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■1冊目 第1話  街で噂の縁結び少女

メソポタミア編、本編の始まりです。

現時点では15~20話で1冊が終わる想定で書いています。

 高い城壁の上から、朝日が街の中へ差し込む瞬間に、門の大扉は開かれる。開け放たれた大路へ向かう行商と荷車、家畜の群れの騒々しい音と土埃が、都市国家・キシュの朝の到来を告げる。

 

  運河を利用して運ばれたレンガで舗装された広い道を、大麦や野菜がガタゴト揺れながら運ばれていく。ユーフラテス川近辺の灌漑農業地や、南方のニップルやシュルッパクといった都市国家からもたらされたものだろう。更に進めば、細い路地から出てきた女は水を運び、隣の家屋からはパンと魚が焼ける香ばしくも食欲をそそる芳香が漂い、鼻腔を刺激する。荷運びのロバが水くみの女の進路を塞ぎ、女はロバを叱る。荷運び人が女に眉尻を下げながら声をかけている間も、ロバだけは気にせず道を塞いでいる。大路へ戻り、街の中央を見やれば、大きな赤色のジックラト(聖塔)がそびえ、大きな神殿の階段が朝日に輝いている。

 

 二つの大河に挟まれたメソポタミアの大地には、こうした都市国家が川沿いにいくつも存在している。百年ほど前まで英雄ギルガメッシュ王が統治していたウルクをこの文明の中心とするならば、キシュは北西に位置する。古くから栄えた都市の一つであることを裏付けるように、大河から水路が伸び、灌漑農地や、街の中を通る運河が綺麗に整備されている。水路の脇で大麦とナツメヤシの葉が風に揺れる風景は、この地域の都市国家に共通するものだ。これらは、大河から離れた水が少ない土地に暮らすために、先祖達が残した知恵だ。水のある所であれば、人間が集まって暮らすことが出来る。

 人が集まって暮らせば、当然、必要になるものも増える。大麦を育てる者がいれば、それをパンにする者がいる。羊を育てる者がいれば、その毛から糸を作り、布を織る者がいる。作ったものを売る者、それを運ぶ者、誰がどれだけの品物を納めたのかを管理する、読み書き計算の出来る書記官⋯⋯と、朝から多くの人間がそれぞれの仕事を始めていた。


 そんな人々の暮らしを見守っているのが、キシュの守護神ザババである。都市国家にはそれぞれ崇める守護神がおり、王は守護神の地上の住まいである神殿の建設を第一の務めとした。守護神へ奉納する物と都市内で流通させる物、他地域との取引など、あらゆるものを管理する神官や書記官たちは、キシュの中でも最も働き者だ。

 神殿の周囲には、大きな人だかりができていた。キシュへ来れば、まずは神殿へ参拝し、そして取引の品物を取次いでもらうためだ。

 神官たちの間を抜けた、奥の広間の主祭殿には、武器が奉納されている。ザババは戦いに関わる神であり、この街とそこに住む人々を守る存在として人々の身近にある。しかし、人間が神々へ求めるものは取引の安定や、街の安全だけではない。豊作になってほしい、子供が無事に生まれてほしいと願う者もいれば、好きな相手と結ばれたいと願う者もいる。


 そうした時、特に女たちの口からよく名前が出るのは、ザババの配偶神とみなされることもある、女神イナンナだった。主祭殿のザババ像の傍らに、イナンナの像も並んでいる。

 イナンナは愛や豊穣を司る、天の女主人と呼ばれる女神である。そんな女神様に自分の恋について願うことは、この街でも特に珍しいことではない。好きな男と夫婦になりたいと願う娘もいれば、夫との仲が元に戻るよう祈る妻もいる。中には、娘に良い結婚相手が見つかるよう願う母親までいるのだから、一口に男女の縁といっても、その悩みは随分と多いらしい。

 結婚には、本人たちの気持ちだけでは決められないことも多かった。家同士の都合もあれば、財産の問題もあり、当然、親の考えもある。好きな相手と結婚相手が同じならば話は簡単なのだろうが、そうならない人間もいる。

 人間は、他人から見れば簡単な問題でも、自分ごとになると途端に分からなくなることがあるようだった。そんな悩みを抱えた人々が、仕事で集まった神殿前の混雑を、より複雑な人混みへと変えてゆく。


