18:ジョアンナの挑戦
デフィンから戻ったジョアンナとヴィンセントは、調合室にいた。
台の上には、デフィンで手に入れたスライムがいくつも積みあがっている。
「いくよ」
その言葉と同時に、ヴィンセントは右手に持ったナイフに力をこめる。
スライムを包む膜にナイフの刃がスーッと入り、切れ目から透明な液体が溢れるように出てきた。
その瞬間、調合室に鼻をつく臭いが広がった。
二人の口から、同時にうめき声のような小さな息が漏れる。
スライムの体液はクサイとは聞いていたものの、想像以上の悪臭だ。
少し嗅いだだけなのに、勝手に涙が出てくる。
思わずヴィンセントに視線を向ければ、彼の瞳にも涙が浮かんでいるのが見えた。
「あの、ヴィンセント様……」
「大丈夫。任せて」
作業を代わろうとして声をかければ、ヴィンセントは微笑みながら首を左右に振って作業を続ける。
最後のスライムの処理を終えると、すぐに瓶の蓋を閉めた。
「ふぅ~……。終わった!」
「ヴィンセント様! 大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫、大丈夫。こんなに近くでスライムの臭いを嗅いだことがなかったから最初は驚いたけど、手伝いに来てよかったよ」
ヴィンセントは満面の笑みを浮かべながら、透明な液体のたっぷり入った瓶をそっとジョアンナに手渡した。
「ありがとうございます!」
「次はどうするの?」
「えっと……、とりあえず温めてみようと思います」
「温めると硬くなるんだよね?」
「はい。熱を加えることで、この臭いも消えるそうです」
スライム狩りの時。
デフィンの人が倒したスライムを、【鑑定】で調べてみた。
────────────────────
■スライムの死骸(品質:良)
体液は粘着性がある
過熱すると独特の臭いが消え、硬くなる
────────────────────
「そう言われてみれば……魔の森でスライムを燃やした時に、ここまでの臭いはしなかったような気がするな」
「スライムを触った時に思ったのですが……この柔らかさと透明感。マヨネーズの容器の素材に少し似ているような感じがするんです」
ジョアンナはマヨネーズの容器に出会ってから、容器に使われている素材と似たものを作るための研究を始めた。
液体が漏れないこと。
割れにくいこと。
中に入っているものが見えること。
ジョアンナが望むのは、この三点。
この研究は、ジョアンナにとって未知なる挑戦だ。
これまで、ディーノに教えてもらったレシピを使ってポーションや薬などを作ってきた。
少しずつ作れるものが増えていったり。
品質が上がっていったり。
練習すればするほど、自分が力をつけていることがわかる。
次々と色んなものを作りながら、ジョアンナはすっかり【錬金術】に夢中になっていた。
昼間は調合室で作業をし、夜には【錬金術】に関する本を読む。
そんな毎日を過ごす中で、身の回りにある多くのものを錬金術師が生みだしたことを知った。
ガラスもそのひとつ。
ガラスはジョアンナが尊敬する、ドミニクという錬金術師が生みだしたものだ。
彼の死後。
多くの錬金術師がドミニクのレシピを元に研究に励み、新しいガラスのレシピを生みだした。
熱に強いガラス。
色のついたガラス。
香りのついたガラス。
食べられるガラスを作ろうとした人もいた。
ガラスひとつ取っても、多くの種類のレシピが存在する。
ジョアンナの考える新しい素材は、見た目や用途がガラスに似ている。
そのことから、公開されているガラスのレシピを集めて、先人たちの本などをヒントに実験を繰り返してきた。
まだこれといった結果はひとつも出ていないが、いつか偉大な錬金術師の先輩たちのように、自分が思い描くものを生みだしてみたい。
そんな夢をジョアンナは抱くようになった。
ジョアンナは鍋を取り出した。
瓶を開ければ、強烈な臭いが広がる。
――うっ! やっぱりクサイ。でも、この液体がどんな風に変化するのか知りたいわ。
加熱するだけでこの臭いが消えるとは信じられないものの、これまで【鑑定】で調べた内容が間違っていたことはない。
ジョアンナは瞳を潤ませながら、火にかけた鍋を混ぜ始めた。
しばらくすると、透明な液体の表面が沸々と泡だってきた。
それと同時に、少しずつ臭いが薄らいでいく。
「臭いが薄くなってる?」
ヴィンセントは驚いた表情で呟いた。
ジョアンナは嬉しそうに頷く。
そのまま加熱を続けると、少しずつ鍋の中の液体の粘度があがってきた。
「硬くなってきました!」
なんだかポーションを作っているみたいで、ジョアンナは楽しくなってきた。
「このくらいで、一度様子を見てみます」
ある程度の硬さになったところで火を止めて、魔道具を取り出した。
四角い箱の上に金属製の銀色の板が載ってる──冷却板。
これは、魔石の魔力を使って板の上に載せた物を冷やしてくれる魔道具だ。
ジョアンナは冷却板の上に液体を注ぎ、薄く広げてつまみを動かした。
「あっ! 冷えてそうですね?」
冷却板の上の液体は、しっかりと固まっている。
「透明でガラスみたいだね? 臭いもしないし……」
「はい。冷やしても臭いは消えたままでよかったです」
想像以上の仕上がりに、ジョアンナの顔に笑顔が浮かぶ。
──見た目はガラスにしか見えないわ。これは、期待できるかも?
