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第56話 巡視、そして双魚佩の導きへ

 俺はローマ式コンクリートに「龍硬壁りゅうこうへき」と名付けた。

 その製法は極秘としつつ、復興工事を指揮するため、領内を巡視していた。


 虞業の侵略で略奪に遭った集落や、その周辺の防備を固め、

 不安に揺れる民の安寧を図るのが狙いだ。


 現場には見慣れぬ資材が運び込まれ、兵が警戒態勢を敷いている。

 頭領は不思議そうに資材を眺め、不安げに眉を寄せていた。


「龍輝様……。この見たことのない資材は、一体何に使うものなのですか?」


「案ずるな。これは『龍硬壁』という、新しい壁の礎だ。

 製法は門外不出だが、土壁とは比べものにならぬほどに硬い。


 再び敵が攻めてきても、この壁ならば――

 援軍が着くまで、必ず持ちこたえられるだろう」


「……もっとも、南部は既に平定した。二度と惨劇は起こらぬ。


 だが、傷ついた民を安堵させるため、

 憂き目に遭った集落とその近辺には優先的に使うことにしたのだ。


 玄綏と瑛南の都、そして南の村は既にこの壁で守りを固めた。


 次はお主の集落の番だ。


 これからは――安心して眠るが良い」


「このような技術を、

 我ら辺境にまで授けてくださるとは……。

 龍輝様の情け深さ、感謝の念、筆舌に尽くしがたく存じます」


「気にするな。


 兄・龍紅が亡くなり、皆、不安であろう。

 だが――この壁は、私が兄上と同じく、

 皆の平和を守るという決意の表れだ。

 これからも共に、この地を盛り立ててくれ」


「ありがたき幸せ……!


 そういえば、龍輝様。お耳に入れておきたい儀がございます。


 この地で五章を教えている親子は、かつて

 龍輝様が父君と過ごされた集落の出身だとか。


 この乱世にあって、かつての馴染みと再会できるのは、

 まさに奇縁というもの。


 昔話に花を咲かせるのも一興かと存じます。

 もちろん、お忙しい身ゆえ無理にとは申しませんが……


 よろしければ一度お会いになり、

 古き縁を辿られるのも、また良きことかと」


 俺は頭領の気遣いに短く返す。

「気遣い、感謝する。考えておこう」


 そうか……ここに居たか。


 確かに南部との境から

 少し北に位置する場所。


 本来なら、南部との争いさえなければ平穏だったはずだ。


 親父は、本当に治安の良い土地を選んでくれていた。

 龍家の頭領という立場を持たぬ“父”としての親父は、

 俺に甘く、そして優しかった。


 だが――わざわざ探すまでもない。


 複雑な思いを抱えつつその場を離れたとき、

 ふと、集落の古い書庫が目に留まった。


 まさかな……。


 軽い気持ちで扉を押し開ける。

 埃っぽい空気の中、差し込む光の先に――


「……あ」


 そこに、彼女がいた。


 初めて会った頃と同じように、

 書物や木簡を抱えた彼女が、驚いたように振り返った。


「……ああ、すまん。驚かせたか?」


「いえ、ご心配には及びません。

 私はここで父と共に経典を紐解いております、

 蔡淑さいしゅくと申す者でございます」


 そして、ほんの一拍置いて――


「お久しゅうございます。

 またこうしてお目にかかれるとは……。


 二若君――いえ、今は龍輝様とお呼びすべきですね。

 申し訳ございません。

 あいにく経典を抱えたままゆえ、

 礼を尽くして拝礼することも叶わず……

 不調法をお許しくださいませ」


「……構わん、礼など良い。今は巡視の最中。堅苦しい挨拶は抜きだ。

 久しぶりだな。あれから……少しは健康になったか?」


「はい。龍輝様の手厚きご配慮のおかげで、

 今はこうして不自由なく過ごさせていただいております。

 ……覚えてくださり、痛み入ります」


「一時とはいえ許婚相手だったのだ。気にする必要はない。

 抱えているのは五章か?」


「はい、左様でございます。

 これは仁章の巻でして、授業で使うものを整理しておりました」


 君があの書庫で初めて教えてくれた言葉だったな。

「仁章か。確か……『仁とは、徳を積みて富を貪らず。

 貧しき者あらば、これを分かち与うるを上とす。』だったな?」


「はい、左様でございます。

 ……流石は龍輝様。実によく学んでおられますね」


「仮にも国を預かる身だ。人の上に立つ者が、仁の道を知らぬわけにはいかぬ。

 この程度、当然だ」


 蔡淑は胸元で巻物を抱え直し、ふわりと微笑んだ。


 ――もう十分だ。元気な姿を確認できた。それだけでいい。


「邪魔したな。それでは失礼しよう」


 踵を返そうとした、その瞬間。


「あっ……」


 蔡淑が俺を制止しようとて

 足をもつれさせ、前へ倒れかけた。


 反射的に、俺は右手で蔡淑の身体を支えた。


「……っ、あ……!ありがとう、阿刀……」


 言った瞬間、蔡淑はしまったと両手で口元を押さえた。


 その動きで揺れた腰の飾り――

 白玉の双魚佩が、俺の視界に鮮やかに映った。

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