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水精少女ア  作者: クーラーつけたい
第一章 【始まり】
9/10

第一章9「結界」

 

 あれから2日ほど歩いた。


「………」


 塩の匂いに輝く空。そして、エメラルドのように輝く綺麗な海。

 通学路に海が見える場所があって、見慣れているが、これほど綺麗な海は初めてだ。


「…海だ…!」


 気づけば砂浜を駆け回っていた。


「あはは、海…海だよ!」


 空気が美味しい。海の香りが心を癒してくれている。


「つめたーい!」


 汚れた着物を脱ぎ捨て、海へ飛び込んだ。

 日本にいた時は、海に行っても「泳ぐのは苦手だから…」と遠慮していたが、今は海が恋しい。


「ぶくぶくぶく…」


 口から出た泡が水面に登っている。

 水中でも息ができるのだから、永遠に遊んでいられる。


 海の中は見たこともない魚に、珊瑚礁っぽいもの。

 色や種類こそ違えど、根本的な見た目などは日本の海とさして変わらない。


「私…一生海を漂っていたいなぁ」


 ぷかぷか浮いてるだけでもいいかもしれない。

 何もかも忘れて、静かに浮いてるだけでいい。


「………」


 静かな海の中。

 目を閉じれば今でも聞こえる。


 ーー被害者が可哀想ッス


「色々失敗したなぁ…死にたいなぁ」


 一度やってしまったことはやり直せない。


「………」


「これからは…静かに生きていこう」


「寿命が尽きるまで…静かに…」


「静かに…」


 このまま…


 ゆっくりと


 静かに…



「…はっ! 寝るとこだった、危ない。さすがにあがろう」


 起きたら無人島でした!なんてことがあればどうしようもない。

 それにしても


「結界って何なんだろ?」


 海の向こう側をジッと観察してみるが、特に変わったことがあるわけではない。

 聞いた話では海を永遠に彷徨うことになるらしいが、目に見えない系の結界ということだろうか?


「確かめに行ってみる?」


 ーーいや、やめとこう


 もしも本当だったら、本当に笑えない。






 ーー? 足音


 砂を蹴る音が聞こえ、振り向くと、そこには金色の瞳孔に青髪の女がいた。

 女は青い着物に身を包んでおり、ぱっと見じゃ普通の人間に見える。


「あら、お邪魔だったかしら」


 女はどこか余裕のある口調で言った。


「…ぇ………」


 最後に見た純粋な人間は中年の男と、落武者だったので印象はすこぶる悪い。


「そう警戒しなくても何もしないわ」

「私はただ、海を見に来ただけだもの」


 女は肩をすくめるように微笑んだ。


「………」


 私は着物を適当に羽織ると、その場から立ち去ろうとしたのだが、


「…? 待って!」


 と、引き留めるように声が飛んだ。

 あまりにもいきなりだったので、びっくりした。


「ちょっとだけ話さない?」


「………」


「無口な方なんですね」


 女は困ったように苦笑いし、手招きをしている。


「ほらほら…」


「………」


 今の私の顔は疑いと警戒の目をしていたことだろう。

 女はその反応がおかしかったのか、目を細めて笑っている。



「ふふ、可愛い」

「ねぇ、海って面白いと思わない?」


「…ぇ?」


 ーー面白い?


