第49話 南部、そして紅花の散華へ
兵が悲壮な顔で言葉を続ける。
「龍紅様は兵を率いて南西へと進み、田達の守る集落へと至りました。
そして使者を送り、預かった書状を届けさせたのです。
田達は兄同様に、跪拝し地を這うようにして迎えました。
『承知いたしました。遠路はるばる、よくぞお越しくださいました。
この田達、兄同様に龍家に末長く忠義を誓いまする。
つきましては、この良き日を祝し、龍紅様と兵の皆様方に
宴の場を設けさせていただきたく存じます』
『よい、我らは先を急ぐ身だ。
その方の忠義の心で十分である』
『滅相もございません! 兄の書状にも「持てる限りの礼を尽くせ」と
厳命されております。何もせずにお帰ししては、
私は兄に叱責され、ひいては田家の恥を世に晒すことになりまする。
『どうか……一献だけでも、どうか何卒!』
「わかった、そこまで言うならば、疲れの見える兵たちに
馳走を振る舞ってやってくれ」
「ははっ、ありがたき幸せ! では龍家の精鋭の方々に、
できる限りのお持て成しをいたします。
長旅を歩んできた馬たちも、穀物を与え、英気を養わせましょう」
「うむ、頼んだぞ」
数刻後。
「それでは我らは次の地に向かう。
今後は龍家の為、兄弟で尽くすが良い」
陣払いの号令をかけようとした、その時。
突如として、兵たちの間から悶絶と嘔吐の悲鳴が上がり始めた。
精鋭たちが、次々に糸が切れた人形のごとく地に倒れ伏していく。
「これは……毒か! 田達!」
「はっはっはっ! 身の程を知らぬ猿ども、何故我ら高貴な一族が、
貴様らごときに降らねばならぬのだ! 我らは代々この南の地を守り抜いてきた、
由緒ある名士。新興の龍家など、お呼びではないのだ!」
龍紅は辛うじて軽症の者や飲食を控えた者を引き連れ、
馬を駆り、この包囲網を突破しようと試みた。しかし――。
「無駄よ! 馬の腱は既に斬らせた!
安心せよ、龍家の馬は後で馬肉にして兵たちに振る舞ってやる。
さあ、かかれ! 龍家の昇紅龍を討ち取るのだ!
兄上も今ごろ手兵を率いて挟み撃ちの手筈。最早詰みよ!」
毒に侵され、立ち上がることすら叶わぬ龍家の兵たち。
最期の力を振り絞って田家の兵の足にしがみつく。
主・龍紅を死地より逃がさんとする、言葉なき決死の足止めである。
「おのれ……我が主の元へは……行かせ……ぬ……!」
「ええい、鬱陶しい! 死にぞこないどもなど構うな、さっさと打ち取れ!」
田達の冷酷な下知で、
動けぬ龍家の将兵たちの首元へ、容赦なく冷たい刃が振り下ろされる。
共に戦場を駆けた精鋭たちが、泥を噛みながら物言わぬ屍へと変わっていく。
龍紅は毒を免れたか毒の症状が軽い二百余の兵を率い、
血を吐く思いで敵陣の突破を図る。
殿を務める兵たちが、主を逃がさんと盾となり、
十名、また十名と敵の刃に倒れ、その屍で道を作る。
龍紅と残った兵は何とかその場を脱し、険しき林道の方へ逃げた。
だが夜が明ける前、前方を松明の火が照らし出す。
「待ちかねたぞ、昇紅龍よ」
三千の兵を引き連れ、待ち構える虞業の姿があった。
「我が地を侵そうとした龍家の若造が、
まんまと我らと田兄弟の策に落ちたな。
ここが貴様の終焉の地、骨を埋める場所よ!
田唐の奴め、『龍紅は疑い深くて叶わん』と愚痴っておったがな……。
はっはっはっ! とはいえ、最後の最後で油断したか!」
背後から田氏の追手が迫り、前方には三千の伏兵。
すると虞業の陣中より、一人の武将が進み出た。
「名高い龍仁慧ともあろう者が、雑兵に討たれては後世の物笑いであろう?。
せめてもの情けだ、この魯弗が、その首貰ってやろう!」
「ふっ……貴様ごときの爪で、この紅龍の首が取れるかな?」
龍紅は疾風のごとく身を寄せ近づくと一閃で魯弗を斬り捨てた。
「次だ! 我が首欲しければ、かかってくるがいい!」
「魯弗の仇、益波が相手だ!」
「古挫が参る!」
続けて名乗りを上げた敵将二名も、反撃の暇もなく一撃で絶命させる。
その圧倒的な強さに敵兵が震えあがった、その隙――
龍紅は、残った二百の兵を見渡し、声を絞り出した。
「……聞け! 動ける百名は、今すぐ四方に散って逃げよ!
