第45話 改称、そして変転の玄綏へ
俺はこの四年の間、御瀾の内政、軍備、そして都市開発という
三つの大事業を推し進め、ついに拠点であり象徴となる「弥安宮」が完成した。
時は蘇瑛二十年の吉日。
弥安宮の広場で開かれる盛大な式典には、
名だたる重臣や大勢の兵たちが集まった。
皆がじっと見守る中で俺は力強く宣言する。
今日、この時をもって御瀾の名を捨て、
この地を「玄綏」と改めることを――。
式典の刻が近づく。
俺の胸中に経験したことのない凄絶な重圧がのしかかる。
壇上へと続く石段を一歩踏み出すごとに、
心臓の鼓動が高鳴り、抑えられない。
弥安宮の広場を見渡せば、埋め尽くす将兵に指先が震える。
やがて壇上に立つと、深く、長く息を吐き出した。
静寂が包み、皆が俺の言葉を待っている。
俺は出来るだけ、力強くあるよう口を開く。
「皆、聞くが良い。
この御瀾に我らが根を下ろしてより、はや四年。
豊かなる川と大地の恩恵を受け、
我らはこの地で仁政を敷き、兵を鍛え、
民を慈しんで都市を築き上げてきた。
その結実を見よ。
今やこの地は目覚ましい発展を遂げ、
南部のみならず、都・恆祥にも比肩するほどの威容を誇るに至った!
これは私一人の力ではない。
ここにいる諸将、民、そして何より、
本拠にて我らを見守る父上、
瑛南の地を固める兄上の支えがあってこその成業である。
今日、この場で行うのは単なる祝賀ではない。
父上、兄上と共に新たなる龍家の幕開けを告げる儀式だ!
この始まりの証として、本日この時をもって、御瀾の名を改める。
ここは我ら龍が安寧をもたらす地――これよりは『玄綏』と呼ぶ!
者共、新たな希望をこの地から示すべく、
私と共に新たなる時代を切り拓こうぞ!」
静寂を切り裂き、広場を埋め尽くした群衆から歓声が沸き起こる。
「龍健様、万歳! 中興の元功に栄光あれ!」
「龍紅様、万歳! 昇紅龍の武威よ永遠なれ!」
「龍輝様、万歳! 新都の主、賢蒼龍の俊英に続け!」
誰からともなく始まった連呼が広場を飲み込んでいく。
兵たちは槍の石突きで大地を叩き、
武官、文官たちは拍手喝采している。
城下の民たちもこの善き日に前途洋々であれとお祭り騒ぎだ。
龍家という太陽がこの地に昇った証であった。
「龍家に、永遠の繁栄あれ――!!」
熱気冷めやらぬなか、その夜は杯を交わし、
楽を奏で喧騒に酔いしれる大宴となった。
重臣たちが次々に寿ぎの言葉を述べていく。
「龍輝様、この度は誠におめでとうございます。まさに天の配剤にございました」
「何、この佳き日を迎えられたのも、其方ら臣下の働きがあってこそ。
今後とも龍家の繁栄のため、力を貸してくれ」
「滅相もございません。龍輝様が振るわれる内政の妙は、鬼謀神算。
我ら家臣一同、どこまでも龍家の旗印についてまいる所存にございます」
「あの驚くべき農法……いかなる天啓によって思いつかれたのか。
玄綏の収穫は他の追随を許しませぬ。
今や城内の民に飢えの色はなく、皆一様に仲謀様を『慈悲の主』と崇めております」
「民草は、猛獣すら手懐けたと謳われる龍紅様を『昇紅龍』と呼び、
底知れぬ知略を持つ龍輝様を『賢蒼龍』と呼んで讃えております」
龍紅が城外で猛獣に遭遇し、そのまま斬り伏せたらしい。
それを見ていた民が武勇を称え、いつしか昇紅龍と呼ぶようになった。
そして俺は、現代の知識を活かした内政の成果から、
知恵を讃えられ賢蒼龍と呼ばれているらしい。
ちなみに俺の武勇は、龍紅に比べてからっきしだと伝わっている。
見たことのない者からすれば、研究者のような印象なのだろう。
俺は苦笑を浮かべて首を振る。
「噂は風に乗って尾鰭がつくものだ。
兄上が瑛南の城外で猛獣を斬り伏せたのは事実だが、手懐けて愛玩してはいない。
……私の知恵とて些末なものだ。
兄上の武も私の智も、一人では何事も成し得ぬ。忠義の手足となって働く者がいて大業が成る」
俺は周囲の顔を見渡し、静かに力強く釘を刺す。
「民が肥えれば其方らも潤い、其れこそが国を富ませる根幹となる、
そのこと忘れるな。
この佳き日の誓い、我らが前途に龍の如き光あらんことを!」
「ははっ、我ら一同肝に銘じまする!」
俺の顔色を伺う様に、一人の文官が口を開いた。
「……恐れながら、一言、無礼を承知で伺いたきことが。
