第五百四十四話 物見遊山(偵察) 38
7452年9月25日
――ああ、痛いなぁ……。
ミヅチは弩で撃たれ、まだ太矢が突き刺さったままの右足首の痛みに顔を顰めた。
だが、痛みには慣れている。
闇精人族の戦士階級、その一位階級ともなれば、ある程度の傷を負ったままでも戦闘行動が取れるような訓練さえも受けているからだ。
とは言え、流石に今回の傷は無視をすると言うには大き過ぎるが。
――右足首、かぁ。走れないし、跳ぶにしても踏み切りは左足に制限されちゃうなぁ。呪文で治すのは攻撃魔術にも呪文があると気付かれかねないから止めといた方がいいだろうし……。
人質に取るようにしている男は明らかに元日本人の転生者だ。
ミヅチにしてみれば元日本人だろうが何だろうが、最早敵国の兵士となり果てているこの男の命などゴブリンよりも価値が低い存在――ゴブリン以下は言い過ぎであった。
魔石の売価を考慮すればオークかホブゴブリン程度の価値は認めても良いだろう。
――それでも人質として交渉材料くらいにはなるでしょうから、この距離までアルが来てくれたのなら殺す必要もないしね。
この男はランドグリーズから逃走したミヅチを追跡して来ただけだと思われる。
中部ダートから一緒に瞬間移動をしてきたスパイの二人組とは異なりこちらの情報については殆ど持っていない者と推察されるので、彼らとは異なり使い道は残されているのだ。
ついでに、かなり接近してきている夫に勘違いされても問題があるので即座に【部隊編成】を使用してアルに「殺すな」「急げ」と命令を送るに留めた。
それよりも今、気懸かりなのは先程炎の壁に突っ込ませた騎兵の生き残りだ。
未だ苦しんで藻掻いている者が大半だが、擬態でそうしている者がいる可能性がある。
気を抜いて目を切る訳には行かない。
だが、それもあと数十秒だろう。
・・・・・・・・・
――くそ。どうする?
ヴァル自身は大きな怪我は負っていない。
首の前面の皮膚が少し傷付けられた程度で、未だピンピンしているとも言える。
見たところ、彼が指揮を執っていた王国親衛隊の第四警備小隊は彼を残してほぼ全てが戦死したか満身創痍であり、壊滅どころか消滅寸前である。
――それにこの女、さっき弩食らってた筈なのに……。
後ろから首の前に剣の刃を当てられている状態なので、下方を見ることは出来ないが、右足のどこかに太矢が命中している筈だ。
その際の苦痛の声も聞いた。
援軍らしき騎馬が駆け寄ってくる音はどんどん近付いて来ている。
それは、後ろの女も聞こえている筈なのに、女は全く慌てた様子もないままゆっくりとした呼吸をしているだけだ。
――それにしても、速い……?
駆け寄ってきている騎馬の足音は思っていた以上に速く、その速度は歩兵の隊列に突っ込む際の襲歩と聞き間違える程の……。
――まさか、味方じゃない!?
それに気が付いたヴァルは大きく目を見開いて目玉だけであちこちを見回すが、何らの情報は得られなかった。
『ゆっくりとそのまま跪いて。手は頭の後ろで組んで』
無情に響く声がした。
音声として大きくも小さくもなく、聞き間違いようもない少しゆっくりとした速度であった。
そしてそこには、後悔や歓喜、憤怒、哀惜、嫌悪、不安などの感情が一切含まれないどころか、怪我の苦痛すらも感じさせない、まるで機械が喋っているかのような平坦さだけが感じられている。
『下手な真似をしたら躊躇なく殺すから』
そう言うが、首に突き付けられた剣はそのままで、遠ざけてはくれない。
『はは……これじゃ動くに動けないんだけど?』
冷や汗を浮かべながらヴァルは言うが、女は剣を遠ざけてはくれない。
――この状況でどうやって跪けと?
