第二百六十六話 先触れ
7451年2月2日
午前の執務と昼食を終え、食後のお茶を啜りながらインセンガ事務官長と雑談をしていた時。
扉へのノックがあった。執務室の警護をしていた従士だ。
昨日のうちに先触れが届いていた、人質のカーライル・バスボーン准爵とベリンダ・ザーム准爵が到着したという。
今は行政府前の広場に居るというのでガラスを嵌め込んだ窓から外を覗いてみると広場の隅に中型の馬車が三輌、少し小型の馬車が二輌の合計五輌の馬車が停まっているのが見えた。
見た感じ、どれも結構いい馬車のようで、ここからでもバスボーンとザーム公爵家の家紋が見える。
中型の馬車には四頭が、小型の馬車には一頭の馬が繋がれたままだ。
また、馬車の周囲には乗用馬が四頭と数人の人影が見え、こちらは全員が地面に降りている。
「先触れが言っていたお時間より少し早いようですね」
俺の隣に立って窓の外に視線を飛ばすインセンガが言った。
とは言え、聞いていた時間より一時間くらい早いだけなのであまり問題はない。
「ああ……ま、誤差の範囲かな?」
が、一〇分一五分ならともかく、これだけ早く着いてしまったのなら適当な場所で時間を潰してから到着の使いを寄越すのが普通ではある。
「ま、いいさ。応接に通しておいてくれ」
従士に命じるとインセンガはテーブルに戻って残っていたお茶を飲み干した。
そしてさっさと執務室を後にしている。
はぁー、人質か……当たり前だけどやっぱり来たのね……どうしたもんかな……。
って、適当に挨拶を受けて用意していた家屋に向かわせるしかないんだけど。
それにしても、当初の予定から色々とずれたな。
最初は俺の陞爵は今月、同時に三伯爵位の襲爵も兼ねて授爵式を行い国内外の貴族たちへのお披露目をして、三月か四月にミマイルとの婚礼。
人質が来るのはその後になるはずだった。
それが、陞爵と襲爵は昨年末に済ませ、お披露目の授爵式は今年の年末の上京(?)に合わせ(国内貴族たちの都合や色々と招待する都合のためらしい)て延期、人質は三人とも婚礼前の今月にやってくる事になった。
ま、一番重要な陞爵と襲爵はさっさと済んだんだし、大した違いはないか。
ぬるくなり始めたお茶を飲んでちょっとだけ時間を潰し、応接室へと足を向けた。
・・・・・・・・・
「「ご無沙汰しております、グリード侯爵閣下!」」
俺が応接室の扉を開けて、室内に一歩足を踏み入れた瞬間、並んでソファに座っていた二人の子供がバネ仕掛けのように立ち上がって大きな声で言った。
「あ、ああ。二人共、座ってくれ」
二人が腰を降ろしたソファの後方には、若い男女が一人づつ謹厳な顔つきをして立っている。
武器こそ携えていないが、金属部品の多そうな立派な鎧を着込んでいるところを見るに、大方、二人の護衛役を賜った郷士騎士団に所属する騎士なんだろう。それも優秀な。
俺もソファに腰を下ろすと、警護のために後に付いてきた従士が扉を閉めた音がした。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、暫くご厄介になります。宜しくお願いします!」
と元気よく頭を下げたのは犬人族の御曹司、御年一二歳のカーライル・バスボーン君だ。
丁寧に切り揃えた焦げ茶色の髪。その頭の両脇に垂れたレトリバー犬のような大きな耳が可愛らしいが、男の子だけにそれを言っても喜ばないとは思う。
「うん。こちらこそ宜しく。何もない田舎だが、だからこそ遊ぶ場所には事欠かないぞ」
深い意味などなく見た目から受けた印象のまま言った。
何せ、耳を除けば前世に見たわんぱくそうな外国人の子供そのままだし。
このくらいの年齢なら山野で走り回って遊ぶものだと思うからだ。
そして、直後に馬鹿なことを言ったと少し後悔する。
オース一般の子供はもっと幼いうちから働くのが当たり前だし、貴族の子なら家に仕える従士に混じって剣や槍の稽古をしている真っ最中の年齢だからだ。
