22:秘密の話
「お招きいただき、ありがとうございます」
そう言って屋敷にやってきた男性は、ジャック。
ローザがカレー作りのために招いた商人だ。
ローザやディーノの幼馴染でもある。
ローザ曰く。
世界中を旅しながら仕入れをしている彼にかかれば、手に入れられない食材はないのだとか。
長い金色の髪を左側で編み、静かな微笑みを絶やさない。
どこか艶やかで不思議な雰囲気を持っているジャックは、ローザを見るなり嬉しそうに微笑んだ。
「ローザ、久しぶりだね」
そう言って、ローザの髪を撫でたジャック。
二人が幼馴染だと聞いていたジョアンナは微笑ましくその様子を見ていたが、ローザの表情を見て目を見開く。
いつも元気なローザが、これまで見たことのない表情をしているのだ。
──ローザ。……もしかして?
髪を撫でられながら静かに俯いているローザの頬は、赤く色づいている。
混乱したジョアンナが視線を彷徨わせれば、やれやれと言わんばかりの表情で二人を見つめるディーノと目があった。
「ジャックは旅をしながら仕入れをしていると聞いているが、カレーという料理を知っているかい?」
応接室に移動して始まった商談の席で、ヴィンセントが尋ねた。
「カレー、ですか? ……聞いたことがありませんね。どちらの国の料理なのでしょうか?」
「それが、異国のものという情報しかないんだ……」
「そうですか。商人仲間の伝手を使って情報を集めることもできますが……」
「いや。大丈夫だ。ありがとう」
「ローザから、できるだけ多くの種類の香辛料を集めて欲しいという依頼を受けて、今日は参りましたが、そのカレーという料理が関係するのでしょうか?」
ヴィンセントはカレーという異国の調味料を手に入れて、それと同じものが作れないかを研究していることを説明した。
「なるほど……。それでああいう依頼だったのですね?」
──ああいう依頼?
ジョアンナが不思議に思っていると、ジャックは上品に微笑みながら口を開いた。
「この辺りで手に入らない香辛料を中心に集めて欲しい、ということだけ書いてあったので驚いたのですよ。ローザが私に依頼をする時には、作りたいものが決まっているんです。だから、いつも指示が明確なんですよ。『酸味が強い』や『親指くらいの大きさで甘い香りがする木の実』などね」
それを聞いて、なるほどと思いながらジョアンナは頷いた。
きっと、これまでは……
この料理に使われている食材は、五つだ。
そのうち、四つまではわかっている。
残りのひとつの食材がわからない。
しかし、「酸味が強い」食材だ。
こんな感じだったのではないだろうか。
最後の食材の「酸味が強い」ものを試していけば、いつか正解にたどりつける。
今回は、ルウに何種類の食材が使われているのか見当がついていないので、こういう依頼になったのだろう。
「もうすぐ雪で国境が閉ざされるので、すぐに用意できるものを全て集めてみましたが……」
「ありがとう。それは全て買い取ろう」
ヴィンセントの言葉にジャックは目を丸くする。
「全て、ですか?」
「ああ。ローザ以外にも、カレーの研究をしている者が数名いてね。香辛料はあるだけ欲しいそうだ」
そこから、ヴィンセントとジャックの間で話し合い、取り引きが成立した。
「それじゃ、香辛料は屋敷へ届けてもらえるかな? できれば国境が封鎖される前にお願いしたいのだが……」
商談のために急いで屋敷に来た様子のジャックは、馬車ではなく馬に乗っての訪問だった。
彼の荷物は背負い袋ひとつだ。
「お買い上げいただいた商品は、本日全てお持ちしております」
そう言って彼は袋の中から、マジックバッグを取り出した。
「マジックバッグを持っているのか……」
「はい。これは、亡くなった両親の形見の品なんです」
その日の昼はジャックを交えて、カレーを食べることになった。
「これが、例のカレーですか?」
ジャックは興味深そうにカレーを観察している。
「香辛料の複雑な香りがしますね。三種類あるようですが……」
これから、香辛料を集めてもらうジャックには、全ての味を知っていてもらった方がいいとの判断により、全種類のカレーが出された。
「ああ。カレーは全部で三種類あるんだ。右が最も甘みが強いもので、左が最も辛みが強いものだ」
「なるほど……これは興味深いですね」
ジャックが最初に手をつけたのは、右の甘口の皿だ。
スプーンで汁のみをすくって口に運ぶ。
その動きは洗練されていて、上品だ。
目を閉じてじっくりとカレーを味わったジャックは、何度も頷きながら口を開いた。
「これは素晴らしい料理ですね。味や香りのバランスが絶妙だ。恐らく、多くの香辛料を使っていると思われますが、子供でも食べられるほど食べやすい」
続いて、中辛、辛口とひと口ずつ食べていったジャックは、感心したように何度も頷いた。
「どれも美味しいですね。好みに合わせて味を選べるのも、いい。実に興味深い料理だ。中の具材を変えれば、より自分好みの味になるでしょう。このカレーはどこで手に入るのでしょう?」
