第13話 北渡、そしてはじめての野営へ
大型の楼船に乗り込む。
対岸までは数キロらしいが、川霧が濃くて向こう岸どころか、数メートル先の船首すら霞んでいる。
船上にいる時間は一時──おそらく二時間ほどだろう。
その間、俺は自分の“能力”と“スキル”について、頭の中で整理していた。
まず能力。いわゆる武芸や教養の値だ。
俺は設定で自分のパラメーターを上げられるだけ上げていた。
だが、これはあくまで“才能”、つまり基本性能だけの話。
才能を100に設定しても、0歳の時点では0から始まり、身体の成長とともに上がっていく。
二十代前半でピークを迎え、その後は緩やかに下がる。
そこに鍛錬で得た“努力値”が加わる。
基本性能100に努力100を積めば、単純に200になる。
さらに槍や矛など、武器ごとのスキル値も加算される。
とはいえ、ここは現実世界だ。
体調、状況、武器の相性……ゲーム的に言えば乱数もある。
だから合計値が高い者が必ず勝つとは限らない。
俺が龍紅から一本取れたのは、加齢による肉体の成長と、積み重ねた努力の合計が、
“何本に一本かは勝てる”という領域にようやく届いたということだろう。
思考がまとまったところで──俺は盛大に酔っていた。
お、おかしいな。設定では水練や操船も才能ありにしていたはずなんだが……
緊張と疲労もあったのかもしれないが……辛い。
酔わない、って項目も書くべきだったか?
とはいえ、船が沈むようなことはなく、俺たちは無事に対岸へ渡り切った。
霧の向こうから兵たちの声が聞こえる。
俺は深く息を吐き、思考をいったん胸の奥にしまった。
渡し場から少し離れた先──その景色は、今までの旅が“天国”だったと気付かせてくれた。
膝まで沈む湿地帯。
靴は泥に飲み込まれ、背丈を超える葦や荻が霧と混ざり合って、数メートル先すら視認できない。
湿地ではない場所は砂利と大岩が転がる河原で、足を取られるたびに体勢を崩す。
進む先には折り重なった流木が行く手を阻む。
「ぐっ……!」
さっきまで綺麗だった靴は、一瞬で泥の塊と化した。
葦の葉が頬をかすめ、冷たい雫が首筋を伝う。
霧の向こうには、もう乗ってきた船の影すら見えない。
兵たちの肩や腕を掴みながら、荒い息を吐きつつ、一歩ずつ前へ進む。
「二若君、大丈夫ですか? 初めての旅では想像もできていなかったでしょう」
「はぁっ……はっ……! な、何を……これくらい、この程度で!
ぜんっぜん、もんだ……い……ない!」
「へへっ、それでこそ龍家の次男です!」
「ちなみに……聞かない方がいいかもしれんが……
この湿地と荒野は……どれくらい……つづく?」
「そうですな……順調に進めば三から四日ほどで……」
四日──冗談だろ。
虫や蛇、蜘蛛が蠢く湿地を、四日。
俺の身体は早くも限界を迎えていた。
歩き続け、日が落ちてきた頃。
屯長から声がかかる。
「二若君、今夜はここで野営の準備を……」
指さしたのは、わずかに小高い赤土の微高地だった。
地面も薪も湿り切っていて、火を焚こうにも煙ばかりが目に沁みる。
そんな中、身体を休めていると出された食事は、火の通りが甘い干し魚だった。
俺はこの世界で何不自由なく過ごしていたが、
人の手が入っていない自然がどれほど過酷で、どれほど脅威なのかを──
たった一日で身に染みて理解した。
不寝番に見張りを任せ、虫に刺された体の痒みに耐えながら眠りにつく。
数刻ほど経った頃──不寝番が、不審な音に気付いた。
「敵襲だ……! 屯長を起こせ!」
それは山賊の襲撃だった。
船に乗っていた水夫の一人が山賊の下っ端で、
“南から裕福な豪族の若君が財貨を運んでくる”と知らせていたらしい。
「さぁ、根こそぎ奪ってしまえ!」
三百を超える賊が、数の優位を自信に変えて襲いかかる。
だが龍家の精鋭は落ち着いていた。
「放てっ!」
弩の一斉射撃が、最前列の賊を次々と沈めていく。
兵たちは俺を囲むように円陣を組み、賊の粗末な武器では鎧に傷すらつかない。
ただ、その中でも手練れの数名が雪崩れ込んできた。
そのうちの数人が、俺の目の前まで迫る。
「てめぇが大将だろ! 若君様よ! 大人しくしろ!」
俺は、一瞬の逡巡の後──
襲いかかってきた賊の一人を斬り伏せた。
初めて“人を斬った”感覚と鮮血に、こみ上げるものが喉までせり上がる。
吐きそうになる。
(……でも、こんな所で死ぬわけにはいかない)
相手の数を減らすと、少し冷静になった。
賊の動きは大したことはない。
力任せに直線的に斬りかかってくるだけで、狙いが容易に分かる。
また一人──斬った。
そうしている間に兵たちが賊を片付け、残った賊は逃げ散っていった。
屯長が深追いを止めさせる。
俺の目の前には、一名の賊が残っていた。
賊は武器を放り投げ、両手を挙げる。
「降参だ……! 命は助けてくれねぇか……!」
戻ってきた屯長に視線を向けると、
「ここで斬ってしまった方が楽ではあります」
と淡々と告げる。
「縄で縛っておけ。沙汰は明日決める」
そう言って天幕に戻ったが──
初めて人を斬った事実に、震えが止まらなかった。
震える身体を必死に押さえつけているうちに──
いつしか意識は、静かに闇へ沈んでいった。




