第37話 瑛南、そして民心の安定へ
瑛南へと出陣する日、龍家筆頭の龍健が皆の前で激を飛ばす。
「皆の者、聞け!
我らの祖先は、かつて初代帝の挙兵に従い、
天下を分かつ戦功を立てた。その功で瑛南の地を封じられ、
誇りある龍家が興った。
だが、数代前のこと。都の官から得心のいかぬ交代の命が下った。
それでも我らは背かなかった。我らは世を乱す逆賊ではない、
義を重んじる忠臣なのだ。ゆえに、甘んじてその地を譲り、
今日まで雌伏してきたのだ!」
「我らはこの愛すべき土地を離れはしなかった。
一地方の豪族に甘んじながらも着実に勢力を蓄え、
荒廃する民を安寧へと導いてきた。その積み重ねは、
龍家の軍門に一帯の豪族を支配に服するまでに至ったのである!」
「しかし、今の瑛南太守の様を見よ!
あふれる流民を顧みず、蔓延る賊を野放しにし、
民から過酷な税を搾り取り、私腹を肥やすことに汲々としておる。
この地がいまだ平穏を保っておるのは、
我ら龍家が盾となって外敵を退けてきたからに他ならぬ!」
「さらに! 現在の瑛南太守は、帝に対して謀反を企てておる。
我らはこの奸計をいち早く察知し、すでに都へ奏上を済ませた。
今より我らが行うのは侵略ではない。
忠臣として逆賊を討つ、『正義の戦』である!
この戦いに勝ち、我らは正統を取り戻し、
瑛南太守の座に返り咲くのだ!」
「おおおおおおおおおおおおお!」
兵たちの興奮する声が響き渡った。
「ゆけ、仁慧! 蒼賡!
理不尽に奪われたあの地を奪還し、
志半ばで郷里を追われた先祖たちの無念を、今こそ晴らせ。
我ら龍家の威光、天下に知らしめよ!」
轟々とした激が終わると、
龍家が地方一帯すべてを支配する日がやってきたのだと、
誰もが悟った。
本家から精鋭一千。
さらに、近隣を固める龍家一族の諸豪族から募った援軍二千。
合わせて三千の私兵が、白刃を連ね、砂塵を巻き上げて瑛南へと進軍を開始した。
そして、俺と龍紅は、瑛南の城壁の下へと辿り着いた。
俺は龍紅に方針を伺う。
「いかがなさいますか、仁慧兄上。」
「そうだな。此度の戦は、力でねじ伏せるだけでは足りぬ。
我ら龍家こそがこの地の正統であることを、天下に知らしめねばならぬ。
まずは舌戦をもって、我らの掲げる正義の何たるかを
突きつけてやるとしよう。」
そう言うと、龍紅が城壁に近づいた。
高くそびえる城壁の上から、瑛南太守が龍紅を蔑むように見下ろしている。
「聞け、この逆賊の田舎猿どもめ!
帝のご威光に背き、兵を向けるとは何事か。
貴様らの蛮行はすでに都へ奏上し、援軍を求める使者も放った。
命が惜しくば、今のうちに尻尾を巻いて逃げ帰れ!」
龍紅が太守の言葉を鼻で笑い、声を響かせる。
「はっはっはっ、笑わせるな!
我らは圧政に喘ぐ民を救うべく、帝から密命を帯びたのだ。
『逆賊を征伐せよ』とな。
貴様こそ、今すぐ大人しく門を開け。
今なら、子や孫の命ぐらいは助けてやらんでもない!」
「抜かせ! 嘯きおって!
たとえ援軍が来ずとも、我らは民一人に至るまで死兵となって戦い抜く。
貴様ら猿どもとは違い、我らは誇りとともに死を遂げるのだ。
命乞いなど、よもやこの口から出ると思うな!」
やはり、降伏勧告には応じないか……。
俺は、この“防衛有利”の世界に一石を投じるため、
瑛南攻めのために用意させた兵器の出番が来てしまうかと考えていたが……。
だが、太守の傍らで機を伺っていた一人の将が動き出した。
「……黙れ。我らも民も、龍家に弓引くつもりなど毛頭ない。
死にたければ、貴様一人で死ね!」
叫び終わるが早いか、その将は太守の体を掴み、
城壁の彼方へと突き落とした。
太守は宙を舞い、地面に叩きつけられて絶命した。
これは裏切りか!
一体、何が起きたのか──頭が理解するのに一拍の時を要した。
ゲームではよくある光景だが、実際に目にすることになるとは……。
「門を開けい!
