21:実食
その日の夜。
食堂は香辛料を混ぜ合わせたような、強い香りに包まれていた。
「こちらがカレーになります。箱に書かれていた手順通りに作りました」
ケルヴィンに頼まれてカレーを作った料理長が、自らサーブしてくれる。
カレーを見た反応はまちまちだ。
「これが、カレー? ……ルウと同じ色なのね?」
少し眉をひそめながらそう言ったセリーナの言葉の通り、カレーはルウと同じ茶色のスープだ。
中には、食べやすい大きさに切られた肉や野菜が入っている。
──誰も口にしないけど、土に似た色のせいか泥に似ているわ。
「この色には少し抵抗があるが、香りはいいな」
白い湯気が立ち上るカレーからは、食欲をそそる香りがする。
髭を撫でながら、ケルヴィンはじっくりとカレーを見つめる。
「なんだか、ドロッとしていますがパージャに似ていますね」
「これはなんの匂いだろう?」
パージャが大好きなディーノは、興味深そうにカレーを見つめている。
その隣のローザはぶつぶつと呟きながら、カレーが何でできているのかを真剣に考えているようだ。
「バターやジャムみたいに、カレーをパンに載せて食べればいいのかな?」
「ライスはパージャのようにカレーの中に入れて混ぜるのでしょうか?」
ヴィンセントとジョアンナは顔を見合わせながら、食べ方を相談する。
カレーの箱に『ライスやパンと一緒にお召し上がりください』と書かれていたので、料理長はライスとパンも用意してくれたのだ。
「私はライスで食べてみるわ!」
最初にカレーに手を伸ばしたのは、セリーナだ。
泥のようにも見える見た目に抵抗がある様子だったが、好奇心には抗えないようだ。
期待と緊張が入り混じったような複雑な顔で、カレーをライスにかけてスプーンで口に運ぶ。
「んっ! 美味しい! コクがあって、香辛料の香りが素晴らしいわ!」
セリーナの声に、カレーを観察していた人たちも一斉に動き出す。
ディーノとジョアンナはライスを。
ケルヴィンとヴィンセントはパンを。
ローザはカレーの汁だけを口に運んだ。
ライスを選んだジョアンナは、セリーナと同じように少しだけライスにカレーをかけて食べる。
最初に感じたのは、甘味。
それから香辛料の豊かな香りとコクが口の中に広がる。
見た目からは想像できない複雑な味だ。
あまりの美味しさにすぐに二口目を食べたジョアンナは、ジャガイモの美味しさに目を見開く。
味がよく染み込んでいて、ライスによく合う。
「甘くて美味しいね!」
「はい。パージャよりトロッとしていますが、それがさっぱりとしたライスに合っています」
ヴィンセントとジョアンナが感想を言い合っていると、ケルヴィンがお代わりを頼んだ。
二杯目はライスにしたケルヴィンは、ひと口食べるなり、すごい勢いでスプーンを口に運ぶ。
そして、すぐに三杯目を頼んだ。
「父さま、カレーが気に入りました?」
「ああ。パンも美味しかったが、カレーとライスはよく合うな」
三杯目のカレーもあっという間に食べ終えたケルヴィンは、上機嫌でカレーの素晴らしさを語っている。
その話に耳を傾けながら、ジョアンナは柔らかく微笑んだ。
[ガチャ]でカレーが出るようになってから、しばらく経った、ある日のこと。
ローザの休憩時間に合わせて、ジョアンナは彼女の研究室を訪れていた。
二人はジョアンナが用意したお菓子を食べながら、お茶を飲んでいる。
「研究はどう?」
「うーん……。色々な香辛料が入っているのはわかるんだけど、全然だめ。ここまでわからないのは、初めてかも?」
実は、ローザはケルヴィンからカレーのルウの研究を依頼されているのだ。
平民向けに販売するマヨネーズの研究をしていて忙しそうな彼女だが、これを二つ返事で引き受けたらしい。
ローザ曰く。複数の香辛料が絡み合い豊かな味わいを生みだすカレーは、これまで出会ったことのない特別な料理なのだそうだ。
ここ最近のローザはカレーの研究に明け暮れているのだが、あまり上手くいっていないらしい。
顔には疲れの色が見える。
優秀な料理人であるローザは、特別な舌を持っている。
子供の頃から食べることが大好きだった彼女は、一度食べた食材の味をすぐに覚えることができた。
そして、知っている食材が料理に入っていれば、すぐにわかったそうだ。
成長に合わせて様々な食材や料理を口にしたローザは、いつしか料理人に強い憧れを抱くようになった。
『自分もこんなに美味しいものを作ってみたい』
そんな気持ちから、自分が食べて気に入った料理を舌の情報を頼りに作ってみることにした。
最初はなかなか上手くいかなくて、何度も、何度も、失敗を重ねて……ようやく、思い描く味に辿り着いた時の感動は、言葉にできないほど素晴らしいものだったらしい。
それから、ローザはどんどん料理にのめり込んでいった。
やがて大人になった彼女は様々な国を渡り歩き、料理人としての腕を上げていったのだ。
そんなローザにとって、カレーという料理との出会いは衝撃だった。
「こんなに素晴らしい料理に出会って、作ってみたいと思わない料理人はいないよ」
そう言ったローザの言葉通り、料理長を始めとした屋敷の料理人たちも、カレーの研究をしている人が何人もいるのだとか。
カレーの研究は平民向けのマヨネーズが出来上がってからでいいと言われているものの、待ちきれないらしい。
昼間はマヨネーズの研究をしているローザは、夜の空き時間をカレーの研究にあてている。
