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第6話 逢瀬、そして将来の芳契へ

さて、次の日の俺は――

昨日、授業で心ここにあらずで聞き逃してしまった部分を阿京に教えてもらうため、書庫へ向かっていた。


仕方ない、仕方ない。今日は本当は鍛錬がしたかったけど……

教養を身につけるためだ。仕方ない。うん、仕方ない。


少し緊張しながら書庫に入ると、阿京がいた。

自然と足がそちらへ向かう。


「おはよう、阿京。今日も師君のお手伝いかい?」


「おはようございます、阿刀様。

 はい、左様でございます……なのですが、

 欲しい書が見つからなくて。

 目録ではこの箱に入っていたはずなのですが……」


「わかった、それなら一緒に探そう」


「い、いえ! そんな滅相もございません!

 阿刀様の手を患わせるなど……恐れ多くて身が縮む思いにございますれば」


「いいんだ、いいんだ。気にしないで。

 どうせ誰かが近くの箱に間違って入れたんだろうし。

 分類通りにしてても、そういうことはあるよ」


「……それでは、お言葉に甘えまして。恐悦至極にございます」


「いや、本当にいいんだって。

 それに、そんな堅苦しい言葉遣いしなくていいよ。

 さすがに師君や阿父の前だと問題かもしれないけど……

 二人の時は、同じ師君に学ぶ“同志”として、

 阿京の言葉で話してくれると嬉しい。

 その場合、阿京が学姉になるわけだし」


阿京は一瞬きょとんとしたあと、ほんのり頬を染めて小さく頷いた。


「……承りました。

 それでは、阿刀……よろしくお願いね」


まだ少し硬いけど……これはこれで、なんか良い。


阿京が目録を手に、箱の周りを調べていると――

しばらくして、目当ての書が見つかった。


「……あったね。よかった」


「ありがとうございます、阿刀。助かりました。

 優しいのね。それに……師父から聞いていたよりも、

 ずっと学問に興味があって驚きよ」


「おや? お父上からは何て聞いていたんだい?」


「筋も良くて見込みもあるが……集中力が足りない、と」


阿京はくすっと笑いながら教えてくれた。


「まぁ、うん。当たってるかもしれない。

 実は昨日、お父上の授業を聞き逃してしまってね……

 阿京に教えてほしいんだ。

 あと、字でもいくつか書けないところがあってさ」


「あらあら……では、私の賞賛を返していただけるかしら?」


そう言って、二人で笑い合った。


しばらく談笑していると、そろそろ朝食の時間だった。

楽しすぎて、あっという間だった。


「今日の授業は聞き流さないようにしてね。

 師父が悲しみますので」


「頑張るよ。でも聞き逃したら……

 こうやってまた阿京に教えてもらえるんだろ?

 そっちの方が俺は嬉しいかもしれないな」


「馬鹿なことを言わないの」


阿京は少し頬を赤らめながら、続けた。


「識章にもこう書いていますよ。


『学ぶときは、心を尽くして学ぶべし。

  時は有限にして戻らず。

  今日一つ学べば一つ進む。

  その歩みは緩やかに見ゆるときも、

  積もりて千里に通ずるものなり。』」


「えっと……限られた時間を無駄にせず、一つずつ学べ……

 それが地道だとしても、ってことか」


「そうよ。そして阿刀は今もだけど、

 ただ節の句を暗記するのではなく、

 自分の言葉にして、自分の中に落とし込もうとしているわ。

 その感情をもっと自覚すれば、

 きっと経典の授業をもっと楽しめるはずよ」


「……わかった。阿京にそう言われたら、頑張らないといけないよな。

 それじゃ、また……」


ふと、言葉が口をついて出た。


「あっ、そうだ。今日、経典の授業が終わった後……

 そうだな、鍛錬の後になるか……一緒に庭を歩かないか?

 もっと、阿京と……話がしたいんだ」


阿京は一瞬驚いたあと、ふわりと微笑んだ。


「うん、いいよ。私ももっと阿刀と話がしたいから」


そう言って書庫を先に出た阿京を見送りながら――

俺は思わず、小さくガッツポーズをした。


経典の授業は、阿京に言われたので頑張った。


……でも武芸の鍛錬は、正直覚えていない。

しょうがないんだ!

