19:ケルヴィンの帰還
「奥様。こちらでよろしいでしょうか」
「そうね……。もう少し赤を足してくれるかしら?」
屋敷に飾る花のチェックを終えたセリーナは、自室に戻るなり時間を気にした。
その様子を見ていた侍女は微笑ましげな視線をセリーナに向け、お茶を淹れ始める。
今日の彼女は時間ばかり気にしている。
それもそのはず。今日は視察に出ていたケルヴィンが屋敷に帰って来るのだ。
知らせが届いた数日前から、セリーナはもちろんのこと、屋敷全体がどこか浮き立つような空気に包まれていた。
ソファーに座ったセリーナの前にお茶が置かれると、さわやかな香りがふわりと部屋に広がった。
「ありがとう。いい香りね」
お茶をひと口飲んだセリーナは満足げに息を吐いた。
「今年の旦那様の視察は短かったですね?」
「ええ。今年は荷物が少なかったから、移動が楽だったそうよ」
「お戻りは夕方でしたよね? ドレスはいかがいたしましょうか?」
「……こないだ仕立てた青いドレスにするわ」
陽が落ち始めた頃。
ジョアンナの部屋に知らせが届いた。
「ジョアンナ様。旦那様がお戻りになられたそうです」
ジョアンナはすぐに読んでいた本を閉じて、部屋を出た。
エントランスに近づくにつれ、慌ただしい空気が強くなる。
その中をジョアンナは急ぎ足で歩く。
先に着いていたヴィンセントの隣に並ぶと同時に、リネハンの紋章のついた馬車からケルヴィンとディーノが降りるのが見えた。
「貴方。お帰りなさい」
「ただいま」
帰還の喜びを分かち合うように、ケルヴィンとセリーナは抱き合った。
「ジョアンナ。ただいま」
「お義父さま、おかえりなさいませ」
柔らかく抱きしめられたケルヴィンからは、いつもの甘い香りがする。
「道中で珍しい植物をいくつか採取してきたから、後で調合室に届けさせよう」
「ありがとうございます!」
夜になり食堂に行ったジョアンナ。
久しぶりに全員が揃った食堂は、心なしか明るく見える。
最初に出されたのは、ケルヴィンが気に入ってよく食べているポテトサラダ。
マヨネーズで味付けされた三色のサラダは、花のように盛り付けられ美しく皿を彩っている。
「おお! これは美味しそうだ!」
茹でた卵がたっぷり入った黄色。
胡椒がたっぷりかかった黒。
三色目は緑色だ。
見慣れない緑色のサラダをひと口食べて、ケルヴィンは驚いたように目を見開いた。
「この緑色のは?」
「そちらは乾燥させた薬草をつかったポテトサラダです」
「薬草? それは珍しいな……」
給仕の説明を聞いたケルヴィンは、感心した様子で皿に目を移す。
「ふふふ。少し苦いけど美味しいでしょう? これはね。ジョアンナとローザが考えたものなのよ」
セリーナの言葉に驚いたように、ケルヴィンが二人を見つめる。
「最近、ローザと一緒に日持ちのするマヨネーズの研究をしているのですが……その時にマヨネーズに薬草を入れてみたら美味しかったんです」
「はい。ジョアンナ様が【鑑定】で調べてくださるので、これまで使うことのなかった薬草を料理に使うことができて勉強になります」
視線を合わせて微笑みあう、ジョアンナとローザ。
二人の仲の良さを見て、ケルヴィンは柔らかく目を細めた。
次々と運ばれる料理は、どれもケルヴィンの好物ばかりだ。
メインは猪に似た魔物──ワイルドボアの肉料理だ。
ワイルドボアの肉は、少し癖のある香りと硬めな肉質が特徴だ。
ケルヴィンが最も好きな煮込みは、スプーンで簡単に切れるほど柔らかい。
ひと口食べれば、ほろほろでとろけるような食感だ。
獣臭さは全くなく、肉の甘みが口の中に広がる。
美しい焼き目のステーキは、ワイルドボアらしい香りや食感を残しながらも、肉の旨味を感じられる。
──そういえば、初めてお義父さまと顔を合わせた日も、この料理を一緒に食べたんだわ。
あれから、一年近く経つことに驚きを感じるとともに、前は三人だった食卓にヴィンセントがいて、ディーノとローザもいる。
そのことがなんだか嬉しくて、自然とジョアンナの頬が緩む。
「ジョアンナ、どうしたの?」
「なんだか幸せだな、と思って……。皆で食事をすると、楽しいですね?」
「そうだね。父さまとディーノが戻ってきて、一気に賑やかになったね」
ジョアンナとヴィンセントは、顔を見合わせて微笑みあった。
翌日。
四人で昼食を摂った後、ジョアンナとヴィンセントはリネヴィナをケルヴィンに見せた。