「だから、違うって言ってるでしょう?」

 市場から神殿へと向かう若い娘が、抱えていた籠を持ち直しながら身体を翻す。彼女の目線の先、すぐ隣を歩く背の高い娘は、呆れたような顔をしている。


「でも昨日も酒場の裏であの人と話してたの、外からの帰り道に見たんだけど?」

「酒場から出た時に偶然会って、むこうから話しかけてきたのよ。私は帰ろうとしてただけ」

「一昨日も?」

「私からじゃない」

「その前の日も?」

「……向こうから、私は目にも止めてなかったのに」

 背の高い娘は、テンポよく巻き布の棒をブンブンと振りながら、籠の少女の後を追う。

 

「へぇ、毎日話しかけられてるんだね?」

「⋯⋯だから何よっ!」

 

 神殿前の広場で、人がどっと波打つ。思わず大声をあげた籠の少女を中心に、商人たちは一斉に振り返った。娘は目線にたじろいで並行し、何事もなかったような顔で別の方向へ歩き出したものの、背の高い友人はまだ納得していないらしい。


「もしあの人が嫌いなら、別に誰と話していても気にならないんじゃない?」

「いきなり何の話?」

 神殿の裏手、下働きの下女達が働く工房の入口で、籠の少女は立ち止まり、友人の真意を問う。

 

「昨日、あの人が別の娘と話してた時、ずっと見てたよね?」

「見てない」

「見てたよ」


「……見てないってば」


 風に乗って、市場の魚売りの商人の客寄せや、家畜の鳴き声が聞こえるほど、先程よりも長く静かな沈黙があった。この大きな街からすれば、二人の娘が一人の男について話し合っていることなど、些細でありふれたものだ。


「そんなに違うって言うなら、エルアンナに判断してもらおうよ?」

 その名前が出た途端、籠の娘の顔が僅かに引き攣る。


「……なんでエルアンナに聞くのよ」

「だって、あの子ならちゃんと分かってくれるでしょう?別になんともないって言いはるなら、エルアンナに聞いたら私も納得できるわ」

 籠の娘の顔に赤みが差していたようだが、すぐに工房の奥に入ってしまい、影でそれ以上の感情の機微は分からない。

 

 最近、キシュの女たちの間ではエルアンナという少女の名前がよく知られるようになっていた。神殿に直属して仕える者ではなく、占いで稼いでるわけでもない。神から言葉を授かったとも聞かないが、女たちは彼女自身の言葉を望んでいる。

 その娘はただ、人の恋愛について妙に勘がいいという。

 心の内に秘めた恋心を言い当てたという話もあれば、喧嘩した夫婦それぞれに助言をしたところ、翌日には仲直りしていたという話もある。親に反対されていた男女の間へ入り、双方の家族を説得したことまであるとも聞くが、このあたりでどこまでが本当なのかは分からなくなる。噂というものは、人から人へ渡るたびに少しずつ形を変える厄介者だ。

 もっとも、話が多少大袈裟になっていたとしても、エルアンナのもとへ実際に相談へ行く者がいることは事実である。もちろん、彼女らは先にイナンナへ祈ってはいる。しかし、神々へ願いを捧げ、無事願いが成就したとしても、なぜ昨日自分を避けたのかまでは教えてくれない。その点、エルアンナは親身に話を聞き、同じ感情になってくれるのだ。

 

◇ ◇ ◇ 

 

「エルアンナー! いる?」


 女の呼び声に反応して、建物の中庭から物音がする。


「いるけど、ちょっと待って!」


 ごく普通の少女の声だ。しばらくして姿を現した彼女は、織物作業の途中だったのか、指先に細い糸を絡ませたままだった。突然訪ねてきた二人を見ると、そのうちの妙に落ち着かない片割れの顔を覗き、何も聞いていないうちに少し困ったような顔をする。


「……まーた、恋の話?」


「私は違うって言ってるのに、アシャニナが無理やり⋯⋯」

「そうそう!本人はこう言ってるけどさ」

「ちょっと、アシャ!」

 

「はぁ⋯⋯とりあえず入ったら? 外で話してたら、また街中に聞かれて、神殿のゲメ(下働きの下女)達に夜中までからかわれるよ?」

 

 エルアンナはため息をついて、優しく笑った。

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