第二百六十七話 準備
7451年2月4日
午後。
ロボトニー伯爵は彼らが「北の襲撃地」と名付けた周辺から手下の冒険者達を引き上げさせた。
暫く移動して拠点に戻った伯爵は、全員に暫しの休息を告げると、一人自分の天幕へと入る。
「……ふぅ~っ」
大きく息を吐きながら水差しから水を注いだ。
――継承権順位の低い子供とはいえ、流石に正式な王族ともなるとな……。
先程偵察した内容を思い浮かべ、憂鬱そうな表情になる。
王孫が乗った馬車隊の規模はかなり大きく、ちょっとしたやり手の商会の隊商にすら匹敵するであろう。
内容は、王孫本人が乗車していると思われる六頭立ての大型馬車が一輌。
身の回りの世話をする側仕えや、荷物などが積まれていると思われる二頭立ての馬車が四輌。
そして警護の騎兵が八人に歩兵は槍兵が八人、弓兵が八人もいた。
もしも警護に交代要員がいて、先程の偵察時には馬車に乗車していたのであれば更に一〇人くらい、警護の兵が増えてもおかしくはない。
何せ大型馬車は大人が一〇人程度は乗れるであろう造りであったし、そこに子供と側仕えだけ、というのもちょっと考え難いからだ。
警護部隊の指揮官か准指揮官のどちらかは数人の護衛兵と共にあの馬車に乗り込んでいるだろうことは想像に難くない。
――最悪を想定するなら護衛の総勢は四〇名程になるか……だが、ふん……確かにあの車列には王孫が乗っていたと見てまず間違いあるまい。
板ガラスがないため、人員の乗用専用であろう大型馬車の窓は開閉可能な板で出来ている(天井に明かり取り用の開閉版があって、それが全て開いているのは確認できた)ために中は見えなかったものの、道中の窪みなどで少し大きなものを発見すると、奴隷だと思われる者がその窪みにいちいち板を渡していたからだ。
そのためか、一行の移動速度はかなりゆっくりとしたものであり、随伴する歩兵達の表情にもあまり疲れた様子は見られなかった。
ただ、王孫の車列を確認したことで、ターゲットであるロンベルト王国の庶子の車列についてもおおよその予想は付けられる。
――問題は、馬車のうち確実に三輌だけは御者以外の者は乗っていそうに無かったことだな。
そして、残る一輌についても積み荷を完全に確認できた訳ではない。
その車輌にだけは背の高い幌が掛かっていたためだ。
ここが伯爵の意識に引っかかっていた。
単に結婚式に出席するだけのことであれだけの荷物が必要になるというのは少し、いや、かなり不自然である。
贈り物だとしても、あの量は些か多い。
――家具や調度品なども積まれていたようだし、あれでは引っ越しの車列だと言われても……。
ふっ、と薄い笑いを浮かべて伯爵はコップをテーブルに置き、自ら椅子を引くとそこに腰を下ろした。
――いや、やることなすこと何につけてもいちいち贅沢なロンベルトだ。グリード侯爵との縁を強固にするためならあの程度の贈り物もあるか。大量の高価な贈り物に加えて王孫本人も参列、となればな……。
笑みを浮かべたまま、伯爵は溜め息を吐く。
――それにしても、王孫と贈り物の警護があの程度なら……。
グリード侯爵に嫁入りするのは王孫よりかなり格が落ちる庶子であり、言うなれば一介の准男爵家の娘でしかない。
勿論、王家との繋がりは無視できないため、普通の准男爵家の娘とは明確に異なるが、良くても王孫の警備態勢と同程度であろう。
――護衛の数が四〇人程度ならば、まず最初に私のファイアーボールで……。
伯爵はニヤリと片方の口の端を吊り上げ、これからの訓練内容について考え始めた。
・・・・・・・・・
7451年2月5日
昼前。
「えーっと今日の陳情は今ので終わりだったな?」
俺は行政府の応接で重い溜め息を吐きながらインセンガ事務官長に言った。
「はい」
陳情の記録を録っていたサミュートからメモを受け取りながらインセンガが答える。