誰か一人でも生き残り、弟の蒼賡に知らせるのだ。
ただの兵であれば、奴らも深追いはせぬだろう。行け!」
龍紅は、残った百余名の兵たちに視線を移す。
「……すまぬ。私と共に、黄泉の旅に付き合ってもらう。」
兵たちは主君の死後を案じ、血涙を流して叫ぶ。
「何を仰いますか! 毒を盛るという卑劣漢どもに、龍家の武を骨の髄まで
見せつけてやりましょうぞ!」
兵達が歯を食いしばり、悔しさを滲ませる。
「しかしながら……仁慧様の亡骸を、あのような賊どもに委ねること、
「それだけが誠に悔しゅうございます……! 不忠な我らをお許しください!」
龍紅と兵たちが一つの槍となり、矛となり、虞業の兵を打ち倒す。
気が付けば、虞業の兵は三千から二千五百余りにその数を減らしていた。
そして辺りには、もはや動く龍家の兵は居なかった。
龍紅は、一人血の海の中に立ち尽くし、気づけば百五十余の敵兵を
その手で屠っていた。
虞業と田兄弟の顔が、死人のように青ざめる。
「ひ、ひいぃっ! だ、誰か……誰かあの化け物を仕留めよ!
近寄るな、射殺せ! 矢を浴びせて殺せッ!」
龍紅は、降り注ぐ矢の雨が迫る中、己の最期を悟った。
そして想う。
(揚迪よ……すまぬ。そなたを若くして未亡人としてしまった。)
(我が子ら阿及、阿路よ……もはや、この手で抱くことは叶わぬ。)
(そして蒼賡よ。志半ばで奸計に落ちた、この愚かな兄を許してくれ。
龍家の後を頼む。)
龍紅は天を仰ぎ、最期の言葉を紡いだ。
「身如紅花散(身は紅花の如く散るとも)
魂在碧空存(魂は碧空に在りて存す)」
我が紅の身、花の様に散ろうとも、
この魂は常に蒼い空と共にある。
言い終えるや否や、龍紅は己の首に鋭き刃を当て、
躊躇うことなく一気に引き切った。
鮮血が紅花のように舞い、魂が碧き空へと昇っていく。
龍紅が息絶え、静寂が訪れても、虞業の兵たちは動けなかった。
「死んだふりではないか」「近寄れば返り討ちに遭う」――。
自ら命を絶った骸を前に、ただ恐怖に震えていた。
やがて、一人の兵が近づき、震える声で叫んだ。
「し、死んでいます! 息が……息が止まっております!」
その言葉を聞き、虞業が馬を降り、おそるおそる遺体へと近づく。
「……こ、こいつめ! やっと、やっと死におったか!」
虞業は恐怖を振り払うかのように、龍紅の亡骸を荒々しく踏みつけた。
「この死に損ないが! よくも我が将を、我が兵をこれほどまでに!」
虞業の顔は、怒りと底知れぬ恐怖で歪んでいた。
「斬れ! 跡形も残すな! 影すら残らぬようにせよ!」
それは龍紅の尊厳を奪うためではなく、
“再び立ち上がるのではないか”という妄執に取り憑かれた虞業が、
己の心の敗北を認めまいとする、醜いあがきであった。
その恐怖が英雄の死を踏みにじり、五体を無惨に解体させた。
話の一部始終を終えると、兵がその場で倒れこむ。
「……龍紅様をお守りできず、申し訳ありませんでした。
こうして、龍輝様にお伝えできて……本当によかった……」
兵はそう絞り出すように告げると、憑き物が落ちたような安らかな顔で、
そのまま静かに力尽きた。
話を聞き終わっても、龍紅の死を受け入れることは出来なかった。
命をかけた兵の忠義を労わることもできず、
動くことも出来ず、声を発することもできない。
ただ、頭の中が白く塗りつぶされていくような感覚だけがあった。




