第五百四十六話 受け入れる心境 2
7452年9月25日
――ぐっ、くそ……。
先ほど使用した【超回復】のお陰で多少楽になったアーニクだが、起き上がれる程ではない。
『大丈夫よ。無理しないで』
声の主は考えるまでもなくレーンだろう。
ここ数年は思考の際にも使用しなくなった日本語だが、耳には馴染む。
薄っすらとではあるが目が開いた。
これは、勘違いでも何でもなく、【超回復】の賜物だろう。
ほぼ同時に再び嘔吐感に耐えられずにえずいた。
「おえっ!」
本能的に、先程の【変身】の際に体に侵入りこんだだけでなく、増殖までしてしまった蟲どもを体内で消化器官に移動させることで排出しようとした副作用だと感じる。
予想していた以上に大量の蟲が吐き出された。
同時に肛門からも噴出でもするかのように蟲が放り出された感覚がある。
あまりにも長い間、吐き出し続けたので碌に呼吸すら出来ず、窒息感に恐怖した。
もし強力な毒でも持っていたらと怖くて噛み潰す事も出来ない。
どうにかこうにか、仰向けから横を向く事が出来たので少しだけ安心した。
もうコップ二杯分は吐き出しているが、この感覚からしてまだ残っているのは明白だ。
尻の方も中でまだもぞもぞと蠢いている感覚もあるし、量的にまだまだあるだろう。
今は窒息しないよう、少しでも早く吐き出して呼吸を確保しなければ……。
「げぶぉっ!」
背後から誰かが吐く音が聞こえる。
弟のヘックスだろう。
――ああ、あいつは【超回復】なんて使えないから……。
それに、【変身】もない。
容態がよくなる道理はない。
何しろこの短時間で体中をここまで食い荒らし、増殖(成長、かもしれないが)した蟲に潜り込まれたのだ。
前世の知識に照らし合わせても常識外であるし、自分自身の身の上に起こった事実ではなく、誰からから聞いた話ならば俄には信じられない程に滅茶苦茶な話だ。
そう、本物の“魔術”とその意味するものを知らなければ。
――う。くそ、もう魔力が……。
今のでほぼ完全に尽きている。
【固有技能】ならあと一度は使えるだろうが、それでもう完全に尽きる。
魔法……魔術も僅かな元素であれば出せるだろうが、それを考えただけで危機感が募る。
それはあたかも「この高さから飛び降りたら無事では済まない」「これ以上食べたら吐き出してしまう」「これ以上、少しでも力を込めたらこの刃物は皮膚を突き破る」という感覚に似たものだ。
似ているだけで同じではないが。
――どうせならもう一度【超回復】か【変身】を使って魔力切れで寝てしまうのもいいかも……この状況でレーンを襲う事はねぇだろうが、腹減って蟲食うのは避けたい。
もうかなり長い間、魔力切れを起こした経験はないが、どうなるかは身を以て知っている。
「ぐぇぼっ! ひゅっ!」
恐らくこれで上は終わりだ。
呼吸を整え、少し残っていた蟲を吐き出す。
『ヘックス、よく聞いて』
レーンが少し大きめの声でヘックスに声を掛けている。
『このままだと貴方は確実に助からない。死ぬのは時間の問題よ』
レーンの言葉はきっと本当なのだろう。
アーニクだって持ち直せたのは二つの【固有技能】のお陰なのだ。
膨大な魔力量を誇るレーンではあるが、その彼女を以てしても魔術による治療は延命にしかならなかった。
『おい、レーン……ぺっ』
蟲の一部を吐き出しながら、アーニクはレーンに声を掛けた。
アーニクには、どうにも碌でも無い予感しかしなかったからだ。
だが、レーンは全く取り合わない。
『助かるには一つしかないわ……』
アーニクは再び苦労して寝返りをうち、ヘックスの方へ顔を向けた。
レベル一の【超回復】だが、使用するのとしないのとでは大違いのようだ。
『この状況だと絶対に治るなんて約束は出来ない。それでもいい?』
レーンはヘックスの口に耳を寄せている。
『うん。成功してもしなくてもすごく痛いし、苦しいと思う。私がやる素人手術だしね。でも、ここには日本みたいに外科手術が出来る医者もいないし、薬もない。道具だって碌なものはない。それでもやらなきゃ……貴方は確実に死ぬわ』
ヘックスの口が震えるように動いた。
『苦しくて、もうこれ以上耐えられないなら何か合図をして。すぐに楽にしてあげるからね』
アーニクに弟の声は何一つ聞こえなかったが、何と答えたかは分かる。
『うん、いいのね……。用意も必要だからもう少し待っててね』
そう言うとレーンは室外に待機させていた奴隷に命じて、アーニクを乗せていたテーブルごと別の部屋に運び出すように命じ、更に伝令を幾人か走らせた。
最終的な治療は彼女の側近とも言える家人や奴隷のみで行うのであろうか?