……龍健様はご健在、嫡男には龍紅様がいらっしゃいます。
この晴れやかな新都の宣言を龍輝様が執り行われたのは、
いかなる理由によるものでしょうか。……
いえ、決して龍輝様に資質がないと申すわけではございませぬ!」
「はははっ! 案ずるな、其方の疑念は至極真っ当よ。実は私も、
父上と兄上へ書状を送り、この大役を請うた。だが……」
俺は苦笑いしながら、杯を置く。
「父上からは『私ももう老境よ、隠居の楽しみを奪うな。お前に任せる』
と突き返され、兄上からは
『玄綏をこれほどまでに育て上げたのはお前の知恵だ。主役はお前が務めよ』と
叩き返されてしまい、不相応な大役を担う羽目になったのだ」
「左様でございましたか! いえいえ、堂々たる演説、
我ら家臣一同、魂の震える思いで拝聴いたしましたぞ!」
そう……俺の役割は都市の発展までで、
新都の宣言は親父か龍紅がすると思っていた。
だから親父に、新都で宣言をお願いしますと書状を送ったら――
「父上もそろそろ隠居を考えてもいい御歳です。
御自身のお身体を第一に。
これからの龍家の行く末については、
若い我らにお預けくださいますよう。」
……って言ったのはどこのどいつだ。
お前がやれ! という内容が返ってきた。
それならそうと、龍紅にお願いしますと書状を送ったら――
「玄綏の将兵も民も、お前が宣言した方が喜ぶだろう。」
と断られた。
ようやく宴会も終わり人心地つく。
「蒼賡様、随分とお疲れの様だな」
紫音が俺にねぎらいの言葉をかける。
「ああ、この地に来た頃に比べれば慣れたのだが、
やはり、どうしても人前でというのは肩がこる」
現代でただの大学生だった俺には、重荷が過ぎる。
しかし、紫音も同席していたのに余裕そうだ。
生まれと育ちからくるものだろうか。
紫音が綻んだような笑みを、その瞳に宿す。
「ふふ、賢蒼龍が聞いてあきれる、かわいいものだ。
しかし智名のみが独り歩きし、勇名がそれに及ばず、
蒼賡様の武勇が龍紅殿に比べて頼りないとは馬鹿げた言い草だ。
噂とは本当にあてにならん」
「蒼賡様だって猛獣に出くわしたら斬り伏せられるだろう?」
俺は考えて間をおいてから、
龍紅ならこう言うだろうと思った返事をした。
しめたものだと笑うだろうと。
「恐らくできるだろうな……
とはいえ、俺の武勇が兄上に勝つか負けるかなど些細なことだ。
一人が強くとも大軍を一人で相手にはできない。
むしろ、世間が俺を『知恵だけだ』と侮るなら敵が油断した隙に
喉元を抜きやすくなるだろう?」
「……ふふ、自分の評判を気にしないのが蒼賡様らしいな。
では、本当の強さを知っている妻である私だけが、
いつか蒼賡様の武勇が世に広まる日を心待ちにしておこう」
少しの沈黙の後、俺の目を紫音がまっすぐに見つめ、淀みない口調で告げる。
「所で蒼賡様。
御瀾も玄綏と改まり、龍家はさらにその威光を世に広めていくだろう。
……それで、そろそろ第二夫人を娶るべきではないか?」
俺は現代人の倫理から、婚姻は紫音一人だけを設定していた。
紫音だけで充分などど甘いことを言うつもりはないが、
だが……どうにも気が進まず、先延ばしにしていた。
「御瀾を玄綏に改称する為の統治で忙しかったからな……
それにまだ兄上も第二夫人は娶ってないし……」
とは言え、設定した龍紅の第二夫人はそろそろだった気がするが……
「あれほど政治では決断が早いのに、
賢蒼龍から出てきた言い訳が、子供のようだな」
「賢蒼龍は止めてくれ、恥ずかしいんだ。」
俺は心の中で厨二病…みたいでと続ける。
紫音が鈴を転がすように笑声をあげる。
「誰か、懇意にしていたり、気になったりなど心当たりはいないのか?
もし私の事を気にするなら考え過ぎだ。
言ったはずだ。英雄に側室はいて当然だと」
俺は眉間に皺を寄せて視線を逸らす。
「今はいない」
紫音が反応する。
「今は?」
「……。わかった、考えておく。その話はまた今度だ!
さあ寝るぞ! 今日は疲れた、もう寝る!」
「ふふ、本当にいつまでたっても初々しい。
わかった。それでは、蠟を消そう」
こうして無事に玄綏に改称は終わったのだが、
しばらくして、都から不穏な書状が届いた。
そして、その書状の内容が龍家の未来を決定づける
きっかけになるのであった。




