25:冬の夜会
王宮に到着したジョアンナの目の前には、煌びやかな光景が広がっていた。
歴史を感じる美しいエントランスには、白を纏う多くの若い男女の姿がある。
白いドレスに、ロギアの花冠を頭に載せた令嬢。
白い礼服の胸に、ロギアを挿した令息。
初々しい彼らの表情は、期待と緊張に満ちている。
ジョアンナは独特の雰囲気に飲まれそうになり、思わず体に力が入った。
そんな彼女の手をヴィンセントがそっと包んだ。
思わず顔を上げれば、ヴィンセントが優しい顔で自分を見つめている。
──ふふ。不思議……。ヴィンセント様の瞳を見たら、なんだか落ち着いてきたわ。
ヴィンセントの手をそっと握り返せば、ふっと柔らかい笑みが降ってくる。
「行こうか……」
頷いたジョアンナは、背筋を伸ばしてゆったりと歩き出した。
ジョアンナとヴィンセントは、用意された控え室で過ごしていた。
入場の時間が近づくにつれ、ジョアンナの緊張が高まっていく。
「ジョアンナ、大丈夫?」
「はい。思っていた以上に緊張してしまって……」
緊張を紛らわせるように何杯もお茶を飲んでいると、入場の時間になり迎えがやって来た。
通常の夜会では身分順の入場だが、冬の夜会の主役は真っ白な衣装に身を包んだ若者だ。
この夜会では新たに社交界へ仲間入りする者だけが、身分順で名前を呼ばれての入場となる。
ヴィンセントの婚約者であるジョアンナは、今回の参加者の中で最も身分が高いため、最後の入場となった。
係の人に案内されて扉の前に立つと、一気に緊張が高まった。
耳の奥がドクンドクンと大きな音を立てている。
ジョアンナは瞳を大きく息を吐くと、係の人に目線で合図を送る。
扉がゆっくりと開かれ、自分の名前を読み上げられた。
開け放たれた扉から、微笑みながらゆっくりと階段を降りるジョアンナとヴィンセント。
ひと目で最高級だとわかる上品なドレスや装飾品に、会場中の人々の視線は注がれた。
そんな中。
ジョアンナの登場を苛立つ瞳で見つめる者がいた。
ジョアンナの妹のキャロラインだ。
キャロラインも今日は白いドレスを着てこの夜会に参加している。
その隣には、ジョアンナの元婚約者であり、彼女の夫であるフィリップの姿があった。
祝いの席にも関わらず、キャロラインの顔に笑顔はない。
代わりにあるのは、瞳に満ちた怒りの色だ。
──なによ、あれ?
自分よりも、後に登場する姉。
自分よりも、遥かに上質なドレスと花冠。
自分よりも、遥かに美しい男性が隣にいる姉。
ほんの少し前まで。
自分が今日の日の主役であるかのように感じて、誇らしい気持ちで満たされていた。
それがどんどんしぼんでいく。
ふと、隣に視線を移すと、眩しいものを見るように姉を見つめて頬を赤くしている自分の夫が見えた。
キャロラインは怒りから顔に熱が集まり、悔しさに唇を噛み締める。
──なんで、お姉さまばっかり。……ずるいわ。
そんな心の声が表情にも出ていたキャロラインを、少し離れた場所からケルヴィンとネイサンが冷たい瞳で見つめていた。
階段を降りたジョアンナはセリーナの姿を見て、ほっとしたように微笑んだ。
そんな彼女の背を軽く撫でながら、セリーナが耳元で小さく呟く。
「ジョアンナがこの中で一番美しいわ。さすが私たちの娘ね」
そう言ってから、ジョアンナと瞳を合わせて悪戯な瞳で微笑む。
いつもと変わらない彼女の様子にジョアンナの顔に自然な笑みが浮かんだ。
そのまま皆で話していると、王の登場を知らせる声が響き、会場には布が擦れる音だけが広がった。
会場に集まった者たちが揃って首を垂れる中。
国王、正妃、王太子、第三王子、側妃の五人が登場した。
「面を上げよ」
その声を合図に会場の者は顔を上げた。
王から新年を祝う挨拶があり、それが終わると波がひくように、フロアの中心にスペースが開いた。
そこへ、ジョアンナを含めた今日の主役たちがパートナーと共に移動する。
ジョアンナとヴィンセントは中央に立ち、互いの手を取った。
短い静寂の後──演奏が始まった。
音に合わせてゆっくりと動き出す白を纏う若者たち。
緊張した面持ちで子供の晴れの舞台を見守る者。
誇らし気に子供を見つめる者。
瞳に涙を浮かべている者。
見守る者たちもそれぞれの想いを抱きながらの、一曲の時間。
ジョアンナも、ケルヴィンとセリーナの誇らしげな瞳に見つめられながら踊り始めた。
顔には笑みを浮かべているものの、手や足が緊張で震えている。
そんなジョアンナを、ヴィンセントはいつもより力強くリードした。