「セリーナから手紙でスライムを使って研究をしていると聞いてはいたが、これはすごいな……」
「本当にジョアンナは頑張っていたのよ! スライムってひどい臭いで……」
スライムの臭いを思い出したセリーナの顔がゆがむ。
「父さま。このリネヴィナのレシピを申請しようと思うんだ」
「ああ。問題ない。これまで価値のなかったスライムとグルティー草に価値が生まれる。どちらも魔の森の浅い場所で手に入るものなので、誰もが手に入れやすい素材だ。これは高い評価を受けるだろう」
その言葉に、ヴィンセントとジョアンナは手を取り合って喜んだ。
「……ただ、これでジョアンナが複数のスキルを持っているという話が、貴族社会に一気に広がるだろう。これまでは噂程度だったものが、確信に変わる」
ハッとしたように目を見開いたジョアンナは、思わず自分の手を強く握りしめた。
その手を守るように、ヴィンセントの大きな手が包み込む。
柔らかい表情でそんな二人を見つめていたケルヴィンが、まっすぐにジョアンナの瞳を見た。
「ヴィンセントには話してあるが、せっかく授かったスキルだ。ジョアンナには我慢などせず、その才能を使って欲しいと私たちは思っている」
そう言ったケルヴィンの隣で、セリーナも同意するように優しい顔で頷いた。
「これからは夜会や社交の場に出る機会も増えるだろう。様々な思惑を持って近づいてくる者も出てくる。困ったことがあれば、すぐに私たちに相談して欲しい」
ジョアンナを見つめる三人の瞳は……力強くて、温かくて、本当によく似ている。
──なんて幸せなんだろう。
リネハンに来てから何度も思ったその言葉が胸の中に落ちてくると同時に、ジョアンナの瞳から涙が落ちた。
「ありがとうございます……」
震える声でそう告げれば、満面の笑みで応えてくれる義父母がいて、そっと肩を抱きしめてくれる大好きな人が隣にいる。
その幸せを噛み締めるように、ジョアンナは微笑んだ。
ジョアンナとヴィンセントが退出し、ドアが閉じると同時にケルヴィンは小さな息を吐いた。
そんな彼に寄り添うように、セリーナが肩にそっと頭を乗せる。
「ふふふ。さっきヴィンセントが言い忘れていたけれど、貴方知っている?」
「ん?」
「ジョアンナね。イレゴでヒューゴが騎士を辞めた時の話を聞いて、リネヴィナを作り始めたのよ。もし、ポーションの瓶が割れなかったら、今でも彼は騎士を続けられたんじゃないかって……。私たちの娘は本当に優しい子ね?」
「そうだな。その話を聞いたヒューゴの顔が目に浮かぶようだ」
二人の脳裏に、顔を真っ赤にして大泣きするヒューゴの顔が浮かんだ。
「ふふふ。本当ね。ポーションの瓶に使うには保存性に問題があるらしくて、これから研究を始めるようだけど……ジョアンナなら、やり遂げてしまいそうな気がするわ」
「ああ。うちの娘は努力家だからな……」
「あとはもう少し、甘えるのが上手になってくれるといいのだけれど……」
そう寂しそうに呟いたセリーナの肩を、ケルヴィンはそっと撫でた。
「そこはヴィンセントに任せよう。あの二人なら、きっと大丈夫だ」
「そうね……私たちにできることであの子たちを守りましょう」
「ああ」
「これから大変になるわね? 任せたわよ。お義父さま」
「ははは。ああ。可愛い娘のためだ。最善を尽くそう」
ケルヴィンはテーブルの上に置かれたリネヴィナに目を移した。
透明なスライムは倒すのは簡単でも、燃えにくいせいで処分するのに手間がかかる。
素材には使い道もなく、ただただ厄介な存在だった。
それが、どこにでも生えているグルティー草を加えることで、新しい素材になる。
温度の調整が必要なようだが、二人の話を聞いた限りでは、そんなに難しい作業ではなさそうだ。
恐らく、【錬金術】のスキルを持っていない者でも、練習をすればリネヴィナを作れるようになるだろう。
水や空気を通さないだけでなく、割れにくい。
色はガラスのように透明で美しく。
ガラスより遥かに軽い。
ざっと考えただけでも、使い道は山ほど浮かぶ。
特に商人や冒険者など、移動をしながら多くの荷物を運ぶ者の需要は高いだろう。
きっと、リネヴィナは国内だけでなく、他国にまで一気に広がる。
開発者のジョアンナも高い注目を集めるはずだ。
王家からジョアンナの保護を取り付けているが、それだけではまだ弱いかもしれない。
ケルヴィンは難しい顔で髭を撫でながら、思考の海へ沈み込んだ。




