第29話 華燭、そして剣の角力へ
俺たちは恆祥との中間にある宿場で、
華珠の一行を待ち受けていた。
電車などあるはずもない時代だ。
遅れるのは当たり前で、二週間ほど経った頃──
ようやく、遠くに砂煙が上がった。
部隊は道を空けて整列し、最敬礼で迎える。
俺は馬を降り、送り迎えの責任者のもとへ歩み寄った。
「間違いなく華家の令嬢をお連れしました。
こちらの書状をお受け取り下さい。」
「遥々遠路、お越しいただき感謝に堪えません。」
俺は華珠の乗る馬車の垂れ幕越しに、
深く頭を下げてから声をかけた。
「恆祥より、よくぞ無事に参られた。
見知らぬ土地への長旅、さぞやお疲れであったろう。
今宵は華珠殿と、共に参った従者たちのため、
盛大なる宴を用意させよう。
龍家の領土まではまだ道半ば。
道のりは遠いが──
今夜ばかりは旅の憂いを忘れ、存分に英気を養われるがよかろう。」
そして翌日。
華珠の一行はわずかな侍従だけを残し、警護の部隊は恆祥へ引き返していった。
ここから先は、俺が連れてきた精鋭が、
俺と華珠の護衛を担う陣形となる。
華珠の持参した嫁入り道具も、
俺の部隊が馬車へと積み替える。
準備が整うと、来た道を戻るべく龍家へ向けて出発した。
道中、騎馬のまま馬車に寄り添う形で、
華珠と話す機会があった。
ふと、気になってしまい──つい口にしてしまった。
「……何故、お顔を隠し続けていらっしゃるのか。
心を開いて語り合うに、私では不足でしょうか。」
華珠は、消え入りそうな声で応えた。
「……恐れながら。私は南方の血を引いておりますゆえ、
都にて貴ばれる雪のような肌とは異なり、
日の光を吸ったような褐色の肌をしております。
父からは『その姿は衆人の目に異様に映るやもしれぬ。
人前で肌を晒してはならぬ』と、きつく戒められておりまして……
お許しくださいませ。」
「左様なこと、気になさるな。」
思わず強めの声になった。
華珠が驚いたように顔を上げる。
「……厭わしくは、お思いにならぬのですか?
幼き折には、白粉で肌を隠そうと努めたこともございました……」
ああ……
この時代の価値観なら、そうなるのか。
何も考えずに“褐色で都育ち”なんて設定にしてしまったせいで、
こんな苦労を背負わせてしまったのか。
自分の配慮のなさが恥ずかしくなった。
「……配慮が足りませんでした。申し訳ない。
だが、我が龍家に嫁ぐ以上、案ずることはない。
かの地では、褐色の肌など珍しきことではない。
それに──隠さねばならぬ顔ではない。
華珠殿は、魅力的でございます。」
華珠の肩から、ふっと力が抜けたのが分かった。
「……ふふっ。左様でございますか。
そう仰っていただけるなんて……有り難き幸せに存じます。」
俺が設定した華珠の性格なら、
こんな殊勝なことを言うはずがない。
緊張しているのか、猫をかぶっているのか。
まあいい。
少しでも彼女の心の棘が取れたのなら、それで十分だ。
それからも、機会があれば軽く会話を交わした。
だが──どうしても俺の中には、
「俺の設定で彼女の幼少期に辛い思いをさせてしまったこと」や、
「設定で婚姻させることに対する負い目」が抜けきれずにいた。
きっと、そんな俺の薄暗い感情が、
言葉の端々や態度に滲み出ていたのだろう。
華珠にも、それが伝わっていたに違いない。
その結果──
道中の宿場で、事件が起こった。
何と、華珠が侍従を介して、
俺を外の人気のない、少し開けた場所へ呼び出してきたのだ。
そして──俺に木剣を向けながら言い放った。
「どうも、龍輝殿はこの婚姻が不本意のようだな?」
いや、それは違うと言いかけたが、言葉を噤む。
「私は都にて令嬢として育てられたが、
叶うならば将となり、戦場を馬で駆け、手柄首を打ち取り、
誉れを得ることが望みだった。
私の夫となる者が、地方の安穏とした生活で腕を鈍らせた
“弱い男”であっては我慢ならん。
──一手、手合わせ願おう!」
華珠は木剣を構え直し、続けた。
「私が勝てば、この婚姻は龍輝殿の都合を理由に取り止めてもらう。
もし龍輝殿が勝てば──好きにするがいい!」
ああ……そうだよな。
俺の設定した華珠は「豪胆・男勝り・強い」。
こういう性格だ。やっぱり猫をかぶっていたか。
しかし、こう来るとは……
流石に予想していなかった。
戸惑いを隠せないまま、
仕方がない──と木剣を握る。
出来るだけ怪我をさせないようにしないとな。
月明かりが差し込む宿場の裏庭で、
静寂を切り裂くように、華珠が木剣を振るう。
無駄のない、洗練された動きだった。
踏み込みとともに、上段から脳天めがけて斬り落とす。
並の兵士なら、この一撃で伏しているだろう。
俺は力に逆らわず、その斬撃をいなす。
華珠の木剣は空を切り、そのまま地面へと振り下ろされた。
次の瞬間、重心を落とし、最短距離で喉元を突いてくる。
俺はそれを、彼女の体勢が崩れるように軽く弾いた。
体勢を崩されながらも、華珠は淀みなく動く。
足元を狙い、下段への払い。
俺はそれを見切り、踏みつけて動きを止める。
──大したものだ、と思う。
だが、龍紅との模擬戦を重ね、
山賊を斬った実戦も経験済みの俺からすれば、
正直、赤子の手をひねるようなものだった。
踏みつけた木剣を足で押さえたまま、
俺は彼女の首筋へ木剣の切っ先をそっと突きつける。
これで──満足してくれただろうか。
華珠が震えている。……やりすぎただろうか?
