第五百四十七話 受け入れる心境 3
7452年9月25日
暫くの間、ヘックスが寝かされている部屋には何人かが忙しく出入りする気配があった。
何事かを指示するレーンの声も聞こえたが、それを理解する気力もない。
――ああ……痛いんだろうなぁ。
ヘックスはこれから行われる筈の、“治療”という名の素人手術を想像して嫌な気持ちになる。
身体中を切り刻まれ、体内を這う蟲を除去されるのだ。
麻酔に似た痛み止めの薬は飲まされていたが、大した効き目ではない事はもう既に身を以て知っている。
無いよりは余程マシである事も冒険者としての経験上、充分に理解しているが、今の身体状況だと有っても無くても殆ど変わらないような気もする。
それに、仮に日本の医療水準と同等の麻酔薬があったとして、局所麻酔は注射器が必要だし、全身麻酔も注射器かガスだ。
どちらも道具すら無い上に、覚醒剤も無いし、麻酔科医もいないので全身麻酔からの復帰はあまり分の良くない賭けに近い。
何より蟲が這っている場所を教えるためには意識を途切れさせる訳には行かない。
どうやら手術の用意が終わったようだ。
ヘックスとしては、用意された道具は足りているのか、そもそも消毒はきちんとされているのか不安だったが、そんなものは今更だ。
道具は足りないし、碌な消毒などされていない。絶対にだ。
レーンはヘックスの口に耳を近づけると、
『用意が終わった』
と話しかけた。
『……ぁぁ』
ヘックスは小さく掠れてはいるが、意外にしっかりした声で返答する。
『じゃあ今から始めるわ……』
レーンが宣言したが、それは、ヘックスには罪の宣告であるかのように感じられた。
なんとなく背筋が寒くなる感じがするが、それは一体何故なんだろう? と思った。
思い当たることは……ある。
彼は、彼らはまだグリード侯爵領の偵察について一切の報告を行っていない事を。
ヘックスの思考の大部分は「この状況ではそんな事はどうでもいい」と感じているが、一部では「重要な事も判明した。これを伝えておかなければまずい」という考えも確かにある。
とは言え、身体中を這い回る蟲の感触は不快極まりない上に、これ以上ないほどの恐怖感を齎している。
これを何とかして貰えないと、報告どころではない。
『……貴方には申し訳ないけれど、切る度に全部を治せない。痛み止めの薬はもう効いているでしょうけど、今までにも増して痛いと思うわ。覚悟は良いわね?』
レーンの言葉に、ヘックスは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと頷いた。
『まず、一番危険そうなお腹と胸から取り掛かるつもり。でも顔とか頭とかに居そう? もしも居そうならそっちからやるけど……』
顔や頭部に潜り込もうとした蟲は、一応全て引っこ抜かれていた。
ヘックスの感覚でも顔や頭部の皮膚下を蠢いている感触は全て消えている。
『顔と頭は……大丈夫……だと思う』
『わかったわ』
レーンがそう言うと無理やり口を開かせられ、木の棒を噛まされた。
――ああ、遂に始まっちまう……。
そう思った瞬間。
『~~~っ!!』
ヘックスは声にならない叫び声を上げた。
木の棒を噛んだ口の両脇から泡になった唾液が吹き出す。
『頑張って!』
レーンが励ましてくれる声がどこか遠くから聞こえたような気がする。
気の遠くなるような痛みに耐え、木の棒に歯を食い込ませる。
今意識を手放す事は、蟲を目視のみで探し当てなくてはならない事と同義であり、恐らくはそう遠くないうちの死を意味するだろう。
――この痛みに耐え、しっかりと意識を保たなくては。
顔を顰めるだけで腫れ上がった皮膚が突っ張って痛い。
大量の涙を流したからか、目の毒はあらかた流せたのではないだろうか。
試そうにも瞼の腫れは酷いままだったので、わからなかった。
――死にたくねぇ……! まだ死にたくなんかねぇ!
しかし、生還は相当に運が良くないと難しそうな事も脳の別の部分では理解していた。
・・・・・・・・・
遠くから見かけたグリード侯爵の部隊らしき野営地点まであと一〇〇mあまり。
馬は若手騎士の一人に任せ、一㎞弱の後方に纏めている。
「しかし、あんなところに小屋なんかあったのか?」
「さぁな。だけどあるならあるんだろ」
部下達が交わす小声での私語にミュールとしては、今までにも増して一層用心深くならざるを得ない。
あの程度の大きさであれば地魔法が四レベルもあり、数回も使用可能なら作れなくはないが……。
――こりゃグリード侯爵の女房以外にも魔術師が居るな。
「人数はわかったか?」
ミュールは部隊の中でも目の良い騎士に尋ねた。
「完全にはわかりませんが、確認出来たのは六人です。そのうちの一人は恐らくナバスカス十人長だと思われます」
この距離、この時間では種族と性別までの判定は難しいだろう。
ミュールは頭の中でざっと彼我の戦力を計算する。
まずはグリード侯爵の女房の闇精人族が一人。
これは先程の第四警備小隊の大部分を斃した者だと思われるので要注意だが、かなり高度な魔術を連発していたらしいことから、相応に魔力量は減っているものと推測される。
だが、白兵戦でも相当な能力を発揮していたらしい事から、要注意の最右翼だろう。
その他に最低でも四人。
これだけ少人数での救出部隊に組み込まれている事を考えれば揃ってかなりの凄腕であろうことに疑いの余地はないが……。
――そもそも何故あいつらは転移先がランドグリーズだと確信できた? それに、幾ら昼間の視界が良いとは言え、どうしてこんな荒野のど真ん中で合流できたんだ?