ジャックの瞳に商人としての炎が灯ったのを感じた。
途端に、この場の空気が張り詰めたものに変わる。
息を呑んでジョアンナが見つめる先では、鋭い色を帯びたジャックとヴィンセントの視線がぶつかり合う。
「……とあるところから、とだけ」
「……そうですよね。こんなに素晴らしいものの情報は、簡単には明かせないでしょう」
ふっと柔らかく微笑んでジャックが水をひと口飲めば、張り詰めた空気は嘘のように霧散した。
「パンにもライスにも合う。これは素晴らしいな。できることなら、私がこの料理を見つけたかった。リネハン家の方やローザがこの料理を研究したくなる気持ちもわかる」
「食べてみて、どうかな」
「そうですね。南にある国の村で、このカレーに少し似た味わいの煮込み料理を食べた記憶があります」
「それは、本当か?」
初めての有力な情報に。思わずヴィンセントは前のめりになった。
「ええ。今年の冬は久しぶりにゆっくりするつもりでいましたが、これは面白そうだ。すぐに村に行って、情報を集めてきましょう」
そう言ってすぐに帰っていったジャック。
彼は屋敷を出る前に、ローザに小さな袋を渡していた。
「ローザ。その髪飾り、素敵ね」
「ありがとう。昨日、ジャックにもらったの」
ローザの瞳と同じ深い緑色の石が付いた、花の形の髪飾り。
それをローザは大切そうに撫でた。
「あの……」
「ん? どうしたの? ジョアンナちゃん?」
「えっと……昨日、ジャックと話すローザを見て思ったんだけど、もしかして、ローザって……」
ジョアンナは昨日から気になっていることを聞こうとしたが、言葉が上手く出てこない。
「ああ。もしかして、わかっちゃった? 私ね、子供の頃から、ジャックが好きなの。大昔に告白して、振られてるんだけどね」
そう言って、なんてことないように笑うローザを見て、ジョアンナは慌てる。
「ごめんなさい」
「気にしないで。兄ちゃんにもさ、『お前はわかりやすい』っていつも言われているよ」
照れくさそうな表情でそう言ったローザは、笑いながら続ける。
「それにね……私。ジャックのこと、諦めてないんだ」
その言葉にジョアンナは目を大きく見開いた。
「ほら、ジャックって商人でしょう。昔から、『欲しい』って思ったものは、絶対に手に入れるんだ。昨日のカレーの時もすごかったでしょ?」
カレーを食べた後、ガラリと空気を変えて商人の顔になったジャックを思い出す。
「ならさ。私がすごい料理人になっちゃえばいいかなって……」
ローザは少しだけ赤い顔でまっすぐにジョアンナを見つめた。
「そしたら、ジャックは絶対に私が欲しくなる。そう思わせられたら、この恋は私の勝ちかなって……。だって、彼は根っからの商人だからね」
そう言った、ローザの瞳はとても綺麗だ。
「ふふふ。バカみたいだって、兄ちゃんには笑われたけどね」
「そんなことない。すごく素敵だと思う」
「ありがとう」
そう言って、ローザが抱き着いてきた。
「そうだ。私だけ話すのはずるいよね。ジョアンナちゃんの話も聞かせて! ヴィンセント様のどこが好きなの?」
キラキラとしたローザの瞳に見つめられて、ジョアンナは頬に熱が集まるのを感じた。
「えっと……優しくて思いやりのあるところ」
「うんうん。あとは?」
「あと? 努力家なところかしら? 沢山の本を読んで、領地のためにいつも勉強しているの。魔の森で一緒に薬草を採取したことがあるんだけど、本当に色んなことを知っていて……」
「いいね。努力家の男性は素敵だよね」
話しているうちになんだか恥ずかしくなってきたジョアンナは、慌てて口を開く。
「ローザはジャックのどこが好きなの?」
「そうだな……。私、背が高いでしょ。だから、子供の頃は近所の男の子たちに『おとこおんな』っていじめられていたの。その時に、いつもジャックが『女の子をいじめるな』って言ってくれてさ。女の子扱いしてくれたのは、ジャックだけだったんだ」
「わっ! それは嬉しいかも?」
二人でそんな話をしているうちに、ジョアンナはどんどん楽しくなってきた。
こんな話を友人とするのは、学園の時以来だ。
あの頃。
ジョアンナは、婚約者だったフィリップとの心の距離が少しずつ離れていることを感じていた。
そのせいか、お茶会の席で友人の輪の中にいるのが辛い時期があった。
手紙を頻繁に送り、婚約者との親睦を深める友人たちの話を聞きながら、なんとも言えない気まずさと寂しさを感じたものだ。
「ジョアンナ様は?」
そう友人から話を振られるたびに、曖昧に笑ってその場をやり過ごしていた。
思えば、こんな風に友人に自分の婚約者の話を楽しくするのは、初めてかもしれない。
気がつけば何杯もお茶を飲みながら、夢中で話し込んでしまった。
そんなジョアンナたちを見て、静かに部屋に控えていたコリンナは柔らかく微笑むのだった。