不満の感情が浮かび上がってくるが、ヴァルは無理やりそれを捻じ伏せると、口にも態度にも表さなかった。
そうしているうちに騎馬はすぐそばで止まった。
気配から見て五~六頭だろうか。
「無事か!?」
男の声がする。
勿論、ヴァルではなくデュロウの女を気遣ったものだろう。
――ああ、くそ。もうどうしようもねぇのか。
アテが外れたヴァルとしては今更悔しがったりはしないが、改めて目の前が真っ暗になった気がした。
「大丈夫だけど、足を怪我しちゃった」
女が返事をしたが、今までの全ての声とは全く異なる声音だった。
声には色々な感情が滲みまくっている。
「なにっ!?」
すぐに誰かが(多分声の主だろう)地面に飛び降りた音がした。
更に騎手たちが次々に馬から降りる音もする。
――ミーメ、サナ、リン、シュウ。どうか……!
心の中で妻と子どもたちの名を呼び、首の前の剣が外された事に気が付くとゆっくりと膝を折り始めた。
・・・・・・・・・
「ぐああ~っ!!」
苦痛にまみれた叫び声が荒野に響き渡る。
その主は当然の如く、先程入手した元日本人の矮人族の捕虜である。
両手を縛られ、それを軍馬に牽かれているのだ。
抵抗力と抵抗する意思を削ぐことを目的に、グィネが提案した。
アルとしてはそれにプラスして妻を捕らえようとした事に加えて、全員の治癒の魔術の修行になると考えたのでその提案を容れている。
引き摺り始めてからまだ五分と経っていないのでまだまだ元気な様子だ。
念の為、彼の右脇をクローが、左脇をマリーが、少し離れた後ろをラルが並走している。
馬を駆っているのは捕虜と同種族のネルだ。
ちなみに提案者であるグィネはミヅチとの邂逅現場の付近を彷徨いていた軍馬を捕らえて数頭連れている。
集団での移動や、先導者に追随する訓練を行われて、きっちりと仕込まれている軍馬だからこそ出来る芸当である。
なお、捕虜を引き摺らせている軍馬は捕らえた物の中では一番優秀そうな個体に予備で用意していたそよ風の蹄鉄を装備させており、その他にも念の為もう一頭にも装備させていた。
今のところは全速力である襲歩ではなく、速足よりも遅い速度なので魔法の蹄鉄を装備させていない軍馬でも移動には問題なく付いて来れている。
また、まだ現場で生き残っていた親衛隊員達は全員その息の根を止めており、ミヅチが出していた石の柱もきれいに消していた。
なお、移動の痕跡は追撃などについてももう気にしなくて良いとアルが判断したのでいちいち消してはいない。
従って、現場に誰か到着したとして、親衛隊員達の殺害者や、ただ一人連れ去られたと思われる上級親衛隊員の追跡をしようとするなら誰でも簡単に可能だろう。
そして数分後。
また大して離れてはいないので、移動の痕跡を追う以前に視界にすら入る距離だ。
「そろそろいいだろう」
先頭を行くアルが馬の速度を落とし、止めた。
アルの前にはミヅチが横座りしている。
「じゃあ最初は俺からにさせてくれ」
クローが馬を降りると引き摺られていた捕虜に近づいていく。
捕虜は丈夫そうな革鎧を着込んでいただけに、胴体部は未だ無事のようだが縄で縛られた手首や足は怪我をしている。
息も絶え絶えな捕虜に近づき、クローはその側にしゃがみ込んで精神集中を始めた。
現在、クローは重症治癒の魔術を一〇秒程度の集中時間で使用可能なので、限界近くまで魔力を使用したとしても僅か二回。
クロー以外の他の者も似たりよったりのため、治療には大して時間はかからない。
治癒魔術が使われる度に捕虜の傷は回復していく。
――あ……これ、また引き摺られるとか……? まさか?
当然、捕虜の予想した通りの展開が待っていた。
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