その証拠に、差し出された手は年相応の大きさだったが、掌は何枚も皮が剥けたのを繰り返しているようで、まだあどけなさが残る顔に似合わず、まるで騎士団員のようだった。
案の定、カーライル君は面食らったような顔ではしばみ色をした目を見開き「はい……」と答えただけだ。
他意はないんだ、そんな顔をしないでくれ……いや、ごめんよ。
「……わたくしもお世話になります。ベリンダ・ザームと申します。わたくしのことは、どうかリンディーとお呼びくださいませ。あと、後ろの者は私の護衛の、騎士ガルコス・マクレーンです。以後、どうぞお見知りおきを」
来月一三になるベリンダ・ザームちゃんはカーライル君とは異なり、少しばかり落ち着いた挨拶を寄越してきた。
さっき聞いたばかりの元気な声程ではないが、よく通る声と小綺麗な服装、ツーサイドアップにした綺麗な金髪に宝石のように輝く真っ青な瞳は、正に上級貴族のご令嬢と言った容姿である。
「ああ。こちらこそだ……そう言えば私の方も紹介を忘れていたな。彼女は我が騎士団の従士ジャクリーヌ・デスダンだ」
俺の警護に付いていた従士が会釈する雰囲気が伝わってきた。
と、同時に握手した手を離す際に一瞬だけ、リンディーが勝ち誇ったような目で隣のカーライル君を見たことがわかった。
くっそ、面倒臭ぇな。
何か言おうとして口を開きかけたカーライル君を制し、「君のことはカール、と呼んでも?」とにこやかに尋ねた。
「はい! 勿論です! それから、後ろの者は私の護衛の騎士シャロン・ダイバーです!」
紹介された護衛騎士は黙礼を送ったのみで謹厳な表情と態度を貫いている。
「そうか。ではカール君。これからべグリッツで生活するに当たり、何か要望はあるかい?」
「はい! 是非閣下のご指導を賜りたく、閣下の騎士団の訓練への参加を希望いたします!」
「うん。貴族にとって戦いに備えることは最重要だ。訓練参加を認めよう。ただし、騎士団内の扱いは最下級の従士からだが、それでもいいかな?」
「望むところです!」
いちいち元気で羨ましくなるくらいだな。
だが、男の子はこのくらい元気な方がいい。
それに騎士団に放り込めるのであれば、二・三年も経って成人した頃に適当に正騎士にでもしてやって「もう一人前だし、以降は本来の領土を守れ」とでも言って体よくお帰り願える。
「閣下。わたくしも騎士団の訓練に参加させてくださいませ」
リンディーも遅れてならじと嘴を突き出してきた。
まぁ、狙ってたんだが。
「ああ。構わん。だが、我が領にはウィードになるが、君のご実家のザーム公爵騎士団も一部隊駐屯している。護衛の騎士マクレーン卿の同輩や顔見知りも多かろう。希望するならそちらでも構わないぞ」
万が一頷いてくれようものなら面倒臭い人質を一匹、ゼノムに押し付けてやれる。
ゼノムももう少し、こういった方面で苦労してくれてもいいと思うんだ。
「いえ、温かなお言葉、誠に有り難く存じますが、わたくしもザーム家の一員。是非閣下のご指導を賜りたく……」
即答かよ。
卒がねぇな。
なら仕方がない。
「我が騎士団の訓練は厳しいぞ。女性や子供だからと優しくしてやることはないが、大丈夫かな?」
エムイー訓練過程を除けば、現時点だと他の騎士団とあまり変わりはないとは思うけどね。
一応ね。
「問題ございません。こう見えても槍の腕には些か自信がございますの。マクレーンにも筋が良いと……」
彼女の護衛騎士は微妙な表情になった。
筋が良い、というのはお世辞だったのだろう。
「ほう。君は槍が得意なのか」
時節柄か家柄か、長袖の服なのでよく判らないが、腕の太さや体格は日本でも見かける年相応の女の子という感じが否めないんだが。
左手の親指と人差し指の間も、皮は多少厚くなっているようだが、胼胝になっている程ではない。
槍を使う兵隊は突き出す際に滑らせる左手の親指と人差指の間の皮は何回も剥けて硬質化しているのが当然だ。
その程度の稽古しかして来ずに、よくもまぁでかい口を叩くものだ。
「はい。剣よりは、という程度でしょうが」
お?
多少は謙虚さも持ち合わせているのかな?
