第二百五十四話 夫唱婦随
7450年12月8日
「よし、こんなもんでいいだろ……」
アルはそう呟くと立ち上がって右肩をぐるぐると回した。
直前まで発射薬を詰め終わった薬莢に一発一発弾頭を嵌め込んでいたのだ。
非常に神経を使う繊細な作業で凝り固まった肩をほぐしながら、深く長い溜め息を吐いている。
「流石に……久々だと疲れますね……っと」
スコンと木槌で鉄板を叩き、一〇発もの弾頭を同時に薬莢に叩き込むと完成した弾丸を木箱に詰めて、トリスも立ち上がって腰を伸ばした。
なお、自ら久々だと言っておきながらも固有技能を使用中のトリスは、治具さえ準備できていれば僅か一分間という短時間で一〇〇発もの弾頭を薬莢に嵌める事が出来るので、作業の能率はアルなど足元にも及ばない程に高い。
「ああ、手伝ってもらって助かった。ありがとうな」
礼を言ったアルは作業場の片隅にある机の上に載せていた水差しに手を翳す。
掌がぼうっと青い魔術光を発するとゴロゴロとロックアイスのような氷の塊が出現し、水差しにボチャボチャと落ちていった。
「あ、すいません。いただきます」
そう言ってトリスは木のカップを差し出した。
「おい、いま氷入れたばかりだからあんまり冷えてないぞ」
水差しの水は井戸水を汲んだものであり、そしてこのリョーグ家の井戸水はかなり美味い。
別に迷宮の中に居るわけでもないのに魔術で作り出した水など誰も飲みたくはないのだ。
「いえ、とりあえず一杯ですよ」
「そうか……ほれ」
「……ぷは。あ、でも結構冷えてますよ」
「そうか? ああ、前の氷がまだちょっと残ってたのかな?」
「そりゃもう十二月ですからね」
「ん。それもそうか……ぷは。うん、冷えてるな」
「ところでアルさん」
トリスは少し真剣な表情になっている。
「ん?」
「昨日聞いた執銃……エムイー資格って……」
「ああ」
「来年六月からって話ですけど、もう少し早くなりませんか?」
「うーん、そうしたいのは山々だけど、訓練の内容とかもうちょっと詰めたいんだよな。それに教官の都合もあるしなぁ」
「やっぱそうですか……」
「なんでだよ? 銃がなくたってお前んとこに預けてある銃までは取り上げないし、今まで通り練習も出来るだろ?」
ここでアルは手に持っていたカップに残っていた水を一息に飲み干した。
空になったカップに再び水を注ぐ。
「いえ、そういう事ではなくって、流石に俺とベルにジェルとミースも同時にとなると村の方が心配でして。三ヶ月くらい早めて貰えると、三月と六月に分ければそれなりに厳しいけどなんとかなるかなぁって……」
「……いや、お前、何も初回で全員に取らせなくたっていいだろ? エムイー訓練は来年以降もやるんだし」
アルは呆れたように言った。
「いやまぁ、俺とベルはまだ若いんで、正直言って来年以降でもいいんですけど、ジェルとミースはいい年ですし、特にミースは来年三〇になります。子供のこととか考えるとミースには早く受けさせたいんですよ」
それを聞いてアルはなるほどと思った。
アルは昨晩、トリス達からジェルとミースは来年年明けと同時に結婚すると聞いていた。
現在、夫となるジェルは三〇歳、妻になるミースは二九歳。
税金などの問題もあるので貴族の次子以降にはままあるとは言え、平民以下の人々にしてみればこれはオースではかなりの晩婚である。
なお、彼らが結婚した際の家督者はミースになるのだが、それは別にどうでもよかったらしく、アルはふーんと頷いただけだ。
実は内心では「年明けと同時に結婚されたらまたミラ師匠に会えないなぁ」と気分が沈んでしまったのだが、それを態度や表情などに表さないように気のない素振りを装うので必死だっただけなのだが。