龍紅様、龍輝様を正門よりお迎えするのだ!」
太守を突き落とした将が力強く叫んだ。
重々しい瑛南の城門が左右に開かれ、
将が門前まで進み出て、地に膝をつき俺たちを迎え入れた。
「私はこの地の太守・歩杯に仕えておりました、
呂魏、字を豹徹と申します。
かねてより歩杯の圧政に喘ぐ民の声を聞き、この胸を痛めておりました。
今日、龍家の英雄をお迎えできたのは、まさに天の差配にほかなりませぬ。
何卒、不肖の身ながら、私を臣下の末席にお加えくだされ!」
龍紅が呂魏を一瞥していた。
降将をどう扱うべきか、考えている様子だった。
それを見ていた、龍家に三代にわたって仕える宿将・縁牛が
陣から歩み寄ってくる。
かつての領土・瑛南を取り戻すというこの晴れの戦に、
親父から「俺たちの守り役」として遣わされていたのだ。
「若君、なりませぬ!
この男、歩杯から禄を食んでいた身で主君を手にかけました。
誠に民を思う志あれば、命を賭して諫言することこそ真の忠臣。
己の命が危うくなったと見るや、土壇場で主君を突き落とすなど、
犬畜生にも劣る卑劣な所業にございます。
……圧政に心を痛めていたという話も、すべてが嘘ではないやもしれませぬ。
ですが、その言葉は場を取り繕い、命を長らえんがための付け焼刃。
断じて許すべきではございませぬ!」
「それはあまりにございます!
この呂魏、帝への忠義に一点の曇りもなく。
民を苦しめる逆賊・歩杯に引導を渡したまでのこと!
疑心を向けられては、武人として生きていく道がございませぬ!」
そう言うやいなや、呂魏は腰の剣を抜き、自らの喉元へと突きつけた。
龍紅が落ち着いて制止する。
「剣を引け。そなたの忠義、すべてを疑ってはおらん。
……だが主を手にかけたことは褒められた行いではない。
そして、そなたのおかげで兵を損なわず瑛南を手に入れられたのもまた事実。
罪と功をもって相殺とし、龍家の末席に加わることを許す。
信頼は、これから己の働きで示せ。」
龍紅が鋭い眼光で呂魏を射抜き、皮肉を込めて言い放つ。
「だが、呂魏。私は歩杯と違い、諫言を受け止める度量は持ち合わせている。
もし私に思うところがあるならば、背中から突き落とすのではなく……
その口で堂々と言ってみせよ。」
呂魏は顔中に冷や汗を浮かべながら、深く頭を垂れた。
「ははっ……肝に銘じまする!
この身を臣下に加えていただけること、ありがたき幸せ!
……それでは、これにて失礼いたします。」
そう言って、呂魏は逃げるようにその場を下がった。
俺はこの時、いや絶対裏切る奴だろ、と考えていた。
すると、俺と同じことを考えていた縁牛が、
静かに念を押すように尋ねてきた。
「若君、本当によろしいのですか?
いつ手のひらを返すかわかりませぬぞ。」
龍紅は落ち着いた口調で答える。
「これからこの地を治めるには、現地の事情に明るい者が必要だ。
それに、これから龍家は版図を大きく広げていくのだ。
あの程度の男一人飼い慣らせぬ様では、天下の英傑と競えまい。」
縁牛は一礼し、豪快に笑った。
「はっはっは! ……なるほど。流石、龍家の血を引く若君。
年寄りの余計なお世話……杞憂でしたな。」
龍紅が声を張り上げる。
「さあ皆の者、入城だ!