ジョアンナはゆっくりと手を伸ばし、固まったスライムの体液に触れた。
「あっ!」
触れただけで表面にヒビが入り、ボロボロと崩れ出す。
「……少し触れただけで、砕けてしまいます」
心が沈み込むのを感じながら、粉々になった欠片に触れてみる。
──ガラスよりも少し柔らかい? 弾力もある?
──触れても、割れたガラスみたいに手が切れないわ。
──加熱が足りなかったかしら?
──冷やす温度を変えたら、どうなるかしら?
──他の素材を混ぜてみようかしら?
欠片に触れているうちに次々と試したいことが頭に浮かんできて、心が浮上する。
その変化を表すように、ジョアンナの瞳や表情が輝きだす。
ヴィンセントはそんな彼女を、温かい瞳で見つめていた。
この日から、ジョアンナのスライムとの格闘の日々が始まった。
温度を細かく変えたり。
混ぜる速度を変えたり。
冷やし方を変えたり。
色々な素材を混ぜてみたり。
思いつく限りの実験を繰り返したジョアンナは、いくつもの失敗を重ねた。
用意していたスライムだけでは足りず、ヴィンセントに頼んでスライムを倒してもらったりもした。
様子を見に来たセリーナはあまりの悪臭に驚いて、大急ぎで消臭の魔道具や空気を清浄にする魔道具などを取り寄せてくれた。
そのおかげで、作業も少し楽になった。
そんな風に皆に助けてもらいながら続けた実験は、少しずつ実を結び――この日、終わりを迎えようとしている。
ジョアンナはスライムの体液を入れた鍋を弱火にかけ、混ぜ始めた。
臭いがなくなるまで温めたら火を止めて、白い液体を加えながら混ぜる。
すると、液体の色が水色になった。
そこで、再び加熱していく。
しばらく混ぜると、表面に小さな気泡が浮かんできた。
それと同時に、液体の色が少しずつ変化し始める。
水色だった液体の色は徐々に薄くなり、透明になっていく。
「何度見ても、この色の変化は不思議だ」
「ふふふ。本当に不思議ですよね?」
熱したスライムの体液に混ぜた、白い液体。
この液体は、魔の森に生えているグルティー草という植物から採取できるものだ。
太い茎に小さな葉のついたグルティー草は、茎を切ると白い液体が出てくる。
この液体は粘度が高く、触れるとネバネバしている。
季節を問わず、魔の森のどこにでも生えているグルティー草は、靴で踏んでしまうと白い液体が靴底につき、ベタベタすることから騎士たちから嫌われている植物だ。
「まさか、グルティー草が本当に役に立つなんて……信じられないよ」
「騎士の皆さんは嫌っていますものね?」
「ああ。靴にこの白い液がつくと、土とか草とか踏んだものがくっついて大変なんだ」
ヴィンセントは眉間にしわを寄せ、苦い顔をしている。
その顔があまりにも嫌そうで、思わずジョアンナは笑ってしまう。
そんな騎士たちの嫌われもののグルティー草は、ジョアンナがヴィンセントに「粘着力がある素材」に心当たりがないかを聞いたことで、日の目をみることになった。
ヴィンセントは知る限りの「粘着力がある素材」をかき集めてくれた。
その中にグルティー草があったのだ。
「あとは、冷ますだけです」
火を止めたジョアンナは、冷却板に鍋から液体を注いだ。
時間を置いて液体が冷めたところで、冷却板から剥がせば……透明な板ができあがった。
板は適度な弾力があり、手で力を加えると形を変えるが手を離すと元に戻る。
ヒビや割れも見られない。
「十回目も成功だね?」
「はい。完成です! ヴィンセント様、ありがとうございます」
瞳を潤ませながら、ジョアンナは満面の笑みを浮かべた。
その嬉しそうな顔を見て、ヴィンセントも柔らかく微笑む。
「登録の書類も準備したし、あとは父さまの許可をもらうだけだね」
ヴィンセントとジョアンナは、この素材のレシピを登録したいと考えている。
王宮にある商業省に登録したレシピは公開され、誰でも購入できるようになる。
その購入額の一部が登録者へ支払われる仕組みだ。
ヴィンセントは執務の合間を縫って、レシピを登録する準備を整えてくれていた。
「そうだ! 名前は決まった?」
完成が見えてきた頃。
ジョアンナはヴィンセントからレシピの登録を勧められた。
その時に名前を考えておくように言われていたのだ。
レシピに登録するものの名前は登録者が自由に決められる。
貴族ならば家名や土地の名前、自身や祖先の名前から名づけることが多いそうだ。
ここ数日。考えに考えて、決めた名前がある。
ジョアンナは頬を薄っすらと染めながら、口を開く。
「えっと……『リネヴィナ』がいいかな、と思っています」
「リネヴィナか……いい名前だね。リネハンと……」
そこでハッとしたようにヴィンセントは目を見開いた。
「……もしかして、俺の名前とジョアンナの名前?」
じっと見つめられ、ジョアンナの顔に熱が集まる。
「……はい。レシピには、大切なものの名前をつける人も多いそうなので……」
小さな声で呟いたジョアンナの真っ赤な顔を見て、思わずヴィンセントは彼女を抱きしめた。