曲の中盤で──ふと、二人の視線が交差した。
ジョアンナを優しい瞳で見つめて微笑むヴィンセント。
その瞳を見た瞬間。
不思議なことに、ジョアンナは世界からスッと音が消えていくような感覚に包まれた。
耳に届くのは、自分の鼓動とヴィンセントの吐息。
そして──遠くで微かに聞こえる音楽だけ。
世界に二人きりになったような感覚に包まれたジョアンナの顔には、自然な笑みが浮かぶ。
お互いを愛しげに見つめ合い、微笑みながら踊る美しい二人。
若者たちのダンスを見守る者たちは、その刹那の美しさに目を奪われた。
最後の音が終わり……二人の動きが止まる。
短い静寂の後。
会場は温かい拍手で包まれていった。
そうして、二人は温かな拍手を背に受けながらまっすぐに王の元へと向かう。
本日のメインイベント、王への謁見の時間だ。
ジョアンナの胸は、激しい音を立てていた。
ヴィンセントの腕に乗せた手が震えているのがわかる。
視界の先には、初めてお会いする王と王妃の姿。
その隣には王太子のセドリック、第三王子、側妃が並んでいる。
彼らのにこやかな視線を浴びながら謁見に臨む白を纏う若者たちは一列に並び、自分の番が来るのを静かに待つ。
謁見は身分順のため、ジョアンナは一番最後の挨拶となる。
最初に名前を呼ばれたのは男爵家の令嬢だ。
王の眼前で足を止めた彼女は、額の前で手を重ね、ゆっくりと膝を折っていく。
これはエビロギア王国が建国した時代の伝統的な挨拶だ。
なるべく低い姿勢まで、上半身を揺らさずにゆったりと体を下げるのが上品だとされている。
家格によって受ける教育が変わることから、身分の高いものはより低い姿勢での挨拶が求められる。
上半身が揺れながらも、なんとか挨拶を終えた男爵令嬢の背中を見ながら、ジョアンナは無意識に止めていた息をそっと吐きだした。
右手を胸に当てて膝を折る男性は身分による変化はあまり感じないが、女性は身分が上がるにつれて、姿勢が低くなり、上半身の揺れも減っていく。
伯爵家から、グッと低い姿勢での挨拶に変わった。
ゆったりと体を下げていく様はなんとも上品で美しく、会場からは感嘆の息が漏れる。
その中には伯爵令嬢である妹のキャロラインの姿もあったのだが……緊張で頭が真っ白になり始めていたジョアンナは気がつかなかった。
そして――ジョアンナの番がやってきた。
ヴィンセントのエスコートを受けて、静かに進んだジョアンナは額の前で手を重ねた。
浮かせた右足を後ろに引き、左足だけでゆっくりと膝を折っていく。
ジョアンナはセリーナから教わり、この挨拶を何度も練習してきた。最初は上手くいかず、何度もバランスを崩して床に倒れたものだ。
「難しいですね……」
「昔の人は足腰が強かったのよ。今みたいに馬車ではなく歩きや馬での移動が多かったから」
今回、辺境伯家のヴィンセントの婚約者としてこの場に立っているジョアンナは、王への謁見をする人の中で一番身分が高い。
より低い姿勢の、より優雅な挨拶が求められる。
ゆったりと体を落としたジョアンナは、上品に微笑みながら口を開いた。
「太陽に祝福を。我が胸に生涯の忠誠を」
「新たな我が子に祝福を」
挨拶を受けた王は、手に持っていた杖の鈴を鳴らす。
その音とともに、杖の先端から柔らかな光がジョアンナに降り注いだ。
光が消えると、ジョアンナは額に当てていた手を離して、ヴィンセントの手を借りて立ち上がった。
王と向かいあったジョアンナの瞳には、この国の貴族として生きる覚悟が宿っている。
「冬の夜会、おめでとう。リネヴィナの開発は素晴らしかった。これからも活躍に期待している」
「ありがとうございます」
ジョアンナがそう言い終わるや否や、王の右隣から楽しげな声が聞こえてきた。
「ジョアンナ嬢。おめでとう。ヴィンセントも久しぶりだね」
セドリックがリネハンで会った時と同じ笑顔を浮かべている。
その後ろには、コンラッドの姿も見える。
「お久しぶりです。セドリック殿下」
余所行きの声で丁寧に話すヴィンセントを見て、セドリックは少し拗ねたような表情を見せた。
「もうすぐ二人の結婚式だね。リネハンで二人の幸せな姿を見るのを楽しみにしているよ」
その言葉に後ろに並ぶ者たちが騒めいたのがわかった。
王太子が二人の結婚式に参列すると明言した。それも王都ではなく領地のリネハンでの。
これは王家とリネハン家の強い結びつきを印象づける。
会場は急に鎮まりかえり、こちらの話に耳を傾ける人たちの気配を感じる。
ジョアンナの背中にひと筋の汗が伝った……。