 海を眺めてみるが、言葉の意味が分からない。


「耳を澄ましてみて」


 そう言うと、女は海へ向かって両腕を広げた。


「………」


「ほーら!」


 私は耳を澄ませてみた。


「ねぇ、聞こえる?」


 女は子どもみたいに目を輝かせながら問いかけた。


 波の音。


 風の音。


 遠くで響く鳥の鳴き声が聞こえる。


「波のせせらぎに、鳥の囀り、風の音…」


 女は目を閉じ、小さく呟いた。


「こうして聞いていると、まるで私たちが海の一部になったかのようじゃない?」


「………」


 そう言われてみればさっきまで騒がしく感じていた音が、少しだけ違って聞こえた気がする。


「知ってる? ツァーシの外には、海の底に魚が作った都市があるそうよ」

「私は行ったことも見たこともないのだけれど」


 女は遠くの水平線を見つめながら、懐かしむように呟いた。


「……そ、う…んですか」


「昔おばあ様が話してくださったの」

「海の底には人の言葉を喋る魚がいるって」


 まるで昔話を語る子どものような口調だ。


 人の言葉を喋る魚か。

 マグロに手足が生えて言葉を喋っているのを想像すると変な気分になる。

 もしかしたら


 ーー人魚かな?


「喋る魚なんて死ぬまでに一回は見てみたいの」

「おばあ様が見た世界を、私も知りたい」


 遠くを見つめる彼女の目は好奇心に溢れている。

 人魚であれば私も一度は見てみたいが。


「どうやったらいいと思う?」


 こちらに目を向けると、真面目な顔で聞いてきた。

 しかし、そんなこと聞かれても…


「……わ、分から…ない、です」


「私にも分からない。泳いで行ければいいのだけれど」


 女は本気か、冗談か分からないことを言っている。

 泳いで海中都市に行くのは人間には無理だろう。海中都市が浅瀬にあればいいかもしれないが、名前からしてそんなはずもない。

 それに


「……け、結界が」


「あぁ、そういえば結界があったわね…」

「でも、それに関して言えば特に気にすることもないわ」


 なんでもないことのように言い切った女。

 しかし、その目は冗談を言ってるわけでもない。


「ーーえ?」


「あと数刻もすれば魔力が尽きてしまうもの」

「徐々に薄まってきてはいたことは知っていたのだけれど、随分と早そうね」


「魔力が尽きる…?」


 海の方を眺めてみるが、何も分からない。

 強い魔力を感じるわけでもないのだが…。


「400年も張られていたんだから、よく持った方よ」


 その声音には驚きよりも、長い年月を見届けた者の諦めが滲んでいる。


「ど、どうして…そんなに悲しそうなんですか」


「…複雑な気持ちなのよ」

「私には外の世界を知れる喜びと、恐怖があるの」


「……恐怖?」



「時代の変化と共に人は成長する」


 女は少しだけ目を伏せ、静かに語り始めた。


「きっと、外の世界の人々は私たちよりも先を行ってるはずよ」

「時折思うの。異国人が再び攻めてくるんじゃないかって」

「また戦火が国を覆うんじゃないかって」


「それも文明と共に進化した装備を持って」

「私は知ってるの。人間がどれだけ欲深くて残虐な生き物なのかを」


「見てきたの。全部…全部」

「私は争いたくなんてないのに……」


 その呟きは風に攫われそうなほど弱かった。

 まるで誰かへの言い訳みたいだ。


「あ、あぁ…ごめんなさい」

「暗い話しちゃって…」


 女は我に返ったように肩を揺らし、困ったように笑う。

 けれど、その笑みはどこかぎこちない。


「なんだか、あなたから同じ気配を感じた気がしたの」


 そう言うと、女は少女を真っ直ぐ見つめた。


 試すでもなく、

 憐れむでもなく、

 ただ理解しようとするみたいな。



「……同じ…ですね」

「私も…知っているんです。人間の怖さを………」


「……え」


 女は目を見開きながらこちらを見ている。


「私には…分かるんです。人の感情が」


 止めようと思えば止められたはずなのに、なぜか口が動いてしまう。