『ジャック……いえ、アーニク……でいいのかな? セルとは呼ばないほうが良いわよね?』
冗談を言って和ませようとする心遣いにお礼を言いたくなる。
『しんどいだろうからそのまま聞いて。今からヘックスの皮膚を切り開いて、できるだけ多くの蟲を外科的に取り除くわ。治癒魔術で出血を止めながらやるけれど、私ももうあまり魔力は残ってないし、応援を呼ぶしかない。その結果、失敗して死なせてしまうかも知れないけど、どうか許して頂戴』
許すも許さないもない。
魔術的な治療が絶望的なら、体を蝕む蟲を取り除く方法は物理的な物しか無い事は、アーニクにも理解できる。
むしろ魔術が絡まない分、そちらの方が納得するくらいだ。
『た、頼む……おれ、は……責め……ない』
『ん。ありがと』
『それより……一つ……相談が』
『なに?』
『も、もう……一回しか……【固有……技能】が使えない。魔力がないんだ』
『そう。まだ一回は使えるのね? なら【変身】にしておきなさい。ジャックに戻って』
『わかった……』
『できるだけ早く、手づかみで食べられそうな物と飲み物を用意させるから。それを確認してから使ってね』
部屋を移される前、アーニクは弟に精一杯の声で『頑張れ!』と声を掛けた。
弟の死を受け入れる覚悟はない。
レーンなら治療を成功させるだろうというのは、単なる願望でしかない事はわかっている。
・・・・・・・・・
「今晩はこのあたりでいいんじゃない?」
額の汗を拭きながらラルファが言った。
日が暮れてから大体一時間半。
二つ目の長期ライトが消える少し前まで移動を続けた。
元日本人の矮人族を捕らえた場所からたっぷり一五kmは北上した荒野に転がっていた大岩の傍だ。
焚き火用の燃料は少ししか持っていないが、ぶっちゃけた話、料理をする間だけ持ってくれれば何とでもなる。
んじゃ、簡易的でも宿泊所を作りますかね。
「ミヅチ。おい、起きろ」
俺の前に座らせていたミヅチはよほど疲れていたのか、俺に抱きついたまま寝ていたので起こす。
「んにゅ……」
不機嫌そうな音を立て、目を覚ましたミヅチはウラヌスから降りた。
「クロー。それからマリー。すまんが奴の尋問を頼む。あと、大きな怪我だけでも治してやってくれ。ラルファとグィネは周辺の見回り。ノブフォムは飯の支度を頼む」
各員に命じるとまずは調理のための竈を作り、休憩所を作り始める。
皆の魔力は重傷治癒一回分程度は回復しているだろうし、少しでも練習をさせてやろう。
因みに尋問は精神的に楽をさせない為で、今ここで何らかの情報が得たいからではない。
クローとマリーならその辺は充分に理解しているだろう。
なお、捕虜にしたノームの元日本人は、ここまで引き摺られて来る間に膝を大きく擦り剥いて骨が見えており、啜り泣いている。
最初は元気よく泣き叫んでいたが、一時間もしないうちにかなり静かになったので、まさか死んじまったかと焦る局面もあったが、完全治癒を掛けてやるまでもなく【鑑定】で生存が確認されたので放っておいた。
「あ、火を起こすのは後で俺がやるからちょっと待っててくれな」
まずは馬房から作らねばなるまい。
休憩所自体はその後だ。
こういった建物も人数や規模に合わせて、もともと幾通りかの基本タイプを考えているので整形に慣れるために普段から作ってはいるのだが、最近はこういう少人数用の物よりもある程度規模の大きな物を優先しているので、俺の練習にも丁度良い。
馬房を作り、皆の馬や奪った軍馬を中に生やした馬止め杭に結ぶ。
干し藁がないので地面にはふわふわにした土を出しておく。
これだと馬の体重ですぐに潰れてしまうが、体型に合って潰れるので寝心地は悪くないらしいのだ。
そして、ノブフォムが調理を始めている傍の竈に薪を突っ込んで火を点ける。
竈は建物に作り付けのようにかなりしっかりとした作りで、結構大型のものだ。
まぁ、こんなもの、少人数用の物なんか作り慣れたってあんまり意味はないと思ったので、でっかいのと超でっかいのしか練習してないんだよ。
今回はでっかいのでいいだろう。
あと、焚き口は敢えて今辿ってきた方に向けている。
二匹目のドジョウが掛かってくれるかも知れないからな。
・・・・・・・・・
「隊長!」
ミュールの隣で慎重に馬を進めていた騎士が声を掛けてきた。
「ああ。四~五㎞先ってところか」
視界を遮るものなど殆どない荒野だ。
星明りの他は【赤外線視力】や【夜目】を使える者を頼りに、遠くに光るライトらしき明かりを追跡してここまで来た。
「灯りの明かり以外に火を焚いたようですね」
「あそこで野宿するつもりなのかな?」
「そりゃそうだろうよ」
「馬どうする?」
「帰りを考えたら連れて行きたいところだよな」
「出来るだけ近くまで連れて行こうか」
ミュールの言葉に小隊員達は頷いた。
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