第42話 御瀾、そして兵馬の矛先へ(後)
「……っ、ああ、あああ……!」
気付けば俺は崩れ落ち、口からは形にならない嗚咽が漏れ出した。
あんなに美しく、誰からも愛されていた龍玉…静零が、
なぜこんな"切り刻まれた"無残な姿に。
込み上げる吐き気と激しい悲しみに、視界が歪む──
龍紅が取り乱した俺の肩に手を置き、首を振る
その手は僅かに震えている。
龍紅の号令が響く
「門を破れ! 龍家の玉を無惨にも
晒した不義の輩、断じて許すまじ!
悉く捕らえ、その罪を贖わせよ!」
俺はゆっくり立ち上がり、前を向く。
「衝車を出せ!」
瑛南で使用予定だった、改造型衝車だ。
「何だあれは!我々の衝車と全く違うぞ!」
先端に平らな「平頭鍛鉄」を採用した特殊破城槌の一撃
横楔の固定は衝撃で先端が抜けることもない。
「何故、裏側の閂や支柱に衝撃が来るのだ?!」
「火矢を放て!岩を落として潰せ!」
「駄目です!三角の形をした屋根で滑り落ちてしまいます!」
濡らした牛皮が火矢による炎上を許さない。
車軸は積層竹バネがサスペンションとなり
振動を吸収し、突進速度と命中精度を大幅に向上させた
全て、この時代に揃っている
既存の技術や素材に、工夫を掛け合わせて実現できた。
何度目かの突撃で、御瀾の門を閂ごと粉砕した。
崩落した城門に、龍紅と俺が先頭に立って突入する。
奥へ進むと、広間の奥の間で佇む二人の姿があった。
かつて俺に仙人の逸話を教えてくれた。
城主の潭鶯
そして──龍玉の夫である潭沢。
二人は抵抗なく押さえつけられ縄で縛られる。
俺は潭鶯に問いただした。
「勝敗は決していた、何故あんな酷いことを……」
潭鶯は静かに目を伏せ、低く答えた。
「……娘の立場を知りながら攻めてきたのはお主たちだ。」
潭沢が、静かに怒りを抑えながら呟く。
「同盟を破り、戦いを選んだ龍家の人間がそれを言うのですか?」
俺は怒りで叫ぶ。
「あのような無残な真似をする必要がどこに!」
龍紅が短く告げる。
「……もはや語るべき言葉はない。
磔刑に処し、非道な姿で晒したこと、
あの世で静零に詫びてくるのだ」
剣を振り下ろそうとしたその瞬間──
部屋の奥に控えていた従者の娘が、
必死の形相で飛び出してきた。
「待ってください、仁慧兄上! 蒼賡兄上!」
その声に、俺と龍紅が息を呑んだ。
そこに立っていたのは──
生きていた龍玉だった。
龍玉が目から大粒の雫をこぼし、震える声で語り始める。
事の始まりは潭鶯が潭沢に
「龍玉を斬れ」と命じた。
龍家に思い知らせるのだと……
潭沢は顔を真っ赤に上気させ、否定の言葉を並べた。
「生家に裏切られた彼女を、
殺める必要がどこにありますか。
私は静零を愛しているのです!」
しかし潭鶯は説得を聞き届けなかった。
父の命令に背くこと叶わず、
葛藤に押し潰されながら部屋へ戻ったのだ。
その顔には生気が宿っていなかった。
絶望的な状況の中、龍家から付き従い、
母や姉の如く、龍玉を可愛がってきた侍女が毅然と前に出た。
年齢は龍玉から三歳程上であった。
「私が身代わりになります!
主の服を着て、龍家の家紋が入った装飾を身につけましょう。
私と主は背丈が変わりません。
顔さえ……判別できないように傷つけてしまえば、
区別がつかないはずです」
「いけない!そんなの許さない! 弥安!
