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第5話 書庫、そして運命の出会いへ

さてと……今朝は、寝る前に母から聞いた“書庫”を覗いてみることにした。


経典の先生も、授業で使う書物や竹簡、木簡をこの書庫から借りているらしい。

まさか、あの書の出所が我が家だったとは。

先生にもらったものは先生の写本らしいけど。


いや、武芸も大事だけど……やっぱり教養も大事だよな。

歴史シミュレーションゲームでも、武芸だけ高い脳筋は微妙に使いづらいし。

シリーズによっては混乱・火計のコンボで延々と動けないとかもあるし……


それに、この世界を救うなら避けて通れないと思うんだよね。


……自分に言い聞かせてる時点で、あまり乗り気じゃないのは認める。

設定的に武芸も教養も低くないはずなんだけど、やっぱりね。

体感できて楽しいのは、どうしても体を動かす方だからなぁ……


書庫の扉を開けると、埃と墨の匂いがふわりと漂った。

古くなった本の香り……なんだけど、古本屋とは少し違う。

紙だけじゃなく、竹簡や木簡の匂いも混ざっているからだろうか。


棚に並ぶ書物を手に取っては軽く読み、戻しながら奥へ進むと――


書物や木簡を抱えた少女が、驚いたように振り返った。


「ああ、ごめん。驚かせたかな?」


「いえ、大丈夫です。初めまして。

 ここで経典を教えております師父の娘、阿京あきょうと申します。

 阿刀様でいらっしゃいますよね? いつも、お見かけしておりました」


「あ、阿刀だよ。よろしく。師君にはいつも世話になってる」


阿京は胸元で巻物を抱え直し、ふわりと微笑んだ。


……やばい、かわいい。

何だこれ。心臓の鼓動が早いし、顔が熱い。

待て、元は大学生だぞ俺は! 今の俺と同じ年齢くらいの少女に何を……!


「まあ……ご丁寧に。これは仁章じんしょうの巻でして、

 父が授業で使うものを整理しておりました」


仁章……どんな内容だったっけ?


