第五百四十三話 物見遊山(偵察) 37
7452年9月25日
――まずい……!
首筋に当てられた剣の刃を感じ、ヴァルは歯噛みをする。
助けてくれと叫びたいが、この状況では何の意味もないであろうし、撃つの止めろと叫んでもそれはそれで無駄であろう。
仮に弩で撃たれたとしても太矢がヴァルの体を貫通して闇精人族の女の体にダメージを与える事もない。
勿論、親衛隊の弩射手は優秀だ。
彼が撃つからにはこの距離でヴァルの体に当たらないよう、且つデュロウには当たるように放てる事は知っているが、それだって絶対ではない。
撃って外したら弩射手が腰の長剣を引き抜くよりも前にデュロウは彼を殺すだろう。
それが理解できているからこそ、彼も必中を期せるタイミングを待っているのだろう。
決してヴァルの命が惜しいからではない。
――この女が勘違いしているのはそこだ。ならばそれを利用して……!
ヴァルは必死で考えたが碌なアイデアしか出てこない。
だが、今はそれしかない。
「撃て! 恐れるな!」
セリフ自体は格好良いが、声に震えが混じっているのはいただけなかった。
「俺に構わず撃つんだ!」
そう言いながらヴァルは必死で眼の前で弩を構える射手へとアイコンタクトを送る。
何一つ事前に打ち合わせなどはしていないので、ただウィンクをしているだけになっていることはヴァルにも、そして弩射手にもどうでも良いことだった。
弩射手にしてみれば、何かを必死に訴えてきているヴァルを見て、何か良いアイデアがあるのだろうと感じている。
弩射手から見て、確実にミヅチの身体に命中させられるのは剣を構えている右手の肘から先しかない。
それにしても肘から先など、身体で一番簡単に動かせる箇所である以上、確実な命中を見込む事など無理筋だ。
あとは頭部も、胴体も、両足ですら狙い撃ったところで矢の刃が掠める程度しか見えない。
刃に毒でも塗ってあればそれでもなんとかなる可能性はあるが、当然のごとく毒など持ち歩いていはない。
要するに、一撃でミヅチを仕留めるか戦闘不能にすることは非常に難しいのである。
そんな事はヴァルも解っている筈なのに、何故彼は必死に何かを伝えようとしているのだろうか?
弩射手としてはそれが不思議だったが、瞬間的に閃いた。
ヴァルはさっきから「自分に構わず撃て」と言い続けている。
それはきっと、撃った瞬間に自分自身の身体をずらして後ろに立つデュロウに命中させる事を狙っているからであろう!
ならば話は簡単だ。
頭部は傾ける事で奥に立つデュロウの女を狙えるし、人体における最大の急所だが、同時にそのような事は敵も承知している。
だからこそ、女も用心して片目どころか瞳の半分しかこちらを覗いていないのだ。
そもそも眼の前にある頭を振ったところで一緒に振られてしまえば意味がない。
同様に、急所にある胸部や腹部なども……女の左腕がヴァルの右腕をどうやって押さえているかこちらからは分からないし、流石に瞬間的に動かせる場所とは言い難い。
で、あれば、残るは足しかない。
足ならば致命傷を与えるという訳には行かないが、機動力は奪えるだろうし、あの体勢であればヴァルが足をずらしたとしてもそれに気付かない可能性がある。
足だ。
狙いは、狙うは足だ。
狙いさえ決まればもう迷う必要はない。
あとはタイミングだけだ。
・・・・・・・・・
「あと二㎞くらいだ!」
前後を進む全員に聞こえるように怒鳴る。
さっきから五〇〇m単位でミヅチまでの距離を伝えている。
皆が乗るウラヌスを始めとする軍馬達は今朝からずっと全速力を出し続けているが、呼吸器へのダメージどころか一片の疲労すら感じさせない足取りのままだ。
小石は当然、全く整地されていない荒野で馬を全力で走らせるなど本当なら自殺行為以外の何物でもないが、そよ風の蹄鉄という魔法の品物の効能により、馬自身は整備の行き届いた現代日本の競馬場を走るのと同様に走ることが出来るのだ。
ちなみに魔法の品物の効能は騎乗者には及ばず、路面状況は現実の通りに伝わってくる。
「見えた!」
先頭を進むクローが怒鳴った。
続いてその五m程後ろに着いていたラルファも、
「あれよね!? 火魔法を使った」
と言っている。
ぶっちゃけ俺を含めた皆にも、もっと前からミヅチらしき人影は遠くに見えていた。
遠すぎて動いているかもよくわからず、ただの大きめの岩をミヅチだと勘違いしている可能性だってあった。
ミヅチか別の者かは不明だが(とは言え炎の壁などという高度な魔術を使えるような人材がそうあちこちにゴロゴロしているとも思えないのできっとミヅチだと思う)、白くなるほどの高温の炎は夕暮れの地平線によく目立った。
また、予想されていた通り人影はミヅチ一人ではなく、数人の姿が確認できる。
何人? 何騎かが炎の壁に突っ込んだところも見えた。
中でも一際大きなオーガみたいな……何だあれ?
