤリ。
完全に煽る笑みだった。
「はははは!!」
「まだ転移魔法使えねえのか!?」
「ぐぬぬぬ……!」
カクシエくんが悔しそうに拳を握る。
「もうちょっとなんだよぉ!!」
「頑張れ頑張れー!」
「くっそーーー!!」
二人は完全にライバル同士らしい。
会えば競争。魔法でも競争。走っても競争。掃除でも競争。本当に仲がいい。
「はあ……」
コントラストニュアンスくんが肩をすくめる。
「また始まったな」
「やれやれ、なのだわ」
テンペラちゃんも苦笑い。
そんな二人を見ているだけで、私は自然と笑ってしまっていた。
休憩時間になると。教会のお母さんたちが、お菓子を持ってきてくれる。
「ゼーユさん!」
テンペラちゃんが小走りでやって来た。
「はいっ!」
小さな手に乗っていたのは、焼きたてのマドレーヌ。
「ゼーユさんにもあげる!」
「私ね!」
「材料を混ぜるの、お手伝いしたのお!」
胸を張って自慢するテンペラちゃん。
「(うおおおおおおおおお!!!!)」
「(ありがとう!!!!)」
「(世界!!!!)」
「ありがとう、テンペラちゃん」
私はできるだけ冷静を装いながら受け取る。
「いただきます」
一口食べる。
「……おいしい」
「ほんと!?」
「うん。本当に美味しいよ」
「やったぁ♪」
満面の笑み。
「(その笑顔だけで三日は生きられる)」
「(いや、一週間かな)」
「(いや、一か月かもしれない)」
みんなでお菓子を食べながら他愛もない話をする。
今日は何をしたとか。教会であった出来事とか。好きな食べ物とか。将来の夢とか。笑い声が絶えない時間。私は、この時間が好きだった。本当に。本当に好きだった。六日前までは。私は一人だった。誰にも本音を言えなかった。人間を好きだなんて言えなかった。でも今は違う。ここには、笑ってくれる人たちがいる。一緒に笑える人たちがいる。毎日が、こんなにも温かいなんて。知らなかった。
そして。
その日の帰り際。
「ゼーユさん」
声を掛けられた。
振り向く。
そこには——
カクシエくんとアールデコくんが立っていた。
二人とも、いつものような笑顔ではない。
真剣な表情。
「ちょっといいかな」
「(お……)」
「(真面目モードだ)」
「(そんな顔も格好いいなぁ……)」
「もちろんだよ」
二人に連れられ、教会の裏庭へ向かう。
夕日が差し込み、辺りには誰もいない。
風だけが静かに吹いていた。
「……大事な話なんだ」
カクシエくんが静かに口を開く。
私は自然と背筋を伸ばした。
「聞かせて」
すると。
二人は顔を見合わせ、小さくうなずいた。
「……俺たち」
「Venom Desireを立ち上げようと思ってる」
「Venom Desire……?」
初めて聞く名前だった。
「目的は、お世話になったこの教会を守ること」
カクシエくんは真っ直ぐ前を見つめる。
「そして——」
「犯罪を無くすこと」
「悪い奴らと戦って」
「誰かを守れる組織を作りたいんだ」
夕日に照らされたその瞳は、本気だった。
夢物語ではない。
本気で世界を変えようとしている目だった。
「戦う……」
私は小さく呟く。
するとアールデコくんが笑った。
「もちろん危険な仕事になる」
「命懸けだ」
「でも」
「誰かがやらなきゃいけねえ」
その一言には、不思議なくらい重みがあった。
そして。
二人は私の方を向いた。
「ゼーユさん」
「あなたも——」
一歩、近付く。
「Venom Desireに」
「入ってくれませんか?」