今日、と言うか、今週の陳情は「どこそこの小川に橋を掛けてくれ」とか「税の納入を少し待って欲しい」とか「ウチの農地の井戸を勝手に使ってる奴がいるから何とかして欲しい」とか言った、本人にとっては重大かもしれないが、領主である俺にしてみれば相変わらずしょうもない内容ばかりだ。
橋を掛けるのは大抵の場合べグリッツの防衛にも関わるから調査もせずにそう簡単にうんとは言えないし、税の納入にしても俺の「わかった。〇〇か月の遅納を認める」というお墨付きを欲しがっているだけで、井戸に至っては枯れるまで汲み上げられたのならまだしも、普通に使える程度の水量はあるみたいなので、要は苦労して掘った井戸を勝手に使われてムカつく、というだけのものだ。
でも、これでも結構楽にはなってるんだ。
俺に直接陳情したり陳情書を書いたり出来るのは、俺に対して直接税(農地税)を収めている者か、俺が直接雇用している者だけとしたからだ。
要するに俺の従士本人(五〇人もいない)の他は貴族位を持つ者、行政府の職員、騎士団員に加えて俺の商会の従業員だけが直接陳情できるシステムにしたということだ。
毎日何十人もの人と面談したり、何十枚もの陳述書を読まなくてはならない訳ではなくなったのは地味にでかい。
陳情自体は農奴だろうが自由民だろうが誰でも出来るが、その提出先は俺ではなく俺の従士や下位の貴族、もしくは行政府となる。
受け取った者が俺に対してエスカレーションすべきかどうかを判断することになる。
そこでは、半分以上という結構な割合で差し戻しと言う名の却下がなされているとの報告を受けている。
従って、面談だの陳述書だのについては一応のフィルタリングがされてから俺の所に来ているので、これでも多少はマシになって来ているんだよね。
「では、私は騎士団に行く。あとは宜しく頼む」
「分かりました」
先日預かった二人の人質は、どちらもべグリッツにやって来た翌日には騎士団に来て、そのまま騎士団の従士宿舎に寝泊まりをしているそうだ。
バリュートからの報告では、二人共常設軍を持つ大貴族の跡取りという事もあってか、何も言う前から寝具だの着替えだのを持ち込んで来たとの事だった。
ウチの騎士団もそうだが、大貴族が保有する常設軍だと通いの騎士団員は勤続○年以上の従士とか正騎士とかに限られ、大多数の従士は営内で生活し、決まった日にのみしか外出が許されないというのは結構普通だからだろう。
そう言えばザーム公爵騎士団みたいな規模の大きな郷士騎士団なんかだと、デーバス軍みたいに志願した従士だけでなく徴用した従士なんかも居るらしい。
ウィードに駐屯している部隊は精鋭なので徴用兵はいないから見たことはないけどね。
何にしても二人はどんな感じなのか、その様子については直接見ておきたい。
・・・・・・・・・
騎士団に着くと、丁度門と本部の建屋の間にある広場で一般従士の訓練が行われているところだった。
ラルファたちが所属する騎士候補の訓練従士隊の方は、今日は野戦訓練らしく、練兵場の方からそれらしき声が響いている。
行政府からくっついてきた当番従士にウラヌスの手綱を預け、厩舎の方へ回り込むように歩を進めた。
「えいっ!」
「「えいっ!」」
従士たちは教官をしている古参従士の掛け声に声を合わせて一斉に槍を振り下ろしている。
その集団に目を凝らすと……いた。
後ろの端っこの方でカールが槍を振り下ろしている。
その傍には彼の護衛騎士の女性が居て、同じように槍を振り下ろしながら、何事か話し掛けているようだ。
恐らく、フォームについての注意かなにかだろう。
「やぁっ!」
「「やぁっ!」」
今度は振り下ろした槍を一度引き、掛け声と同時に一斉に突き出した。
……カールとは反対側の後ろの端にはリンディーが居て、ヘロヘロな突きを見せている。