よくわからんが巨人みたいな奴もいるようだ。
戦闘が行われているのであれば苦戦中かもしれない。
少し前にミヅチが妙な動きをした事を感じ取れたので、これは何かあったなと思って今まで以上に速度を上げさせたのだが正解だったようだ。
あそこまではまだ三分もかかるだろうが、もう少し近付いて様子が確認出来るようになれば何らかの援護も可能だろう。
・・・・・・・・・
「弩を捨ててくれないかな? そうすれば命までは取らないから」
そう言いながらミヅチは殺る気満々であった。
その証拠に、言った直後に剣を握る拳から攻撃魔術を放つつもりで魔力を練り始めたのだから。
話し掛けたのはこちらに交渉する気があると見せて、返答するなり何らかの反応をするなりさせる思考時間を強制させる為である。
夫はもう少しで駆けつけて来る位置まで接近しているが、それまでに始末が可能ならそうしておきたいし、何より心配なのは炎の壁に突っ込ませた騎兵にも生き残りがいる事だ。
彼らがいつ戦闘可能な状態にまで復活して来るか、知れたものではない。
勿論、治癒魔術を使われる事ではなく魔法の水薬を使われる事を心配している。
最近でこそないが、ミヅチがまだバルドゥックの地下迷宮を這いずっていた頃、殺戮者の面々はサバイバルキットと称して一人四本もの治癒の薬を携帯していたのだ。
それと同様な事を考える者がいても不思議ではない。
まして、自分や夫と同様の日本人の転生者であれば、訓練の行き届いた実力のある兵士は替えが効きにくいことも良く理解している筈なのだ。
資源や資金は有限だし、それら貴重な資産を注ぎ込む先は慎重に決定されなければならない。
惜しむべきは惜しみ、非情になるべきは当然にある。
世の中はどこまで行っても平等ではない。
自分と同じ転生者が指揮する部隊で、且つ全員が騎兵だ。
デーバスやロンベルトの軍制を考えるにこの部隊は全員騎士であろう。
然るに贅沢品とも言える治癒の薬が支給されていてもちっともおかしくないではないか。
それがミヅチの考えであった。
完全に外れてはいたが。
たかが一人の、しかも女を追跡して殺害する程度の任務にそのような高価な品など支給されることはない。
それ以前に、時間が勝負とも言えたので馬鎧は疎か革鎧すら身に付けないまま任務に従事している者だってそれなりに居たくらいだ。
とにかく、魔術の完成には数秒で済んだ。
黒染めの刃を持つ曲刀の柄を掴んだミヅチの右拳から石の投げ槍が発射されたのが早いか、弩射手が太矢を発射したのが早いか。
着弾はほぼ同時であった。
ミヅチが放った石の投げ槍は見事に弩射手の胸を貫いており……弩射手の放った太矢は魔術に集中していた為に気づくのが遅れたミヅチの右足首に突き刺さっていた。
「がうっ……!」
「くっ……」
咄嗟に意思を疎通出来、策がまんまと当たったヴァルだったが、それでもミヅチが締め上げていた右腕を振り解くことは出来ないまま、同じ体勢を続けていた。
だが、太矢が彼女のどこかに命中した事だけは理解出来た。
「くそっ!」
だのに何故、振り解くことが出来ない?
ヴァルは少しだけ混乱したが、その思考の中には冷静な部分も残していた。
――暴れてもいいが、剣が……。
何故か女は剣をヴァルの首に当てたまま、横には引かないでいてくれている。
刃が当たっているので少しは首の前面が切れているだろうが皮一枚程度であり、致命傷には程遠い。
これは、殺さないという意思表示なのだろうか?
ならば、まだチャンスは有る。
有る筈だ。
それならば、誤魔化すためにも。
『あいつの手当をさせてくれっ!』
日本語で叫ぶが女は何も答えてはくれない。
『頼むよ、このままだと死んじまう!』
『私を殺そうとしたくせに、随分勝手なことを言うのね』
その声には苦痛の色などどこにも感じられない。
太矢は命中しなかったのか、掠った程度だったのかも知れない。
『殺すつもりなんか無かった!』
ヴァルは必死な声で叫んだ。
『だとしても私がどう感じたかが重要でしょ?』
それはそうだ。
『俺には妻も、子供もいるんだ! 頼む、見逃してくれ!』
『安っぽい言葉ね。子供なら私にだっているわ。私が見逃してほしいと言ったら見逃してくれたの?』
『と、当然だ。それを聞いていたなら……』
『あら、そんな返しは珍しいわね』
『なら……』
『でも駄目。そんな言葉、信用出来る訳無いでしょ?』
それもそうだ。
「ぐぷっ……」
震える手で、それでも腰の長剣を引き抜こうとしていた弩射手は血の塊を吐いて動かなくなった。
それを確認したミヅチは低い声で、
『ゆっくりと右向きに九〇度回転して。私の誘導通りにね』
と言って少しずつ体の位置を回転させ始めた。
まだ息のある、炎に巻かれた騎兵達を恐れているのだろう。
その時になって、漸く遠くから馬が駆け寄ってくる音が二人の耳に届いてきた。
――チャンスか!?
ヴァルはそう思って歓喜したが、何も言わなかった。
ミヅチは【部隊編成】によってその騎馬の騎手が夫であることを理解していたので大きな安心感を得られていたが、こちらも気を抜くことはしていない。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で現在第一六話まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、コミックス2巻が発売されました。
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