第57話 追憶、そして再会の彼方へ
「……っ、あ……!ありがとう、阿刀……」
そう言った彼女は慌てて身を離し、立ち上がる。
……そして後ろを向いた。
俺は思わず呼びかける。
「阿京……?」
蔡淑の肩が震えている。
俺は、伸ばしかけた右手を拳にして堪え、
小さく問いかけた。
「もしかして……記憶が……戻っていたのか」
「はい。十五歳のある日、
突然、龍輝様と過ごした記憶が……思い出が甦りました」
俺はそこで、はたと気付く。
恐らく――成人の儀を終えた時ではないだろうか。
俺の少年の頃に、
“婚約者と死に別れている”という設定が、
その瞬間、完全に“死に設定”になったのだ。
蔡淑が、目に涙を浮かべながら
ゆっくりと振り返る。
そこに居たのは蔡淑ではなく、あの頃の阿京だった。
「……ごめんね、阿刀。
あなたと過ごした、かけがえのない日々を忘れ、
命懸けで私を治してくれたあなたに、
どれほどひどい事をしてしまったのか……。
そう思うと……あなたに書を送ることができなかった」
「兄君の龍紅様を亡くしたあなたが今、どれだけ
辛いか想像に難くないのに……。」
俺は首を振り、阿刀に戻って答えた。
「俺の方こそ……勝手に許婚を破棄して、
何も説明せずにこの地に君を追いやった。
記憶がなかったとしても、
一方的なその態度は……横暴だっただろう
兄上の事は君が気にする事じゃない。」
蔡淑が、俺の言葉を否定する。
「いいえ。私は記憶を取り戻した時に、
きっと阿刀は、何かから私を守るために
そうしたのだと……確信したの。
ねぇ、阿刀……そうでしょう?」
俺はそれには答えず、照れを隠そうと
頬をかきながら返す。
「……ああ。流石、阿京だ。
俺の考えなんて……お見通しなんだな」
蔡淑が、そっと指を組む。
「……あの時、言えなかった言葉を言わせてください。
阿刀。あなたのおかげで、この命を繋ぐことが出来ました。
心の底から……阿刀、あなたを愛しています」
俺の目から涙が零れる。
……でもこれは、今の俺の涙じゃない。
少年だった頃の俺が、報われたことに泣いているんだ。
だから――あの時、言えなかった言葉で伝えよう。
「君が治ってくれて、本当に良かった。
阿京……この命を賭けて、君を愛している」
そして、俺はふと疑問を口にする。
「……その双魚佩は?」
「記憶を失っていた頃も、処分する気にはなれなくて……。
記憶が戻ってからは、書庫にいる間だけ身に着けておりました。
あなたと初めて会った頃を……思い出して」
「そうか、阿京……もし君が良ければ――」
俺がそう続けようとした時。
書庫に、幼い子供が勢いよく飛び込んできて、
阿京に――いや、蔡淑に抱きついた。
「阿母! 阿父がお呼びです!」
俺は言葉を止め、蔡淑に聞いた。
「……その子は……蔡淑殿の?」
蔡淑が子供を抱きしめながら答える。
「はい。私の賤子でございます。夫に似て活発で……。
あまり五章には興味を示さず、少々困っております。
昔の龍輝様みたいですね」
「そうか……。
これなる稚児よ、名はなんという?」
「はい、阿槍と申します!」
「阿槍よ、母上のことは好きか?」
「はい! とても優しくて……阿父は、
阿母のことをこの集落で一番の才女だと申しております!」
俺は笑みを浮かべ、阿槍の頭を撫でる。
「ならば、母上のことをよく聞いて、よく学ぶのだぞ」
そして蔡淑に向かって、静かに確認する。
「……蔡淑殿。今は、幸せにお過ごしであろうか?」
「はい。良人と出会え、子にも恵まれました。
これもすべて……龍輝様のおかげにございます」
俺は一瞬、目を瞑り、別れを告げる。
「そうか……それは僥倖。ふむ……長居し過ぎたな。
それでは失礼する。
この地の平穏は、この龍輝が必ず守ると誓う。
だから……安心して達者に暮らすとよい」
俺は阿京との思い出――
彼女からの手紙の記憶を、少年の阿刀に返して
書庫から出ようとしたその時。
蔡淑が、俺を呼び止めた。
「阿刀!」
そして続けた。
「いつか……いつか……来世で」
――いつかまた、どこかで巡り逢えたなら。
俺は後ろを振り向かず、答えた。
「あぁ……いつか……来世で」
そう言って、書庫を後にした。
巡視を終え、玄綏に帰ると
紫音が出迎えてくれた。
紫音を抱きしめながら伝える。
「言ってなかったかもしれないが……
俺は紫音に惚れている」
紫音が豪快に笑いながら、
「――何をいまさら。そんなことは知っている」
そして続けた。
「私もだ」
気が付けば、この世界で守るべき大事なものは
随分と増えていた。
でも、それがきっと明日の俺を動かしてくれるだろう。
そう思えた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
再会の結末は悩みましたが、このような結果となりました。