 この暗い雰囲気に流されているのだろうか。


「普通に話しているだけのはずなのに、人から怒りを向けられてるっていうのを感じるんです。悲しんでいるのが分かるんです」


「お前のためなんだって、優しく声をかけてくれるのに怒りを感じるんです」

「おめでとうって言ってくれてるのに、悲しんでるっていうのが分かるんです」


 言葉を重ねる度、

 昔の記憶を掘り返しているみたいな気持ちがある。


「出ていってって言われてるのに、心配してるっていうのが分かるんです」


 嫌な記憶を思い出したせいか、声が掠れてしまう。


「殺したんだって言われてるのに、それが嘘だって分かるんです」

「言葉と表情がまるで合っていないじゃないですか…」


「私は人がなんなのか分からないんですよ…」

「……私は人間が分からない…だから怖いんです」


「…だから死にたいんです」


 そうだ。

 私は…私を含めた人間が嫌い。


「え? し、死に…なんて?」


 ツユは目を見開き、こちらを凝視している。

 さっきまで穏やかだった声が明らかに揺れている。


「……死にたいんです」


「でも、死にたくないんです。死のうとしたことは何度もあったんです。何度も…何度も…その度に手が震えて足がすくんでしまうんです…死にたいと思ってるのに死にたくない。それっておかしいことだとーー」


「ちょ、ちょっと…何言ってるのよ…」


 ツユは困惑したように声を上げた。

 その表情には動揺が隠しきれていない。


「どうして…死にたいなんて言ったの?」


 問いかける声は強い。

 でもそれは否定ではない気がする。

 悲しそうな女の悲しそうな表情が証拠の一つといえる。


「……生きていくにはご飯が必要です。家が必要です」


「ご飯を食べるにはお金が必要です」

「家を建てるにもお金が必要です」

「物を買うためにはお金が必要なんです」


 ーー当たり前のことだ。


 ーーこれは普通のことだ。


「それでも、働けばお金をもらえます」


「仕事探しには苦労するでしょうが、一生懸命働けば誰だってお金はもらえると思います」

「そのお金で食べるご飯は格別に美味しいと思います」


「私も食べてみたいと、何度も思いました」


「………」



「じゃあ…なんで?」


 女は困惑したように尋ねた。


 働けば全て解決する。

 じゃあ、働けばいいじゃん。って言われそうだけど私にはそれが難しかった。


「仕事をするには人と話せることがスタートラインなんです」

「人とコミュニケーションが取れない人を雇おうだなんて考える人はいません」


「それを何度も経験したんです」

「私は必要とされていないんだって…何度も実感しました」


「それでも…」


「それでも人のことを知ろうとすることもありました」


 手を見下ろし、自分の体が立っていられないほど震えていることに気づいた。


「結果は最悪でした」

「私はゴミのように扱われ」


「お前はクズだ」


「人間の恥だと」


「何度も言われました」


「誰かに憧れ、誰かになろうだなんて考えたせいで、私は……大事な物を失ったんです」


 私は俯いたまま呟いた。

 喋るたびに胸の奥がじくりと痛む。


 忘れたことなんて、一度もなかった。


「それで、あれもこれも全部神様の仕業なんだって」

「私の運命を変えてる神様が悪いんだって…」


 私は砂を握り締めた。

 指の隙間から零れ落ちていくのを感じる。


「居るかも分からない神に責任をなすりつけてたんです」

「本当は自分が悪いのに、自分がやったことなのに」


「全部が神、神、神…」

「……最低ですよね」




「………」


 女はすぐには何も言わなかった。

 否定するわけでも慰めるわけでもなかった。


 ただ、


 隣で海を眺めていた。


「知ってる?」


 しばらくして、女が口を開いた。

 雰囲気を悪くしてしまったというのに、その声音は妙に軽かった。


「世界ってば私が寝そべっても覆い尽くせないの」


 突然の言葉に私は思わず顔を上げた。

 いったい何を言ってるのだろう?