「気持ちは解るけどな……すまんがそこはちょっとな」
「そうですか。すみません、わがままを言って」
トリスの方も、エムイー訓練の実施時期にはあまり拘りがあったようでもなく、未練は見せなかった。
「いや、いいさ。お陰さんで今日は充分に弾丸も作れたし、そろそろ戻るか」
「わかりました。でも後片付け……」
「完成した弾丸と火薬だけはケースにしまっておかなきゃならんが、それ以外は放っておいていい。リョーグたちにやらせるから」
「いいんですか?」
今までトリスが参加していた弾丸作成の際には後片付けまでしっかりとやってから作業場を後にしていたため、トリスは不審そうに尋ねる。
「いい。火薬作りはともかく、弾丸の組み立てについてはそろそろあいつらにも関わって貰いたいと考えていたんだ。まず最初は後片付けなんかをさせて部品なんかに対して慣れさせて行かせないといけないしな」
「はぁ、ならいいですけど……」
二人で弾丸が詰まった弾薬ケースを倉庫の隅に運んで並べると、一〇〇発入りのケースで五〇個以上もあった。
また、無煙火薬は小分けにした瓶(一瓶で約百発分の発射薬に相当する)で二〇〇以上も作成できている。
それを鉄板で間仕切りをした金属製の鍵付きの箱に入れて、作業場の隣に掘られた地下倉庫へと慎重に運び入れる。
「……ふぅ。結構作れましたね」
「ああ。ギリギリ日が残ってるな。暗くならないうちに帰るとするか……おーい、ダイアン! ルーク! ちょっと来てくれ!」
アルは忠実な従士夫妻に作業場の後片付けを頼むとトリスを伴って家路に就いた。
・・・・・・・・・
「あー、いいお湯でした!」
アルと一緒に入浴を終え、持ってきた着替えに袖を通しながらトリスが言った。
彼ら夫婦がアルの邸宅に入ったのは実はこれが初めてである。
今まで何度かべグリッツに来たことはあったが、宿泊は全てサンクラットという宿に投宿していたのだ。
今回はアルは「これからの騎士団にとって重要な者たちを泊める」と家令を押し切って宿泊させた。
本音は生まれたばかりのアルソンのお披露目もあったのだが、家令のパトリシアはそこまで見抜いてしまったために頷かざるを得なかったのであった。
「なんつーか、その、昨日も入れてもらっておいてなんですが、やっぱ風呂はでかい方がいいですね!」
トリスも家に風呂は作っていた。
だがそれは大き目のワイン樽に魔法でお湯を満たしただけのものだ。
お湯を継ぎ足すことが出来るだけで追い焚きもできないから、ドラム缶風呂よりも酷い。
勿論、入ればなかなかの気持ち良さではあるのだが、やはり風呂の中で好きに手足を伸ばせる開放感は得られないし、お湯の絶対量が少ないのであっという間にぬるくなってしまう。
ゴムホースの栓を抜けばすぐにタンクから熱いお湯が供給されるアルの風呂とは似て非なるものである。
「ああ、最高だろ? これ実は自慢なんだよね」
「そりゃそうでしょう。ラルやグィネが羨ましいですよ」
「え? なんで?」
「だって、入れてあげてるんじゃ……違うんですか?」
「そりゃそうだよ。だってあいつら訓練従士だしな」
騎士団の訓練従士は基本的に外泊は許されない。
約半数の志願制の従士のように有事の際の即応が求められるという側面もあるが、何より騎士になるための教育期間中という側面も強いためだ。
訓練従士の外泊は、名目上アルの警護隊長という任もあるズールーなどごく一部の特例のみが許可されているだけだ。
勿論、警護隊員であるルビーやジェス、マール、リンビー、ベン、エリーなどもそのごく一部に入るのだが、彼らは特段に別命でもない限りは最近は騎士団の宿舎で起居することが多い。
家賃はともかく、食事が無料であることが魅力なのだろう。
「えーっ、って事は俺も騎士団に入ると騎士になるまで外泊は……?」