あまり寝ていないようで、彼女の目の下のクマは日増しに濃くなるばかりだ。
調理器具が揃ったこのローザ専用の研究室は、以前はいつもお菓子の甘い香りがしていたが、このところ香辛料の匂いがする。
「この屋敷に来てよかった。カレーにも出会えたし、私だけじゃ、こんなに多くの食材を集めることはできないよ」
ローザは嬉しそうに、食材で溢れた部屋を見渡す。
所狭しと並んだ食材は、研究のために集めたものだ。
「ケルヴィン様は『必要なものはなんでも取り寄せる』なんて言ってくれるんだよ。本当に夢みたい!」
頬を赤らめながら幸せそうにそんなことを言うローザを見ながら、ジョアンナはここ最近の騒動を思い出して苦笑いを浮かべる。
最近のケルヴィンは、すっかりカレーの虜になってしまったらしい。
そののめり込みようは凄まじく、[ガチャ]でカレーが出るたびに食卓にはカレーが並んだ。
ジョアンナも初めて知ったが、ケルヴィンは気に入ったものを食べ続ける癖があるようだ。
カレーが[ガチャ]で出る頻度はそこそこあるものの、あっという間にルウはなくなってしまう。
大好きなカレーが食べられず、元気がなかったケルヴィンのために、ジョアンナは[交換]を使ってカレーをプレゼントした。
それに、ケルヴィンは驚くほど喜んでくれた。
それからカレーがなくなった頃を見計らって、ジョアンナは[交換]でカレーを手に入れるようになった。
そんなことを繰り返しているうちに、コインはみるみる減っていき……あっという間になくなってしまった。
その話をなんの気なしにお茶の席でヴィンセントにしてしまったのが、よくなかった。
ジョアンナが使ったコイン以上のお金をケルヴィンに渡されたのだ。
特に欲しいものがないジョアンナは、何も考えずにそれを全てカレーに換えてしまい──またケルヴィンからお金をもらう。
そこからは、それの繰り返しになってしまった。
そんな時、事件が起こった。
あまりにもカレーが続くので、うんざりしていたセリーナとケルヴィンが揉めたそうだ。
その時に、ジョアンナにお金を渡していたことがセリーナの耳に入り、「ジョアンナのスキルをそんなことに使うなんて」と、大目玉をくらったのだとか。
そのせいか、最近のケルヴィンは少し元気がない。
「カレーは昼だけになったみたいだよ」
少し前に一緒に昼食を摂った時に、ヴィンセントが笑いながら言っていた。
昼食は各々で摂ることが多いので、そこでケルヴィンだけカレーを作ってもらっているそうだ。
「甘口、中辛、辛口って、三種類あるけど、さすがにカレーが続いて飽きてきていたから、これでよかったよ」
そう。カレーは一種類ではなかったのだ。
初めて、中辛のカレーが出た時は、本当に驚いた。
これまで箱の文字は赤だったのだが、緑で「カレー」「中辛」と書いてある。
黒い箱は全て大きさと形は同じなのだが、味によって文字の色が違うのだ。
赤い文字の「甘口」は、一番甘くてマイルド。
緑の文字の「中辛」は、辛みと甘味のバランスがいい。
青の文字の「辛口」は、一番辛くてスパイシー。
驚くことにこの三種類のカレーは、[アイテムボックス]から取り出すまでどれが出てくるか、わからない。
これは初めてのパターンである。
もちろん、三種類を食べ比べてみたが……
ジョアンナとローザは甘口。
ヴィンセントとセリーナは中辛。
ケルヴィンとディーノは辛口が好きなようだ。
そして、この種類の多さが、カレーの研究に励むローザたちを混乱させていた。
「甘口、中辛、辛口って、三種類もあるのよ! もう、どこから手をつければいいのかわからないし、お手上げだわ!」
そう言ったローザの気持ちが、ジョアンナにもなんとなくわかる。
食べ比べの時に注意深く味わってみたが、三種類とも違う味がするのだ。
これを舌の情報だけで一から作るとなると、大変だろう。
「ふぅ~……。多分、私の知らない香辛料とかがいくつも入っている気がするんだよね」
「ローザも知らないものとなると、特定するのはなかなか難しそうね」
ローザと親しくなってから、ジョアンナは食材や料理にも興味を持ち始めた。
だから、知っている。香辛料は驚くほど種類があるのだ。
意外なことに、料理とポーション作りは共通点が多い。
材料を切ったり、煮たり。同じような作業が多い。
そのせいか、錬金術師の中には「食べるもの」に関する研究に生涯を捧げた者もいる。
ジョアンナが読んだ本には、身体に良い効果をもたらすお茶の研究をした人のものがあった。
乾燥や抽出など、【錬金術】のスキルを使った研究の話は、興味深くて面白かった。
本にはお茶のレシピも載っていたので、ジョアンナも試しにいくつか作ってみた。
その中でジョアンナが最も気に入ったのは、身体を温める効果のあるお茶。
飲んだ後に身体の内側から温まり、寒くなり始めているこれからの季節にぴったりだ。
お茶はポーションや薬のような即効性はないが、気軽に毎日飲めるのも素晴らしい。
そんなことを思い出しながら、何かローザの研究に役立ちそうな本はなかったかと、ジョアンナは真剣に考える。
そのすぐ近くで、誰にも聞こえないほど小さな声で、ポツリとローザは呟いた。
「本当は頼りたくなかったけど、もうすぐ雪で身動きが取れなくなるし……呼ぶしかないか……」
その夜。ローザは商人をしているある男宛てに手紙を書いた。