「ふふ……はっはっは! 強いではないか! 気に入ったぞ、龍輝殿!
いや──蒼賡様!」
「二言はない。煮るなり焼くなり好きにするがよい。……だが、蒼賡様」
「もし、この縁談に含むところがあるならば、
此度の一件、我が儘なる華珠が一方的に破談を申し立てたと、
父上には伝えよう。癇癪を起こし、婚約を破棄して恆祥へ引き返したとな。」
「蒼賡様は、どうも私のことが気に入らんようだからな。
拒むならば、今この場を措いて正直に言うがよい。」
俺は龍紅の言葉を思い出していた。
「……いや、そういうわけではない」
ゆっくりと首を振る。
「すまなかった。決して、華珠殿が気に入らないというわけではない」
「ふむ、変わったお方だ。それに──私のことは紫音で良い。
世間ではおかしいかもしれんが、私は蒼賡様に字で呼んでもらいたい。」
紫音が面白そうに目を細め、揶揄うような口調で言葉を重ねる。
「それとも他に好きな女でもいたか?
もしそうなら案ずるな。その女を側に囲うて構わん!
英雄は色を好む。そんな瑣末なことに目くじらを立てはせん。」
「左様なことではないのだ……
親同士が定めた政の懇意で紫音の人生を縛ってしまう──
それが、俺にはどうしても……違う気がしてな…」
「……蒼賡様の言い分は分からんでもない。
だが、この時代、政による婚姻など大なり小なり在って然るべきだ。
今さら言っても仕方のないことだ。」
「そこからどう在るかは、自分自身。
……結婚を結ぶまでは親が決める事。
だが、結んだ後にどう生きるかは、この私が決めるのだ。」
「……そこからは私の自由だ。
自分の心は、誰にも決められん。
私の心は──私のものだ!」
紫音が俺を指差し、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
その声は、雷鳴のように響いた。
「蒼賡様が龍家の都合で、致し方なくこの縁談を受けたと言うのなら……
そうだな、結婚の儀はしてやる。だが、それで終わりだと思うなよ。」
紫音が俺に迫る。
「私は、蒼賡様を惚れさせてやる。
……そして蒼賡様も、この私を惚れさせてみよ!」
「私は蒼賡様が気に入った。……蒼賡様は、私のどこが気に入らんのだ?
この肌の色が気にならんのであれば──
言っては何だが、私は美人だ。体つきだって悪くないだろう?」
「蒼賡様の跡継ぎなら、いくらでも頑健な子供をたくさん産んでやる。」
紫音の吐息が届くほどの距離に迫り、胸元に指先を這わせる。
「ねぇ……? 蒼賡様?」
「……やめろ。まだ婚姻の儀も終わっていないんだ、軽々しく近づくんじゃない。」
俺は照れながら、一歩、二歩と立ち退く。
「はっはっはっ、蒼賡様。武勇の割に初々しいこと。」
「……くすくす。そうだな、このような野良の如き場所では、
語らう興も削がれるというもの。
契りの情は、然るべき場所にとっておくとしよう。」
「楽しみは後にとっておくとするか。
……屋敷に着いたら覚悟しておくことだ。」
紫音は胸元からすっと身を引き、
夜風に乱れた髪を指先で整えると、背を向けて悠然と歩き出した。
紫音が嵐のように過ぎ去り、静寂が戻る。
俺は立ち止まったまま、先程の紫音を思い返していた。
親が決めた道であっても、そこから先の心は自分のものか……。
それは、設定で生み出してしまった彼や彼女たちに対する──
俺の贖罪の気持ちが、ほんの少しだけ……救われた気がしていた。




