第54話 弔慰、そして権道の契へ
俺は葬儀の日、兄上の長子である阿及と話していた。
阿及は兄上の遺品となった帯剣を、胸にぎゅっと抱えていた。
かつて俺に懐いていた赤子は、もう七歳。
兄上の偉大さを、朧げながらも理解し始めている年頃だ。
「二叔父上……父上は、亡くなってしまったのですね」
震える声、赤く腫れた瞳。
「父上は……虞業という男に、負けて死んでしまったのですか?」
俺は阿及をそっと抱き上げ、優しく語りかけた。
「父上は、決して負けてなどいない。
最期のその瞬間まで――昇紅龍の名にふさわしく、
奮迅の働きで百五十人もの兵をなぎ倒したのだ。
虞業など、父上の武勇を前に
死の恐怖に震え上がったにすぎぬ。」
「たとえその身が土に還ろうとも、父上の魂は灯し続ける」
俺は、瑛南の夜空を煌々と埋め尽くす赤い提灯を指差した。
「父上は碧空の先から、阿及と阿路……そして我らを、いつまでも見守っている」
「阿及よ。私にとっての父上がそうであったように、
阿路にとって良き兄となれ。
民を想い、龍家の誇りとなった父上のような、
立派な男になれ。
空の上にいる兄上が――
『流石、我が息子だ』と胸を張れるように」
阿及は俺に抱きつき、その小さな体を震わせた。
俺はその頭を、そっと優しく撫でた。
そして、葬儀からしばらくして――揚迪から一通の書状が届いた。
【揚迪の密書】
小叔・龍輝殿
仁慧様を失い、私の心は今も血を流しております。
ですが、乱世の女には果たさねばならぬ責務があり、
嘆いてばかりもいられませぬ。
私は龍家の嫡男である仁慧様のもとへ嫁ぎ、
やがてこの地を支える国母となるはずでした。
しかし此度の運命の悪戯……今の私は、
「話が違うではございませんか」と
龍家に、そして小叔に、
少々の我儘を申し上げる権利があるでしょう。
私と仁慧様との二人の子――龍家の正統なる血筋。
当主となられた龍輝殿の座を奪う口実として、
野心ある輩にとっては垂涎の的となりましょう。
無防備に晒されれば、私ども母子が消され、
仁慧様の血が途絶えてしまいます。
小叔殿。
喪が明けぬうちの不埒な願い――
“本来”の私であれば、口にするのも憚られます。
ですが、私は己の価値を理解しております。
この容姿と、健やかな子を産み落とせるこの身体は、
今の龍家を盤石にするためにこそ、何より必要となるはずです。
これまでも、そしてこれからも、
私が魂をもって心身を捧げるお方は、
仁慧様ただ一人にございます。
今後、私が誰を愛することも、
誰かに心を許すことも、二度とございません。
なれど、小叔殿――
私が魅力的であることは、重々ご承知のはず。
すべて、龍家の繁栄のために差し出しましょう。
情愛などは求めませぬ。
私を側室として迎え、仁慧様の子らを守る盾となってください。
そして――私に、貴方様の子を産ませてください。
これが仁慧様の血を絶やさぬ唯一の道。
龍家の跡継ぎを残すために必要なことだと、
賢明なる貴方様ならば理解してくださると信じております。
揚迪
【龍輝の返書】
揚嫂上
貴女様が仁慧兄上を、政略の枠を超えて
心から慕っておられたこと――この私が誰よりも存じています。
今は兄上の葬儀を終えたばかり。
御心が不安定に揺れ動いておられるのでしょうが、
賢明なる貴女様らしくもなく、
己の身を餌に私を篭絡するような言葉など、口にしないでください。
兄上の遺児は、私にとっても最愛の甥。
無知蒙昧なる野心家どもの標的にさせるような真似、
断じて許しませぬこと、天に誓って約束いたします。
ですが、貴女様の抱かれる不安も理解しております。
嫂上や甥たちに万一があれば、私は兄上に申し訳が立ちませぬ。
……私に「盾」となれとの願い、謹んでお受けいたします。
まずは近日、瑛南の地を離れ、
私の居る玄綏へとお越しください。
そこで一年(小祥)の時を待ち、
喪が明けし暁には、正式に側室としてお迎えいたします。
ですが今はただ、兄上の喪を深く弔ってください。
嫂上に言われるまで、その恐れと苦しみに気づけなかった
この不出来な「弟」を、どうかお許しください。
龍輝
そして俺は、すべてを決めた後で、
紫音に、第二夫人として揚嫂上を迎えることを報告した。
紫音はしばし考えたのち、静かに言った。
「龍家の内情に通じ、信頼できる方。
まだ若く、蒼賡様のお世継ぎも期待できる。
家のことを考えれば、これ以上ない選択だろう」
そして、沈んだ声で続けた。
「門地の結びとしては申し分ないけれど……
揚迪殿の心中を察すれば、余りあるが」
紫音は俺を見つめ、静かに言葉を落とした。
「しかし、それは蒼賡様とて同じこと。
胸中は……複雑だろう」
俺は紫音の髪を、竹酢液を含ませた櫛ですきながら告げた。
「俺は、兄上が大事にしていた者を守りたいんだ。
たとえ、それを兄上が望んでいなかったとしても」
紫音は、髪をすく俺の手をそっと握った。
「その手に託されるものが、また増えてきたな。
私が半分持ってやる……とはいえ、
引き受けてやれん事ばかりだ」
俺は紫音の頭を優しく撫でた。
「……そう言ってくれるだけで、助かっているよ」
そして――もし俺に何かあったら、紫音は揚嫂上のように……
そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、
胸の奥が、針で刺されたように痛んだ。
俺の顔を覗き込んだ紫音が、ふっと微笑む。
「その時は、後を追ってやる。
それが嫌なら……そうならぬようにしてくれ」
ああ、そうすると約束した。
それからしばらくして――
俺は玄綏の地で、揚迪と兄上の子である
阿及・阿路を迎え入れた。




