第48話 密書、そして虚実の恭順へ
俺は補水と名付けた蜂蜜と塩を溶かした白湯を飲ませる。
「誰か、この者に補水を与えよ!」
兵が力なく「恐れ入り奉ります」と涙を流す。
逸る気持ちを抑え、飲み終わるのを待つ。
俺は理性を繋ぎ止めようとする。だが言葉の末尾は、
焦燥で鋭く力がこもる。
「兄上に何があった……話せ!!」
兵が跪拝したまま、瑛南での出来事を話し始めた。
涙を堪え、声を震えている。
「はい……事の始まりは……
龍輝様が都・恆祥に技術者を派遣して、
二週間程してからの事でした。
南部の豪族から書状が届いたのです。」
『瑛南の太守、龍紅様。
私は南部の境にて、土着の民を束ねる田唐と申す者にございます。
兵五百余を擁し、虞業が領地と接するこの地を、微力ながら守護して参りました。
此度、筆を執りましたのは、虞業の不義を告発せんがため。
仄聞するに、虞業は龍家の家宝を妬み、
都の都宰侍を通し帝にあらぬ密告を行って、
貴家を窮地に陥れんと画策しております。
飛ぶ鳥を落とす勢いの龍家に背き、
腐敗した中央に媚びを売るなど、もはや時代の推移を見失った老いぼれ。
願わくば、この田唐、一族を挙げて龍家の庇護に降り、
新時代の礎となりたく存じます。
『不躾ながら、龍紅様と直接お目文字し、帰順の許しを賜りたく――。
ささやかながら宴を整え、首を長くしてお待ち申し上げております』」
帝に密告した者を密告してきた、
そして恭順を申し出てきたのか……。
タイミングが良すぎて、胡散臭すぎる。
これが罠だとしたら龍紅が気付かなかったと思えないが……
龍紅様は書を閉じ、笑みを浮かべておりました。
「相わかった。そなたらの赤心を疑うものではない。この紅自ら出向き対面しよう」
そう仰ると、縁牛様に瑛南の地を任せ、
兵一五〇〇を連れ南の境に向かわれたのです。
そして、行軍の道程を終えると
田唐が跪拝して出迎えた。
「これはようこそお越しくださいました、龍紅様!
武勇が響き渡る昇紅龍に、かような辺境の地に足をお運びいただけるとは、
夢にも思わぬ誉れにございます」
「案ずるな。先見の明ある者の恭順を、
無下にはねつけるほど、この龍紅の器は小さくはない」
「流石は龍家の麒麟児、天下の大器であらせられる。
……こちらに、歓迎の宴を整えております。
龍紅様も兵座の皆様方も、旅の疲れを癒やし、心ゆくまでお寛ぎください――」
「いや、宴はよい。我らは遊びに来たのではない。
まずは、この地の勢力図について詳しく聞かせてもらいたい」
「承知いたしました。では、立ち話も何でございますゆえ、
我が屋敷の奥へお越しください。詳しくご説明申し上げましょう」
「いや、それには及ばぬ。我が軍の天幕で十分だ。
……それとも、何か不都合でもあるか?」
「――! いえ、いえいえ……。滅相もございません。
おもてなしをと考えたまでで。龍紅様のお望みのままに……」
「……ふむ。この辺りは虞業がその殆どを治めているのか」
「はい。我らのような地方の小豪族も、虞業に恭順するか、
協力関係にございます。
周辺には小都市も点在いたしますが、
虞業さえ抑えれば、これらを飲み込むのは容易いことでしょう」
「なるほど、分かりやすい。虞業は流石に南部の名士、その影響力は侮れぬか」
「左様にございます。南部は広大であり肥沃な丘陵地帯。
古来より農を誇る風土にございます。版図に加えれば、
龍家の大望を成す盤石の礎となりましょう」
「なるほど、わかった。調べはつけさせておるが、やはり土地のことは
その地に住まう者に聞くのが一番だな。田唐よ、大儀であった。有益な情報だ」
「ありがたき幸せに存じます。……ところで龍紅様、
この後、いかような軍運びをお考えでしょうか?」
「ふ……気になるか? 恭順したとはいえ、
軍の機密をやすやすと漏らすわけにはいかんな」
「ははっ、失礼をいたしました。流石は龍紅様、抜かりございませぬ。
……時に、つかぬことをお伺いしますが、
龍紅様は未だ御夫人をお一人しか娶っておられぬとか?」
「左様だが……それがどうした?」
「実は私に十五になる娘がおります。
器量も人後に落ちぬものと自負しており。
願わくば、我が田家と龍家の絆を強固に結びたき存じますれば、
側室に迎えてはいただけませぬでしょうか?」
「そのようなこと、今すぐには決められぬな。
私は愛妻家でな。妻に相談もせず側室など連れて帰ってみろ、
夜もうかうか寝ていられなくなる」
「はっはっはっ! 左様でございましたか。
猛獣をも倒す昇紅龍様とて、奥方様には敵いませぬか!」
「ふふっ、すまぬな。だが器量が良いのであれば、
これから良縁もあろう。
そなたが良ければ、私の配下の将と引き合わせても良い」
「ははっ、ありがたき幸せ。
ではこの件につきましては、
折を見て、またご相談させていただきまする。
それで、別の話となるのですが……」
「龍紅様に伏してお願いがございます」
「申してみよ」
「この集落より南西に向かった先、我が弟の治める村落がございます。
何卒、弟の一族も龍家の庇護下に置いてはいただけませぬでしょうか。
ここに認めました書状を弟に渡していただければ、
龍紅様の威光の前に、断じて逆らうような真似はいたしませぬ」
「田唐よ、それは娘の話より先にするべきではないか?」
「これは……! 申し訳ありませぬ。
つい親として娘の幸せを優先してしまいました。つい口が滑りまして……」
「ふっ、まあよい。そなたも人の親ということか」
「こちらが、書状でございます。ご検めください。」
【田唐より弟・田達への書状】
我が弟、田達よ、よく聞け。
此度、私は龍紅様の庇護下に降ることを決意した。
龍紅様は真の英雄であられ、帰順を申し出た我ら一族を、
直々にお見舞いくださったのである。時は来た!
今こそ虞業という旧弊に縋る愚か者の支配を打ち砕き、
龍家という新進気鋭の勢力に身を捧げ、田家の地盤を盤石にすべき時なり。
心得たか。龍紅様は我ら一族の「命運」を握るお方。
くれぐれも失礼のないよう、持てる限りの礼を尽くしてお迎えするのだぞ。
兄、田唐より
「わかった。その書状、ありがたく預かろう。
……誰かある! 田唐に褒美を取らせよ」
「ははっ、ありがたき幸せに存じます!
この田唐、今後は龍家のため、この身を粉にして尽くして参る所存にございます」
そして龍紅様は書状を手に、田達の集落へと踏み入りました。
俺は、兵の言葉を一言も漏らさぬよう静かに聞いていた。
玄綏の空に、暗雲が垂れ込めようとしていた。