俺が首を傾げると、阿京は目を丸くして、少し驚いたように言った。


「阿刀様が父から学んでいる経典の内容ですよ。

 思いやりや徳についての教えです。

 有名なのは――


 『仁とは、徳を積みて富を貪らず。

  貧しき者あらば、これを分かち与うるを上とす。』


 ……ですね」


「ああ、なるほど。仁ってのは、

 徳を積んで、富だけ求めず、困ってる人に分け与えること……

 そういう意味なのか」


阿京はこくりと頷き、また微笑んだ。


その笑顔に、胸の奥がじんわり熱くなる。


「仁章以外にもあるんだっけ?」


「はい。全部で仁・義・識・武・法の五つとなります。

 私もまだ勉強中で、全てをそらんじることはできませんが……

 有名な一節ならお教えできますよ」


「うん、聞きたい。教えてもらえる?」


「はい。それでは次に――義章。

 義章は恩義・返礼について説いています。


 『義とは、親に仕え、兄を敬い、恩を受けし者に報ずるなり。

  犬すら食を与うれば尾を振る。

  恩を知らずして返さざるは、犬にも劣ると知れ。』」


「つまり“恩返しできないのは犬以下だよ”ってことか」


阿京は小さく笑って、続ける。


「識章は知識・学びについて説いています。


 『識とは、ただ蓄うるにあらず。

  人を侮るために用うるにあらず。

  時に臨みて人を助くるためにこそ在る。

  ゆえに日々学び、己を磨くを良しとす。』」


「“知識は人をバカにするためじゃなく、人を助けるために使うもの”か。

 なるほど、良いこと言ってるな」


俺の感想に、阿京がまた微笑む。


「武章は武の心構えです。


 『将の武は、個の勇にあらず。

  仁を以て上とす。

  怒りて剣を振るうは、匹夫の武と知れ。』」


「“怒って剣振り回すのはただの短気”ってことだな。

 まあ、それじゃ強くても子供だよな」


「最後に法章。秩序・規律について説いています。


 『法とは序なり。法とは作法なり。法とは規律なり。

  目上を敬い、礼を尽くし、罪を犯さざる──これ、法のすべてに通ず。』」


「“法ってのは序列で、作法で、規律で、目上を敬って罪を犯さないこと”か。

 遵法意識だな」


「『仁・義・識・武・法の五章をもって五体とす。

  これ、高名なる李子の教えなり。』」


阿京は巻物を抱えたまま、丁寧に締めくくった。


「五体……つまり、全部そろって“人として完成”ってことか」


「はい。父も“仁なき武は暴、法なき識は乱”と申します。

 だからこそ、日々学ぶことが大切なのです」


書庫の静けさの中で、二人の距離がほんの少しだけ近づいた。


「ただ……節もここには揃っておりません」


阿京はふと寂しげに目を伏せる。


「うん? 阿父が揃えられなかったとか?」


「いえ、残っていないのです。失伝されたと言われております。

 李氏がお亡くなりになってから幾ばくかの年も流れ、

 戦乱で焼けた巻も多く……断簡ばかりなのです。


 父は“いつか全ての節を見つけたい”と申しておりますが……」


そこで、阿京は小さくため息をついた。


「見つけたと思って購入しても、偽書ばかりで……嘆いております」


「見つかるといいな……」


「はい。私も、できれば目にしてみたいものです」


「そっか。じゃあ――俺が見つけたら、真っ先に阿京に見せてやるよ。

 俺と阿京の後だから、師君に見せるのは三番目だな!」


「……ふふっ」


阿京は口元を隠しながら、嬉しそうに笑った。


その笑顔を見た瞬間、

――これは本当に見つけてやろう。

そう心の中で優先度を一段……いや、二段以上に引き上げる俺であった。


おっと、そろそろ朝食の時間だ。戻らないと。


「ありがとう、阿京。とても勉強になった。阿京はすごいな!」


「いえいえ、私など師父に比べれば、まだまだでございます。

 若輩者が阿刀様のような高貴なお方に、出すぎたことを申し上げました」


「ううん、楽しかったよ。それで……また会えるかな……?」


阿京は少し驚いたように瞬きをして、すぐに柔らかく微笑んだ。


「はい。私はよくここで、師父に必要な書を調べたり整理したりしております。

 もし阿刀様にご迷惑でなければ……私に出来ることなら、犬馬の労を厭いませぬ」


「迷惑だなんて! また会いたいんだ!」


――っと、しまった。何を口走ってるんだ俺は!


慌てて阿京の顔を見ると、彼女は真っ赤になって口元を袖で隠していた。


「わ、私のような者に……勿体なきお言葉をいただき……

 身の引き締まる思いでございます。本日はこれにて……失礼させていただきます」


小さく頭を下げ、阿京はそそくさと書庫を出ていった。


……良かった。多分、嫌がってはいない。はず。


でも、この時代の身分差を考えると、相手は否定もできないしなぁ……

隠してるだけかもしれない。気を付けよう。


それでも――


明日も会えるかと思うと、胸の奥がじんわりと暖かくなった。


――阿刀……阿刀……!


師君が俺を呼ぶ声がする。


さっきの阿京とのやり取りを何度も反芻していたせいで、心ここにあらずだった。


「昨日は珍しくまともに授業を聞いていると思ったら……しっかりせんか!」


静かだが低く響く怒声に、ようやく意識が現実へ戻る。


「す、すみません。お父様!」


「お父様ではないわ! この、愚か者がッ!」


おっと、いけないいけない。

ここで師君に嫌われるわけにはいかない。

“将を射んと欲すれば先ず馬を射よ”だからな……(違う気もするが)


その後は気を取り直して授業を受けた。


そして武芸の鍛錬では、まだ手をつけていなかった弓を試すことにした。


歩射――地面に立ち、礼に則り、型を乱さずに弓で的を射る。

テレビで見る弓道部の練習に近い気がする。


馬射――馬で走りながら馬上から的を射る。

これはまあ……流鏑馬だよね。


射止める……射止めるか……

いかん、俺は何を考えているんだ。


ほどなく汗を流していると、的に当たる回数が増えてきた。

よし、スキルが上がったな!


そして夕食の時間。


父が開口一番、こう言った。


「阿刀は……先生の娘が気に入ったのか?」


ここまで筒抜けなのかよ……!

口から吹き出しそうになるのをこらえ、咽ながら返事をする。


「ごほっ、ごほっ……な、何を仰いますか、阿父よ。

 今日、偶然書庫でお会いして……さすが師君の娘だと。

 その学識の深さに感嘆し、教えを乞うただけです」


「ふふっ、隠さなくても良い。

 まだまだ半人前なのに、手だけは早いな」


「ち、違います!」

……いかん、何をムキになっているんだ俺は。


まったく……こういう配慮は五章にないのか……?!

李氏先生……“デリカシーの章”とか作ってくれてたらよかったのに。


食事が終わると、気恥ずかしさに耐えきれず、俺は急いで部屋へ戻った。

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