「そら当然だめだろうな」
「例外は?」
「なくはないが、実質俺の戦闘奴隷だけだな」
「そうですか……ところでウチの奴隷頭のビルサインは騎士の叙任済みなんですが、騎士団に入れたとしたら扱いはどうなるんですか?」
首にかけたタオルで顔の汗を拭いながらトリスが尋ねた。
アルは食堂へと歩き出しながら「入団テストで認められたら騎士として迎え入れることも出来るが……お前が聞きたいのはそうじゃないんだろう?」と答える。
「そうですね。アルさんがカームさんやビンスさんとこに貸し出してるヘンリーやメックが帰ってきたらどうするんですか?って感じですかね」
「うん。戦技なんかはともかく、基礎教養が足りないから訓練従士で座学くらいはやらせるだろうな」
「あ、やっぱそういうのもアリなんですね」
廊下ですれ違った家令のパトリシアは二人揃ってタオルを首に掛け、浴衣のような着流し風の着物を着崩して身につけた姿を見て眉を顰めたが、何も言わずに立ち止まって頭を下げている。
そもそも、彼女にしてみれば家の中とは言え、簡易な履物も履かないまま裸足でうろつくアルの行儀の悪さには予てから閉口していた。
「だな。と言うか、そうせざるを得ん、という感じだな」
「じゃあ、ウチにいる他の奴隷達を騎士団に入れるのってどうですかね?」
食堂には既に入浴を終えたミヅチとアルソン、ベルが二人を待っていた。
「来年三月の頭に行われる予定の訓練従士の入団試験に合格するか、志願従士としてなら体力測定くらいで四月からの入団が可能だな」
自ら椅子を引いてアルは食卓に就く。
あまり給仕付きの食事を好まないアルは、滅多にメイド達に給仕を命じない。
「そうですか……まぁ、あいつらはいいか、結構馴染んじゃってるし」
トリスも自ら椅子を引いて着席しながら言った。
「何の話?」
アルが呼び鈴を鳴らしてギベルティを呼んだ隙にベルがトリスに訊く。
「ウチの奴隷達を騎士団に入れられるかって話」
「ああ……でもそんな事今話さなくても……ねぇ、ミヅチさん」
ベルは少し呆れたような口調で答え、アルソンを抱いたミヅチに相槌を求めた。
「そうね。これから美味しいご飯なのにねぇ……あら? 少しおねむになっちゃったかな? もう少し頑張ろうね」
ミヅチは肩を竦めて答え、アルソンをあやしている。
そんな彼女とアルソンをトリスとベルは少しばかり羨ましそうに見つめた。
ガルへ村に封ぜられて以来、彼らもそれまで以上に子作りに励んでいたのだが、未だベルは妊娠に至っていないのがここ最近の二人の共通の悩みの種なのだ。
尤も、昨日ミヅチの出産を知り、実際にアルとミヅチの間に生まれたアルソンを見てからは更に頑張ろうと気を張り直した。
流石に他人、しかも己が仕えるアルの家で行為に及ぶ度胸はなかったようではあるが。
アルは真新しいコックコートらしきものを着込んでやってきたギベルティに、配膳の開始とアペリティフとなる飲み物や前菜の指示をしている。
トリスとベルは意外すぎるギベルティの格好に目を丸くし、さっきまで話していた騎士団の事などすっかり忘れてしまった。
「結構似合ってるな」
「高いね」
ギベルティの被るコック帽子は高さが三〇cm以上もあるように見えた。
「一応、ウチの料理長って事でアルが作らせたのよ」
日本などでは一般的にコック帽の高さは厨房での地位に比例する。
一流ホテルやレストランなどの料理長クラスはギベルティよりも高いコック帽を被ることも珍しくはない、と言うより当たり前だ。
暫くは和気藹々とした会話がなされ、遂にギベルティが食前酒と前菜を運んできた。
「あら『雲丹』? また食べられるのは嬉しい。私『雲丹』大好き!」
「やっぱアルさんとこの飯は最こ……え? これは!?」