ここまでに何度となく考えたが、答えの出ない問題に再度頭を悩ませる。
――やはりグリード侯爵の女房か、あの中に位置情報が解る【固有技能】持ちが居るんだろうな……それしかないだろう。
推測にしか過ぎないが、そう考える以外にミュールには納得の行く答えは出せなかった。
「作戦を伝える……」
もう一〇〇m近くも匍匐前進をして来たがまだ暫くは続ける必要があるだろう。
作戦の第一目標は敵の殲滅であり、第二目標は生存が確認されたヴァルの救出である。
この人数、このメンバーであれば半数にも満たない敵部隊に対する奇襲攻撃での成功率は高い。
如何な凄腕とは言え、暗闇(焚き火のようなチロチロと揺れる炎が見えている以上、周囲に対する視界は炎の光が及ぶ程度までと見てまず間違いない。【夜目】は焚き火の光源が強すぎてほぼ無効化されるし、【赤外線視力】も高熱を発する焚き火が側にあるためにあまり有効とは言い難い)からの攻撃はかなり有効である。
「呑気に焚き火なんか焚いてるようですし、素人でしょうな」
誰かが言うが、その意見にはミュールも賛成だった。
追っ手を警戒する必要のない通常の野営であればいざ知らず、こういう状況、場所で夜間に火を焚くなど素人丸出しである。
――侯爵の女房ともなると現場の事なんか知ら……グリード侯爵は冒険者出身の筈だ……ふん、所詮は民間の冒険者か。地球と比較すれば一〇〇〇年遅れてるとは言え、軍事的な知識は全く無いか、あったとしても女房には伝えていないようだな。
ミュールは唇の端を歪めて嗤うと、当初計画していた、全周包囲からの襲撃ではなく、二手に分けての襲撃に切り替えることにした。
この相手なら第二目標であるヴァルの救出も充分に叶えられそうであったからだ。
手勢を二手に分け、手強そうなグリード侯爵の女房である闇精人族の女をまず狙って、確実に倒す事を命じた。
弓の使い手はこの部隊に四人いたが、弩を持ってきていたのは三人だけだったため、ミュールの手勢の一人にデュロウの女を始末させ、分けた分隊の二名には別の目標を割り振った。
襲撃の開始はミュールが指揮する分隊の射撃開始を以て行うが、万が一狙撃を外した場合は自動的に強襲とならざるを得ない。
が、例え強襲となっても人数差で充分に押し切れる。
だいたい三〇分後、回り込んだ分隊の全員が配置につくに充分な時間が経った。
何事もなくキャンプ地まで二〇m強の距離まで近づけている。
竈の灯りがある方を囲むように五人の男女が確認できる。
そして、竈からの灯りが届きにくい、竈の裏側の小屋の壁に凭れるようにボロボロの服になったヴァルが確認できた。
はっきりとは見えないが、手足を縛られているようで見張りはいない。
――普人族の男が一人に女が二人。山人族か矮人族の女が二人か。
彼らとヴァルを併せれば報告通りの六人だが……。
竈の灯りが届く範囲にデュロウらしき女は見あたらない。
ここに来て敵の戦力が五人から一人増えた。
「どうします?」
隣で匍匐しながら弦を引き上げ済みの弩を構えた騎士が小声で尋ねた。
太矢も装填済みだ。
――流石にここまで徒歩で逃げて来たのなら、疲れてもう寝ちまったか……。
この距離で弩なら必中だ。
つまり、いきなり三人は倒せるだろう。
――ふふふ。やはり素人だな。ここまで近づいても呑気に駄弁ってやがる。
ただ一点、不審な点があった。
引っかかったのは、焚き火ではなく竈に火が焚かれていた事だ。
――あの灯りは竈の火だったのか……。と言う事は、わざわざ竈を作るみたいな面倒なことした? いやいや、それは流石に余裕ありすぎだし、幾らなんでも……やっぱり小屋と一緒に最初からここにあったのか?
こういった旅人が使えるような小屋というものは珍しいが無い訳ではない。
街道沿いにある集落と集落の距離が遠い場合など、ちょっとした水場がある広場の隅に建てられていたりする。
この小屋もそういったものと同様、元々ここに建っていたものなのであろう。
ミュールはそっと弩の射手の肩を叩くと、彼らから一番近くに居て、胡座をかいているらしき男を指さした。
そして、そっと地面から片手を上げようと腕に力を……。
――なにぃっ!?
ミュールはいきなり埋められてしまった。
周囲の状況など一切わからない。
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「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
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