まぁ、どうでもいい。
「なるほど。では二人共、今日のところは旅の疲れもあるだろうし、屋敷でゆっくりと休んで疲れを抜いてくれ。ジャッキー、サミュートを呼べ」
俺の命を受けた従士ジャクリーヌ・デスダン(従士なので騎士に付ける“卿”はないし、公式の場でもないため愛称での呼び捨てだ)は短い応答の言葉を残して忠実な秘書を呼びに行った。
それを見て二人の護衛騎士は妙な顔つきになる。
大方、警護を離した事が不思議なのだろう。
「ああ。心配はいらない。こう見えても私は竜殺しなのを忘れているようだな。そうそうな事で後れは取らんよ」
わざと傲慢そうに言う。
このセリフはお前ら程度、何をしようが俺に指一本触れられないうちに殺せる、と言っているのと等しい。
が、二人の騎士は流石に上級貴族から重要人物の護衛を仰せつかるだけあって、侮辱に近い言葉を吐き掛けられたにも拘わらず激発の様子は見られなかった。
ただ、つまらないことで余計な感情を表してしまい、結果として俺にしょうもないセリフを口にさせてしまったという印象があるのみだ。
俺の騎士団に欲しいくらいだぜ。
「そなたら。ダイバー卿にマクレーン卿。二人を屋敷に送ったら騎士団本部に出頭し、新人従士の手引きを受け取ってよく読んでおいてくれ」
「「は」」
二人の返事とともに応接室の扉がノックされる。
従士がサミュートを連れてきたのだろう。
何しろこの応接室の隣の隣が事務室だからね。
「入れ」
部屋に入ってきたサミュートに、用意しておいた二人の屋敷までの案内と護衛騎士を騎士団本部まで案内する事を命じ、席を立った。
さて、預かったばかりの二人の子供は、明日から騎士団に顔を出すだろうか?
出すにしても、その後どうするだろうか?
新人に限らず、俺の騎士団の従士は許された日以外の外泊は禁止で、基本的に営内での生活になるんだが。
俺としては本気でどうでもいいが、預かった以上、それなりに鍛えてやらねばならないだろう。
まして、騎士団での訓練を望んだのは本人だ。
今後、この二人に何事もなければ、将来、上級貴族位を襲爵するのは確実だろうし、シンパは増やせる時に増やしておいたほうがいい。
こういうご時勢の人質ってのは、つまるところそんなもんだろう。
・・・・・・・・・
7451年2月3日
太陽が中天に登る頃。
ロンベルト王国の天領南部にいるロボトニー伯爵に一つの報告が齎された。
報告者は伯爵の配下として働く冒険者集団から選りすぐられ、付近の街道を監視している者の一人だ。
「何? 王孫だと? 確かなのか?」
伯爵は予想だにしてなかった報告に耳を疑った。
「ええ。先触れだという騎士から聞きましたから」
報告者である冒険者はこの辺りの農婦のような格好をした女性だ。
彼女は焚き木でも拾いに来て、街道脇で一休みしている風を装って監視をしていたのである。
王孫一行の先触れだという騎士は、通り掛かった街道脇の石に腰掛ける彼女を認め、水が余っていたら分けて貰おうと声を掛けてきたという。
にこにこと水を分けながら彼女が聞いたところでは、騎士は自らを南の方を目指す王孫一行の先触れだと言ったのだ。
普通、貴人が移動する際には、道中通り掛かる予定の街や村に対し、本隊に数時間~二日程先行して「いついつに○○という方がこの街で宿を取りたいと言っている」と言うような先触れを送るのは極々一般的である。
逆に先触れを送らない一行は、それが国王や殿下の敬称が付く程に並外れて高位の人物でもない限り――ただの王族とか他領を治める上級貴族程度では行く先々で歓待を期待してはいけないし、出来ない。
また、地域によって異なるが、一般的に先触れはそれと判るような幟を背負っていたり、目立つように派手な色で染められた腕章や母衣を身に着けている事が多い。
貴人の家紋を染め抜いた幟や母衣を背負い、人口の多い街中などでは「○○様の先触れなり~ぃ!」と大声で触れ回り、その地を治める者のところまで行き、宿の手当や歓待の交渉を行うのだ。
このように、先触れはそれなりに大切な役目だが、野盗や魔物による被害が少ないなど比較的治安の良い地域であれば、移動速度を稼ぐために単独行動をすることはままある。
よしんば治安に多少の不安があっても速度を落とさないよう、多くても三・四人程度で行動するのが当たり前だ。
そして彼女が監視していた辺りは稀に魔物による被害が出る程度(一~二か月に一回くらい)の、そこそこ治安が良いとされる地域である。
そうでなければ農婦が一人で休憩している事自体が不自然だからだ。
「やってくるのはダンカン・ロンベルト四世という王孫で、北の襲撃地を通るのは恐らく明日の昼過ぎ頃になるかと」
「ダンカン……ダンカン・ロンベルト四世……か」
王孫の名を呟きながら、伯爵は記憶の野を掘り返す。
外国の、しかも継承権順位が八位ともなればそう簡単には出てこないが、伯爵の記憶野は普段からかなり整理整頓が行き届いていたのか、程なくして目当ての情報を掘り当てた。
――ダンカン・ロンベルト四世……確かまだ四・五歳だった筈だが、そんな幼子が筆頭になっての移動? 一体どういうことだ?