二人は皿の上に盛り付けられたオレンジ色のウニを見て歓声を上げる。
が、一緒に並べられたものを見て揃って目を見開いた。
「ああ、『海苔』を作ってみた。『山葵』もないし、『醤油』じゃなくて相変わらずの『煎り酒』もどきしかないから、あれだけどな。塩をちょっと振るとこれでも結構イケんだよ」
「まぁ食べてみて。『海苔』に『雲丹』を乗せて、ちょっと塩を振って、包んで『煎り酒』に、ね? あと今日のメインは子牛のヒレステーキとボターゴのパスタだから」
聞き慣れない言葉は聞き流し、トリスとベルは早速海苔を口に入れた。
勿論、ウニは乗せず、海苔だけだ。
「あ……」
「これ……」
パリッという心地よい音が脳天まで響き、二人は陶然とした。
当たり前だが、海苔の出来はあまり良くない。
厚みも一定とは言い難いし、場合によってはところどころ穴も空いている。
そして、味も工場で大量生産され、機械乾燥させたものにすら及ばないであろう。
だが、懐かしい磯の風味はそういった欠点を全て覆い隠してしまったようだ。
・・・・・・・・・
そしてメインのステーキやからすみのパスタが供され、デザートとなる香草で爽やかな香りをつけたバニラなしのアイスクリームが食卓に並んだ頃。
「アルさん。来年三月の訓練従士の入団テストにはビルサインを出しますのでテストしてやってください」
と、トリスが頭を下げた。
アルは「わかった」と頷く。
「それから、六月のエムイー訓練ですが……」
トリスはちらりとベルに目をやるがすぐに視線をアルに戻して言葉を継ぐ。
ベルは少し厳しい目つきをしてトリスを見た。
「……ガルへ村からは妊娠していなければベルとミースを出します。もしも彼女らが妊娠していたらベルの代わりは私。ミースの代わりにはジェルをお願いします」
「え? ちょっとトリス」
「お前は黙っていろ」
トリスは厳しい声音で妻を窘める。
アルとミヅチはその様子に思わず顔を見合わせた。
「でも……」
それでも何かを言いたそうなベルにトリスは「もう決めたことだ。今のガルへ村から俺とお前が三ヶ月も同時に外す訳にはいかない。焦るんじゃない」ときっぱりと言い切る。
その言葉を受け入れたのか、はたまた滅多に見せないような強い口調と雰囲気に押し切られたのか、ベルは少し目を潤ませながら頷いた。
そんな妻を見つめたトリスは「解るだろう?」と今度は優しく諭すように言った。
トリスは弾頭を嵌め込む作業のとき、薬莢を円のように10個並べて同様に円環状に穴を掘った鉄板に弾頭を突っ込んで(鉄板の穴には薄いゴムが塗ってあります)薬莢の上に合わせ、一発で中心点を叩いて全ての弾頭を同時に薬莢に嵌め込む事ができます。
MPの回復時間中などに予め用意していた沢山の鉄板に弾頭を突っ込んでからスケールの固有技能を使い、有効時間である1分間は次々とそれぞれ鉄板の中心点を叩くだけにして、MPを有効に使っています。
したがって文中の表現である1分間に100発というのは少し大げさで、実際には固有技能使用中の1分間プラス回復時間の5分間(この時間で鉄板に弾頭を嵌め込むなどの作業をしています)の6分間で100発、というのが正確なところです。
なお、当然ですがアルは一発ずつしか出来ませんので6分間で7~8発くらい出来れば上等と言えるでしょう。
これは、アルは薬莢に収める火薬の量などについても一発一発秤で量らなければならないのに対し、トリスは一〇〇発分の量を一度量り、以降はそれを百分割(固有技能使用中のトリスはスプーン一掬いで正確に百分の一や九九分の一の量を掬えます)するだけで済むことも大きいです。
まぁ、実際にはトリスがアルの分の火薬も掬ってあげてるんでしょうけれど。




