第43話 就封、そして鉄志の萌芽へ
御瀾を統治下に置いたのだが、治める太守を据える必要がある。
龍紅は瑛南の平定を任されて離れられないだろう。
親父はどうするつもりなのか・・・
御瀾制圧と共に確認の使者を出した。
すると親父から書状が届いた。
「御瀾は、北の富と南の農を繋ぐ要の地である。
この地を我が龍家が手中に収めた。即ち、天が我らに大望を託した証と知れ。
仁慧は引き続き瑛南の平定に力を尽くし、
蒼賡はこの御瀾を統べ、統治の権礎築き上げよ。
双龍がこの重要な二つの地を支配してこそ、
我らの覇道は盤石となるのだ!」
「川賊を従わせ、流民を安堵し、城を築き、都市を整備し、軍備を整えよ。
これら全てを成した暁には、地名を『玄綏』と改め、
新しき覇者の名を天下に轟かせよ!
新たなる宮殿から、龍家の威光をあまねく示すのだ。
父は旧知の地より、汝の奮闘を期待している」
俺が国令・・・この地の太守、出来るのだろうか。
俺は龍紅に親父から届いた書状を見せた。
「おめでとう、蒼賡。これで晴れて一国の主だ。
……とはいえ、直ちにというわけにはいかぬが。
瑛南で任せている別司馬の軍務、内政の数々
……それらを後任へ引き継いでからになる」
「その顔は、『私に務まるでしょうか』とでも言いたげな顔だな」
瑛南で別司馬として兵を動かし、内政の機微も見てきた。
私の傍らで統治の要諦も学んだとはいえ、
一城の主となれば、若き蒼賡が戸惑うのも無理はない。
「案ずるな。父上とて、今の蒼賡に全てが完璧に務まるとは思っていないだろう。
もしお前が望むなら、経験豊かな将をつけ、手厚く補助もしてくださるだろう。
……この要衝の地を、私ではなく、蒼賡に任せると言った意味。
それは、蒼賡の器にそれだけ大きな期待をかけているのだ。」
私の器……ですか? 私ごとき、兄上に比べれば……
俺はつい、不安気に視線を落としてしまう。
「ふっ……。蒼賡よ。今宵は月を肴に、酒を酌み交わしながら語り合おうか」
俺と龍紅は月が白々と照らす夜に、
互いに手酌で杯を傾けていた。
傍らに控える者もつけず、兄弟水入らずの静謐な空間は、
風が竹林を揺らす音だけが、心の内を代弁するかのように響いていた。
「仁慧兄上、私は……。私は、兄上のようには振る舞えませぬ」
俺は消え入るような声で漏らすと、龍紅は杯を置いて微笑む。
「蒼賡よ、己を卑下する事はない。俯瞰して見るのだ。
内政の妙理は私より上ではないか。
武芸とて、近頃の模擬戦では最早、私と互角だ」
「しかし、私は父上や仁慧兄上に比べて、決定的な何かが足りぬのです……」
「何かが足りぬ……か、蒼賡よ、昔のお前にあって今のお前に欠けている。
それは『覚悟』だ」
「覚悟……でございますか?」
龍紅が頷き、杯を飲み干した。
「そうだ。阿京を助けると決めた時、お前には覚悟があった。
守るべき者の為、己に全てを背負う覚悟だ。
それは決して、絶望による諦めではない。
己の決断や行動で血が流れ、命が消えたとしても、
その重みから逃げず胸に刻む──
犠牲となった者たちの想いを無駄にせぬという覚悟だ。
今のお前は……この世の無常を知り、
目の前の弱き者を救いたい気持ちだけが逸り、
その覚悟がない。」
「蒼賡、此度の戦は父上が機が来たと見て決断した結果だ。
静零が処刑される理を百も承知の上でな」
「父上とて、静零が処刑されて悲しくないわけではない。
心が痛まぬわけでもないのだ。
……だが、それでも『必要だ』と断じられた。
何かを成し遂げる道程には犠牲が伴う。
それを誰よりも理解しておられるからだ」
龍紅は月を仰ぎ、重く言葉を続けた。
「流民とて同じだ。慈しみ救おうとて、全てを受け入れるわけにはいかぬ。
流民でなくとも凶作が続けば、
非情な命の選別を強いられることもあるだろう。
その時にお前は、父上が静零の命を背負うと決めた
同じ『覚悟』が必要になるのだ」
「飢えている者が目の前にいるからとて、
種籾まで食わせてやるわけにはいかぬ。それでは、
次には我らまでもが飢えてしまうのだ」
「そのようなことは、お主もすでに知っていようがな。
既に理屈では分かっておるはずだ。」
俺は流民に食料を分けられなかった事実を思い出し、
ただ、頷いていた。
龍紅が笑みともいえぬ表情を浮かべる。
それは、俺がよく知っている──
己の無力を痛感しているときの表情に、少し似ていた。
はっきりと聞き取れなかったが
「……長子である私に」と呟いた気がした。
「……蒼賡よ。仮に食料が尽き、父上と私、そしてお前の三人がいて、
食事が一人分しかなかったとしよう。
恐らく、お主に全てを食わせるだろう」
「……何故、私なのですか。
父上や、龍家の柱石たる兄上こそ、生き残るべきでございましょう」
龍紅がふと、杯を置いて月を見上げた。
「蒼賡よ、見よ。今年の月は誠に見事で美しい。
……煌々と光り、夜の闇を白日のごとく照らしている」
無邪気に笑った。
「ふふっ、これは天が蒼賡の太守就任を、祝っているようにしか見えんな」
そして表情を和らげ、少しだけ声を落とす。
「蒼賡よ……何故、父上は急に版図を広げたと思う」
蒼賡「それは龍家の勢力を拡大するために、ではないのですか」
「そうだな。だが恐らくは──」
「お前に、天下を手繰り寄せる片鱗を見たからだ。」
「……私ですか? 兄上ではなく」
龍紅が空になった器を掲げる。
「蒼賡よ、人には“器”というものがある。
そして器がない者が上に立ったとき、
その器に収まらずあぶれた人々を不幸にすると、私は思うのだ」
「私が見たところ、父上の器は“地域一帯の豪族と周辺の都市”くらいだろう」
「では……兄上は?」
「私はそうだな……“南部一帯”または“北部一帯”といったところか」
龍紅は杯を置き、静かに続けた。
「だが蒼賡よ」
「父上と私は、お前なら“天下”──この大陸すべてを治める器があると、思っている」
「そんな……私ごときに」
「確かに今のお前にはない」
「だが“器”というものは、最初から全てが広がっているわけではない。
素質があっても怠れば広がり切らずに止まってしまうだろう」
「だから蒼賡よ。
お前は、悩みながらでもよい。自分の往く道を信じて進んでいくのだ」
「そのために父上や私がいる」
「焦ることはない。まずは御瀾の地を試金石とし、
その大器をじっくりと晩成させるがよい」
龍紅がそう静かに締めくくり、月下の宴は幕を閉じた。
俺の胸に渦巻いていた不安は、いつしか消え去り、
代わりに、この優しくも強き兄の期待に応えたいという
熱き決意が芽生えていた。