腰も入っておらず、疲労からか穂先もブレブレ、胸を張るように上体も起きたままのため、突き出したリーチも短い。
彼女の護衛騎士の男性は何もせずに傍で突っ立っている。
まぁ、何か言うくらいはしているのかも知れないが。
「とぅっ!」
「「とぅっ!」」
さきほど突き出した槍を動かさないように伸ばした腕を縮めながら一歩前進し、そこでまた槍を突き出す。
一連の動作は、相手の陣を突き崩す際の基本教練だ。
横一列に並んだ槍兵が一斉にこの動きをすれば、堅固な陣も大抵はどこかが崩れると言われている。
ベテランの従士隊が行うこの動きを正面から見ると、魔法や飛び道具でも使わない限り殆ど隙がない気がするから、俺としてもこの意見については支持せざるを得ない。
足を止め、暫く掛け声を聞きながら訓練の様子を眺めていたら、小休止となった。
ウラヌスの手綱を牽いていた当番従士に厩舎へ向かって顎をしゃくると従士隊へと足を向けた。
何人かの従士が目ざとく俺の姿を認め、小休止中だというのに起立して敬礼を送ってくる。
それを見た他の者も次々に立ち上がって木槍を立て、石突で二回地面を突く敬礼をした。
俺も腰の屠竜を抜き、顔の前で垂直に立ててからすぐに切り払うようにして答礼する。
この屋外用の敬礼は格好いいっちゃ格好いいが、いちいち面倒くさいのが玉に瑕だ。
いずれは変えるべきだろう。
「おい貴様」
俺に呼ばれた古参従士は「はっ」と返事をしながら駆け足をしてきた。
「あいつらの様子はどうだ?」
「どうと言われましても……年相応ですとしか」
「そうか」
そりゃそうだろうな。
「訓練内容について、彼らの護衛騎士から何か意見はあったか?」
バリュートからはそういった事について特に報告はなかったが、一応ね。
「意見と言うか、ご不満はあったようで……」
カールの護衛騎士のダイバー卿は特に何も言って来なかったようだが、リンディーの護衛騎士、マクレーン卿は初日に行われたランニングについて文句を言って来たとの事だった。
その内容は勿論、「走るなんて無駄に体力を消耗させるだけ。肝心の戦闘訓練でバテては意味がない」というものだった。
予想通りの内容だがそれについてバリュートからの報告がないことが不思議だった。
この古参従士はマクレーン卿の文句について報告を怠ったのだろうか?
いや、どうにかして納得させたに違いない。
そうでなければリンディーとマクレーン卿は訓練に不参加の筈で、流石にその報告を怠るという事はないだろうから。
彼がどう言ってマクレーン卿を納得させたのか興味を覚えたので聞いてみた。
「いえ、気の利いた事など何一つ。私はただ“騎士団の訓練内容は全て団長閣下のご指示を元に組み立てられています”としか……」
俺としては、それだけで納得して引き下がったのかよ、と呆れるばかりだ。
確かにそれで済んだのであればいちいち報告するには当たらない。
因みに古参従士の言葉は「文句があるなら直接団長に言え」と言うのと等しい。
これは、この古参従士が詳細な説明を放棄したという事とは異なる。
少なくとも、伯爵位を得る際に受けた王国騎士団での教育では「騎士団で行われる教育や訓練については、責任者である騎士団長の承認を得るべきである」というものがある。
ザーム公爵騎士団で将来を嘱望されているマクレーン卿がそれを知らなかったというのは考え難い。
従って、知っていて尚不満があった、と解釈するのが一般的だろう。
彼が言う理屈もこのご時世のオースでは当然のものだし。
まぁ、マクレーン卿も軍人なら上に言われた事、指示された事は素直にやるべきだと思ったのかも知れん。
やる理由について納得が行くまでやらない、という糞みたいな人格じゃなくて良かった。
そんな奴、そもそも郷士騎士団にもいないだろうけど。
今回はプロットの都合上ちょっと短くて申し訳ありません。