「……試してみせよっか? ほら……」


 そう言うと女は何の躊躇いもなく砂浜へ大の字に寝転がった。


「……」


 風で青い髪が揺れている。


 ーー何をしているんだろう、この人


「…あなたもやってみて?」


 女はさは寝転んだまま私を見上げた。

 金色の瞳が楽しそうに細められている。


「…嫌です」


 私は即答した。

 恥ずかしいし、意味も分からない。


「なんでぇ?! 私だけ恥ずかしいじゃん!」


 女は頬を膨らませるように抗議した。

 さっきまでの重い空気が嘘みたいだった。


 彼女は空気を変えてくれたんだろうか。


「ほーら!」


 片手をぶんぶん振って私を呼ぶ。

 その姿は妙に子どもっぽくて…


 海よりもこの人の方が面白いと、そう思った。



「ーー!」


 私は思わず目を見開いた。


 ーー空…


 寝転がったまま見上げた空は、想像していたよりずっと広かった。

 どこまでも青く、終わりなんてないみたいに広がっている。


 この人がいるお陰か、この前見た夜空と違って見える。

 綺麗じゃなくて、心地いい


「分かった?」


 隣で寝転ぶ女が小さく笑う。


「私たちが知ってるよりも世界は大きいのよ。良い出会いもきっとあると思うわ」

「……だから、死にたいだなんて言わないでほしいの」


 女は静かに言った。

 笑っているはずなのに、その声だけ妙に真剣だった。


「…そうですか」


 私は小さく返す。

 肯定なのか否定なのか、自分でも分からない返事だった。


「あ、そうだ」


 すると突然、

 女は何かを思い出したように身体を起こした。


「これ受け取って頂戴」


 そう言って差し出されたものを見た瞬間、私は息を呑んだ。


 ーー何この魔力…


 濃い。

 魔鉱石のように見えるが、次元が違う。空気そのものが歪んで見える。

 体に何かしらの影響が出そうで心配なのだが。


「十万ダラよ。初めて見たかしら?」


「………え…ええ!?」


 私は反射的に声を上げた。

 十万ダラといえば1千万円ってことだろうか?

 見ず知らずの人に渡すには馬鹿げた金額だ。


「い、いや受け取れませんよ!」


 慌てて首を横へ振った。

 こんな得体の知れないもの、怖くて触れない。


 知らない人から大金を渡されたら何か裏があるんじゃないかと疑ってしまう。

 人は金が絡むと恐ろしい生き物になるものだ。

 利益がなければこんな行動はしない。


「それで家でも建てて、一からやり直してみたらどうかしら」

「それが私の願いなの」


 ーーは?


 なんでそんなことをしようと思ったんだろうか。

 こんな利益で動かない人間なんて見たこともない。


 いや、この人は本当に人間なのだろうか?

 


「……お名前を聞いてもいいですか?」


 気づけば私は尋ねていた。

 この人を知らないまま別れるのが、何故か嫌だった。


「…名前……ね……」


 女は一瞬だけ目を伏せた。

 …何か嘘をつくときの行動なんだろうか。


「ツユって呼んでほしいわ」


「……ツユ」


 すると、ツユはふっと目を細めた。


「ふぅ…次会う時はあなたが幸せになってることを祈ってるわ」


 ツユはゆっくりと立ち上がると、水平線の向こうを見つめた。


「……!」

「……早くここを離れてほしいわ」


「? ツユさんはどうするんですか?」


「私は大丈夫よ、ただここを見守っていたいだけなの」


 その目からは諦め、焦り、疑いがある。

 なぜそんな目をしていたのか分からないが、よく観察するとその手は震えている。


 何か嫌な予感がしてならない。


 本当にここから離れていいのだろうか?

 凄く後悔するような…そんな気がする。


 ーー巻き込まれたくないから逃げる? ……そんなの嫌だ。


 ーーこの人はみんなとは違う。


 私をおかしな目で見てこなかった。

 私を認めてくれた。


 この人は…私の好きな感情を見せてくれた。



 ーー私は…



 そうして、私は決意した。


 ーーこの人を1人にしたくない


 そう決めた。



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