七夕の夜
7月7日。
梅雨の真っただ中だったが、その日は珍しく雨が降っていなかった。
夕方になると、明高荘の談話室には住人たちが集まり始めていた。
テーブルの横には小さな笹が飾られている。
笹を持ってきたのは弓木りんだった。
「近所の人に分けてもらったの」
「本格的だね」
東ゆりが感心する。
短冊や折り紙の飾りも用意され、談話室はすっかり七夕らしい雰囲気になっていた。
「願い事って何を書けばいいんだろう」
林歩美がペンを持ったまま悩んでいる。
「思ったことを書けばいいんじゃない?」
遠野華子はすでに書き終えていた。
「華子は何て書いたの?」
「秘密」
即答だった。
そこへ弓木ちかが飛び込んでくる。
「できたー!」
元気よく掲げた短冊には、
『アイスをまいにちたべたい』
と書かれていた。
談話室が笑いに包まれる。
「正直だなあ」
山下純子が言う。
「叶うといいね」
斉藤涼子も笑っていた。
弓木しずくは飾り付け担当だった。
折り紙で作った星や輪飾りを笹に付けていく。
「これでよし」
「器用だね」
星野あけみが感心する。
一方、社会人組の東田恵子と菅原初美はお茶を飲みながら眺めていた。
「七夕なんて久しぶりかも」
恵子が言う。
「子どもの頃以来かもしれないですね」
初美も頷く。
しかし短冊を書く段になると二人とも意外と真剣だった。
岡つむぎは少し遅れて談話室へやって来た。
「間に合った?」
「まだ大丈夫」
りんが短冊を渡す。
つむぎはしばらく考え込んだあと、小さく笑いながら願い事を書いた。
その内容は誰にも見せなかった。
林山寛子は静かに短冊を書いていた。
受験や進路について考えることが増えた高校3年生。
それでも書き終えた後の表情は穏やかだった。
「何て書いたんですか?」
歩美が聞く。
「秘密」
「みんな秘密ばっかり」
談話室に笑い声が広がる。
やがて全員の短冊が笹に飾られた。
色とりどりの短冊が風で揺れている。
歩美はこっそり覗こうとしたが、華子に見つかった。
「だめ」
「ちょっとだけ」
「だめ」
いつものやり取りである。
その後は自然と雑談が始まった。
夏休みの予定。
花火大会。
期末テストの結果。
美術科の課題。
話題は次々と変わる。
涼子は短大の話をし、
恵子と初美は仕事先での出来事を話し、
ちかは学校で育てている朝顔の話をしていた。
年齢も立場も違う人たちが同じ談話室で笑っている。
それが明高荘らしかった。
夜八時過ぎ。
りんが窓を開けた。
「晴れてるよ」
みんなが外を見る。
梅雨の合間の夜空には、いくつかの星が見えていた。
「織姫と彦星、会えたかな」
しずくが言う。
「年に一回だからね」
あけみが微笑む。
しばらくみんなで夜空を眺めた。
特別なことは何も起きない。
でも、それで十分だった。
友達や家族のような人たちと過ごす七夕の夜。
短冊の願い事が叶うかどうかは分からない。
けれど、この時間そのものが少し幸せだった。
帰る前、ちかが笹を見上げながら言った。
「来年もやろうね!」
「もちろん」
りんが答える。
みんなも頷いた。
こうして明高荘の七夕の夜は、笑い声とともにゆっくりと更けていくのだった。