私の代わりに死ぬなんて、
綺麗な顔を切り刻んで辱めるなんて……!」
激しく首を横に振りながら、弥安に縋り付く。
だが、弥安は穏やかに首を振り、静かに答えた。
「いいのです、龍玉様。
私は、あなたが大切なのです……。
どうか、夫君を、龍紅様や龍輝様を、
家族を恨まないでください。」
「涙は流しませぬ。ただ……主のお子を抱く夢を
見られぬことだけが、口惜しゅうございます。
それだけが我が心残り……どうか、
私の分まで、健やかにお過ごしくださいませ」
「弥安姉……」
「主、私をその様に呼んではなりませぬ。
成人の折に止めると約束したではないですか。」
そして微笑み、縋る龍玉の手を優しく解いた。
「さあ、少主、参りましょう。」
「すまぬ……そなたの献身、その犠牲を決して虚しくはせぬ。」
潭沢もまた、苦渋の決断を下していた。
龍玉だけでも逃がそうと、
彼女を侍従の服に着替えさせ、
弥安の覚悟を受け入れたのである。
俺はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆う。
身代わりとなり、顔を切り刻まれてまで
龍玉を守り抜いた侍従──弥安。
その忠義は、あまりにも深く、あまりにも重かった。
俺が親父を説得できなかったから……
俺が降伏勧告を失敗したから……
俺が……
「……こんなことのために儚く散らせてしまった……」
俺は弥安の献身にひたすらに謝り続けた。
兄として、龍玉の命が救われたことを感謝し
その献身的な死を心から弔った。
「仁慧兄、潭鶯のした事は許せません。
ですが、潭沢が静零を密かに逃がそうとした
恩義に報いる事を許して下さるでしょうか。」
「潭沢以外の幼い兄弟を父上の集落で
過ごさせる、それを条件に命を助けよう。」
裏切らせないための人質である。
潭沢は複雑な表情を浮かべたが、
「……承知しました。今後は龍家の臣としてお仕えいたします」
と静かに頷いた。
縄を解くと、潭沢は龍玉の前に立ち、
別れの言葉を口にした。
「……私たちの婚姻は、解消されるでしょう。
短い間でも、静零と夫婦となれて
私は幸せだった。どうか、達者で」
静零は毅然としながらも愛おしそうに答えた。
「私も、柔温様を愛していました。
ここでの生活は柔温様の
お気遣いと愛に包まれ
本当に幸せでした。」
二人は静かに、最後の別れを交わした。
そして俺は、縛られた潭鶯の前に立ち問いかける。
「……なぜ降伏を断った。なぜ、龍玉を磔刑になどと……」
潭鶯は、かつてと同じ落ち着いた声音で答えた。
「侵略者に何の痛痒もなく、一矢も報いずなど許せぬ。
私は御瀾の主だ。『意地』というものがある」
「下らぬ……女を斬って、なんの意地か……!」
俺の怒りをよそに、潭鶯は静かに笑った。
「青いな、他家に嫁がせ侵略したのだぞ
当然の報いと考えよ。
……だが、侍従が身代わりではな。
最後に息子に裏切られるとは……
いや、よくやったと誉めるべきか
ふっ……もはや問答無用、斬るがいい」
潭鶯の刑が下され、御瀾の戦は終わった。
龍紅が戦のあとの論功行賞で功績を称える。
「呂魏よ、此度の働き、見事であった」
「ありがたき幸せ。……されど龍紅様、
真に我が離反を疑われなかったのですか?」
龍紅はふっと笑った。
「ふふっ。私は呂魏を信じている。
……だが、もし真に背いていれば、
敵将と共にその首を撥ねただけだ。
私と蒼賡に秘策がある噂は知っているだろう?」
身震いしながら答える。
「……なるほど。奥の手を隠しておいでですか。
流石は龍紅様。では、これにて失礼します」
呂魏が去った後、龍輝が小声で尋ねた。
「仁慧兄上、そんな切り札が……」
龍紅は肩をすくめて笑った。
「そのようなものはない。
覚えておけ、ああいう輩は秘策ありと思わせておけばいい。
底が見えぬ相手は裏切らぬものだ」
「なるほど……勉強になりました」
こうして論功行賞も終わり、
ついに御瀾の地までもが龍家の版図となった。
──主を愛した侍従の尊き命を犠牲にして。