とりあえず剣を振ったよ。一心不乱に。

心を無に、そう……空っぽに……空っぽすぎたのか、

スキルが上がった気はしなかった。


そして待ちわびた、阿京との庭園での逢瀬。


本当は屋敷の外とか行ってみたかったが、

この時代に十二歳の豪族の息子と師君の娘が外に出たら、

賊に囲まれて誘拐されるのがオチだ。

先日、龍紅が治安が悪化していると言っていたし……

仮に出かけたいと言っても、お目付け役に止められて終わりだろう。


転生初日は余裕がなかったから気づかなかったが、

屋敷の中でも要所要所にお目付け役がいる。

武芸の鍛錬も、龍紅がいないときは師範付きだ。


……まあ、庭園の花かぁ。

一人だったら興味なかったけど、

こういう時に“口実”になるのはありがたい。

案外、庭園が最初に作られた理由って、

こういうのだったりして……知らんけど。


「阿京、花が綺麗に咲いているね。

 俺は詳しくないから種類まではわからないけど……

 阿京ならわかるかな?」


「そうね。あそこに咲いているのが“百花王”。

 名前に相応しい大輪が、とても富貴で綺麗でしょう?」


言われた方を見ると、薄紅や深紅の花びらが

千々のように咲き乱れ、確かに美しかった。


「そして、向かいに咲いているのが梨花ね。

 真っ白な花が雪のようで……綺麗」


阿京はそっと微笑む。


「百花王と梨花が同時に見られる期間は短くて……

 良い時に誘ってもらえました。ありがとう、阿刀」


梨花の中で、雪のように白い肌で微笑む阿京の姿に、

俺は思わず呟いていた。


「……美しい」


「そうね。本当に……」


「あ、いや……阿京が……梨花のように……」


「えっ……?」


少し照れたあと、阿京は静かに言った。


「高貴な梨の花に例えていただけるとは、光栄の至りです。

 私が梨花ならば……阿刀は“蜂巣”のように、

 泥に染まることなく、大きな葉で私を守ってくださるでしょうか?」


その返しに、俺は顔を真っ赤にしてしどろもどろになり、

上手く返すことができなかった。


狼狽える俺を見て、阿京はくすっと笑い、


「私だけ照れるのはずるいので……お返しです」


と言ってきた。


気づけば、俺は阿京の左手をそっと握っていた。

驚かれるかと思ったが……阿京は、そっと握り返してくれた。


庭園を歩いたあと、俺は花々で冠を作り、阿京に手渡した。


「今、阿京に送る冠は花だけど……

 いずれ、玉で飾った華やかな冠を送ると約束する」


我ながら気が早い。でも、もう駄目だ。

我慢できなかった。


阿京は少し驚いたあと、柔らかく微笑んだ。


「阿刀は……ずいぶんと気が早いのね」


そう言ってから、静かに続けた。


「この花が枯れても、私の心に咲き続ける冠として……

 幾千の夜を数え、その日を待ちわびております」


阿京の言葉が胸に残ったまま、次の日の俺は――

また阿京を誘っていた。


「日が沈む前に……阿京と見たい景色があるんだ」


そう言って、二人で馬に乗ったまま、屋敷の外れの小高い丘へ向かった。


本来、結婚前の男女が一緒の馬で密着するなんて許されない。

けれど、きっと昨日の一部始終を見ていたであろうお目付け役は、

何も言わずに見逃してくれた。


夕陽が沈む直前。

空は金色から朱へ、朱から紫へとゆっくり色を変えていく。


阿京は馬上でそっと息を呑んだ。


「……綺麗」


その横顔が、夕陽に照らされて淡く輝いていた。


「阿刀……誘ってくれて、ありがとう」


「ううん……俺の方こそ。阿京と見たかったんだ」


夕陽が沈む瞬間、影が長く伸びて、

風がそっと二人の間を撫でていく。


その景色は――

心が震えるほど綺麗で、

きっと生涯忘れないだろうと思った。

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