考えられる理由はそれ程多くはない。
政府や軍で働くそれなりの者が同行しているのだろうが、八位とは言え王位継承権を持つ者よりは立場が下になるのは当然だ。
しかし、四・五歳の子供が親や兄弟と別行動を取るのは余りにも不自然ではある。
――これは……何か匂うな……そう言えば!
伯爵はこの地に着いて街道の監視を始めて以降、物見に出した者が早々に見たというかなり豪華な馬車隊の事を思い出した。
あの時は運悪く先触れを捕まえて情報を聞くことは出来なかったが、流石に婚礼の車列にしては荷物量や人数が少なく、何より聞かされていた予定時期からは大きく外れていたため、興味を覚えながらも物陰から見送るに留めていた。
――ひょっとして、グリード侯爵の婚礼に参加するためか? 侯爵に降嫁するのは公に認められているとは言え、所詮は庶子。継承権位の低い王孫でも参列させておけば格好がつく、という事か?
それにしては時期的に些か早すぎる気もする。
――いやいや、四・五歳ならまだまだ馬車での移動は辛い。揺れを抑えるためゆっくりと走らせているなら、その可能性はある……だが、目的を履き違える訳にはいかん……が、ロンベルトの王族を討ち取るか捕らえる絶好の……。
伯爵は多少煩悶したものの、本来の目的を思い出すことができた。
ここで王孫を殺すのは恐らく簡単だが、ロンベルト王家は血眼になって犯人を探し回るだろう。
その結果、ロンベルト王国の国内は多少混乱するだろうが、その程度である。
また、王孫を誘拐するという案も捨てがたかった。
そもそも降嫁する花嫁についても第一の目標は誘拐であり、どうしてもそれが難しい場合のみ殺害するのだから。
そしてそれは後々交渉の手札にするためだ。
グリード侯爵は自身が竜殺しであり、ロンベルト王国の南方総軍司令官という役職に就いている。
自身の戦闘力と併せてかなりの軍事力を誇っているが、それでもたかが一地方領主であり地方軍の司令官でしかない。
充分に恐るべき存在である事は確実視されているものの、飼い主であるロンベルト王国には及ぶべくもない。
それを考慮すれば交渉相手がロンベルトの王族……事によったら孫を猫可愛がりしている可能性もある国王になるかも知れない、というのは甘美な誘惑である。
だがそれでは――仮にそうだったとしても――グリード侯爵は首尾よく姫を娶ることが出来、彼とより深く結びついたロンベルトの国王は地理的にデーバス王国に近い侯爵に対してデーバスへの侵攻を命じる可能性がある。
命じられた侯爵は、喜び勇んで、ということはないだろうが、上手くすれば王家の歓心を買う事も出来ることもあって、当たり前のように軍を進めてくる筈である。
従ってこれもあまり良い手であるとは言えない。
国王が王孫の身柄を必要以上に大切に感じている、という事が揺るがぬ事実として確認されでもしない限りは、むしろ悪手だ。
本来、この作戦はグリード侯爵とロンベルト王国との間に溝を穿つものである。
それを考慮すると王孫を拐うか殺害するにしても、侯爵の領土内でなければいけない。
そう考えると理想的なのは輿入れに来た姫を誘拐し、べグリッツで結婚式を待っている王孫も拐ってしまうのが最高だ。
そうなれば侯爵とロンベルト王国はお互いに恨みの感情を持つことだろう。
――とは言え、流石にべグリッツに居る王孫を拐うなど出来る筈もなし。それよりも王族が移動する車列を観察出来るという事で、今回は良しとすべきだろう。実戦に先立って王族の車列を見る事が出来るのは……大きいぞ。
伯爵は冷静に判断を下した。