ただし、略奪、暴行など民に一切の危害を加えること許さぬ。
もしそのような者がいれば、私が斬る!」
俺と龍紅は騎乗したまま、城門を潜り抜ける。
城内へ歩みを進めると、民たちは皆、頭を下げて迎え入れていた。
ただ、その表情には不安が色濃く、誰もがげっそりと痩せこけていた。
俺は惨状を目の当たりにして龍紅に近づく。
「仁慧兄上、これは……あまりに……」
「そうだな……。
歩杯は過分に苛烈な徴税を行っていたようだ。
この様子では、呂魏が手を下さずとも、この地は長くは持たなかっただろう。」
龍紅が兵を呼びつけ、命令する。
「父上へ使者を出せ。
瑛南を我が手に収めたと報告せよ。
また本拠と近隣にある我が一族の集落へも使いを走らせ、
私からの頼みとして兵糧の備蓄を供出する様に伝えてくれ。
届き次第にお触れを出し、瑛南の民へ配給を行おう。
腹が満たされれば、城主が変わったことを民も実感できよう。」
お触れを出した時、瑛南の民は龍紅を称え、
圧政からの解放を涙ながらに喜び、
支配者が変わったことを祝う熱気に包まれていた。
俺はそんな龍紅の善政を誇らしく感じていた。
城内へ足を踏み入れると、歩杯の一族が
冷たい石床に額をこすりつけ、跪拝していた。
「我ら、龍家の御威光に抗うつもりなど毛頭ございませぬ。
何卒ご慈悲を賜り、臣下の末席にお加えくだされ!」
「民を虐げ、私腹を肥やしていたような輩など、龍家に不要だ。
命までは奪わん。疾く平民となり、この地を去れ。」
「なにとぞ……なにとぞ、お慈悲を……!」
俺は紫音との会話を思い出していた。
「まだ集落の中に住めればよい。
だが、敗軍の一族など疎まれ、住む家も焼かれ、
最後には流民として野垂れ死ぬ……。
そんな地獄なら、せめて家族と一緒に──となることを責められるか?」
足元にしがみつこうとする男に、
龍紅が剣を抜き、鋭く睨みつけた。
俺は思わず叫ぶ。
「仁慧兄上! お待ちください!」
俺は傍らで静かに観察していた少年に目を留めていた。
瞳に怯えはなく、状況を冷静に見極めようとする強い光が宿っていた。
俺は少年に歩み寄り、静かに尋ねる。
「お前はこの土地の事情や、私腹を肥やした役人の動きに詳しいか?」
少年が真っ直ぐに俺を見つめ、淀みなく答える。
「はい、勿論、存じております。ですが、
私の父であればより深く把握しております。
我らは遠縁ゆえ、歩杯の圧政に口を出すこと叶わず、ただ時を待っておりました。」
「ふむ、なるほど。歩杯は近縁の者だけを重用していたのだな?」
「はい、左様にございます。
一族と言えど、口を出せば私刑にあいました。」
俺は頷いてから龍紅に進言する。
「仁慧兄上、この者たちには土地の理があります。
一族をすべて放逐するより、手足として利用する方が、
この地を治める近道かと存じますが、いかがでしょうか。」
龍紅は俺の言葉を聞き、突きつけた剣をゆっくりと鞘に収めた。
「……蒼賡がそう言うのなら、よかろう。」
龍紅が笑みを浮かべ、少年に話しかける。
「童よ、臆することなく立派な口上だった。
そなた、名はなんという?」
「……阿洗と申します。」
「そなたに免じて一族が末席に加わることを許そう。……親はどこだ?」
「はっ、私にございます。」
「賢き子を持ったな。阿洗よ、元服を楽しみに待っている。」
「ははっ! その折には必ずや、お役に立てるよう粉骨砕身いたします!」
少年は俺に歩み寄り、涙を浮かべながら言った。
「龍輝様のおかげをもちまして、路頭に迷うことなく命を繋ぐことができました。
このご恩、生涯忘れることはございませぬ。
……もし、私が無事に元服を果たした暁には、
必ずや龍輝様のもとへ馳せ参じ、この命を賭して忠義を尽くしとうございます!」
「あぁ……楽しみにしている!」
俺はこの利発な少年の命と未来を救えたことに安堵していた。
今はまだ、自分の手の届く範囲だけだとしても……。
そして歩杯の一族が退下すると、
龍紅が太守の座に座る。
「これで瑛南の地を龍家が取り戻すことができた。
ご先祖たちの屈辱も晴れた事であろう。
蒼賡、これからは忙しくなる。
まず民が暮らしに困らぬよう、税率を見直す。
瑛南は本来、豊かな実りある沃土だ。
牛馬を民に貸し出し、屯田を推し進めよう。
そうすれば次の収穫は期待できるだろう。
また、我らは今後、豪族の私兵ではなく官兵となる。
規律を厳正にせねばならん。
蒼賡には別司馬として、龍家の精鋭と瑛南の兵を合わせた
混成部隊の統率を引き受けてくれ。」
俺は拱手して返答する。
「粉骨砕身の覚悟で務めさせていただきます!」
激動の入城から月日が流れ、瑛南の地も落ち着きを見せ始めた。
やがて住まいの整えが終わると、龍紅と俺は
妻である揚迪と紫音を迎え入れた。
俺たち以外の将兵たちも家族を呼び、久方ぶりに
戦塵の消えた城内で和やかな笑い声が戻り、心を潤した。
俺と龍紅は兄弟で手を携え統治を推し進める。
半年余りの時が経ち、厳しき冬を越え、
季節は命芽吹く春へと移ろいを見せていた。




