外伝・第8話 日常、そして紫音と出産へ(後)
半年後。俺は完成した「龍家街道」を通り、
特製の「龍家式馬車」から下りてきた紫音を出迎えた。
「遠路、身重の身体で苦労をかけ……」
ねぎらいの言葉を言い終える前に、紫音に強く抱きしめられた。
「こら、従者たちの前で何をしている。……一旦離れろ」
慌てて嗜める俺に、紫音は悪戯っぽく笑って顔を上げた。
「固い事を言うな。私のために整備された街道を、
私のために作られた馬車でやってきたのだ。
こうして真っ先に喜びを伝えるのが、自然だろう」
「いや、別にお前のためだけに作ったわけではない。
あくまで物流の要としてだな……」
俺が必死に主張しても、紫音は涼やかな瞳で見つめてくる。
「そんな言い訳、蒼賡様以外、誰も信じてはいまい。
あちらこちらで、なんと名付けられているか知っているか?」
紫音は俺の耳元で、楽しそうにささやいた。
「——『紫音為馬車』に、
『紫音為街道』。
皆、そう呼んでいるそうだ」
「はぁ? なんでそんな事に……」
思わず間抜けな声が出た。
そんな俺の困惑をよそに、紫音は完成したばかりの滑らかな道を見渡した。
「それにしても、素敵な乗り心地だった。
街道も隅々まで整備されていて……。
こんな快適な道のりは、恆祥ですら味わえん」
紫音は大きな腹を愛おしそうに撫でながら微笑む。
「自分のために、これほど見事な道と馬車が作られるとはな……。
まるで皇后にでもなったようだ。ふふ、悪くない」
「妊娠中でなければ、この溢れる気持ちを
心のまま蒼賡様にぶつけたいところだが……残念だ」
「……ふふ。今はまだ、我慢するとしよう。
無事に出産を終えた暁には……蒼賡様、覚悟しておくことだ」
俺は顔を赤くしてそっぽを向いた。
「やめろ! 流石にそろそろ恥じらいを持て……もうすぐ母になるんだ」
「わかった、わかった。私のためにここまでしてくれた
旦那様の言うことだ、聞いてやるとしよう」
俺はやれやれと手を竦めながらも、
紫音の快活なやり取りと弾んだ声に、
半年の苦労などどこへやらと、温かい気持ちが心を満たしていた。
そして四ヶ月弱の月日が流れ、いよいよその時が訪れた。
生まれたのは、元気な産声を上げる健やかな女の子だった。
「これが……俺の子か……」
設定していたとは言え、無事に生まれてくるか不安だった。
そして、生まれた瞬間に設定という「呪い」が
我が子を縛ることへの申し訳なさで胸がいっぱいになった。
そんなことを考えていたのだが──
生後三日目、初めて我が子を腕に抱いたその時。
腕の中にある、壊れそうなほど小さく、けれど確かな生命の重みに、
全てを忘れて、ただ嬉しくて。
俺の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「……すまない。跡継ぎとなれる男子ではなかった。」
申し訳なさそうに力なく微笑む紫音に、俺は激しく首を横に振った。
「謝る必要などない。
今はただ、紫音と子が無事だった……それが何よりも嬉しいんだ。
産んでくれて、本当にありがとう。」
我が子のために好きな武芸の鍛錬を控えたせいか、
以前よりも細くなった紫音の手を、
娘を抱いたまま傍に座り、そっと握りしめた。
「道も馬車も、すべてはこの瞬間のためだ。
産後の肥立ちを悪くしないよう、今はただ体を大事にしてくれ。」
俺がそう告げると、紫音は安堵したように目を閉じ、
幸せそうに微笑んだ。
「しかし、中々大変だった。あと五人か。」
俺は思わず噴き出した。
「今、生んだばかりで気が早すぎるだろう。」
お互いに顔を見つめながら、静かに笑い合ったのだった。
俺の最初に授かった娘は、設定していた「阿空」と名付けられた。
紫音に意味を聞かれたので、
「この空のようにどこまでも広く、
果てしなく未来が続いてほしいという願いを込めて」
と説明した。
「父の蒼賡様と合わせて青い空か、良い名前だ」
俺の第一子誕生は、「龍家街道」を馬が駆け抜け、
親父と龍紅に伝えられた。
親父からの書状は色々書いてあったが、まとめると──
『無事に産まれたこと、めでたく思う。
龍家のしきたりをよく守り、
龍家の子として恥じぬよう、しっかり育てよ。
——次は、男児を期待している』
ということだった。
いかにも豪族の頭領という手紙だった。
龍紅からの書状は──
『まずは、妻をよく労わることだ。
産後の身体は脆いという。
性別は天が決めること、
気にすることはないと言ってやることだ。
蒼賡よ、親の背を見て子は育つ。
子供に恥ずかしい背中を見せることがないよう、
私もお前も、これまで以上に頑張らねばな』
優しくも厳しい龍紅らしい内容に、
俺は思わず、ふっと肩の力が抜けた。
そして、まだ親父の元には戻らず
御瀾で静養していた静零が祝いに訪れた。
かつての無邪気さは影を潜め、
憂いを帯びた瞳で、俺の腕の中の赤子を見つめていた。
「おめでとうございます、蒼賡兄上。
……この子が大きくなる頃には、
私のように時代の犠牲になることがないよう、心から祈っています」
静零は俺の目をまっすぐに見つめ、言葉を継いだ。
「どうか兄上が、そのような世にしてくださることを……信じています」
喉の奥に、熱い塊が込み上げてくるのを感じた。
「……ああ、誓うよ。お前の二の舞には、決してさせないと」
俺は赤子の顔を見ながら、
自分に言い聞かせるように低く呟いた。
「今度こそ……二兄がお前との約束を守ってみせる」
俺の誓いを聞き、静零は柔らかな微笑みを浮かべた。
「うん、約束してね。……それにしても、なんて可愛い。
目元が、兄上にそっくり」
静零はそっと指先で赤子の頬に触れ、愛おしそうに目を細めた。
そして半年後、設定していた通り紫音が再び子を授かった。
健やかな男児が生まれ、「阿軌」と名付けられた。
また同時期に、龍紅と揚迪にも第二子となる次男「阿路」が生まれた。
龍家の次代が芽吹いていく。
俺は一人の父として、統治者として、
御瀾をより善き地へと変えていくことを、
澄み渡る空の下、紫音が抱く子を見つめながら心新たに誓うのであった。




