第二百五十二話 集結
7450年11月26日
デーバス王国ストールズ公爵領、ラーライル村。
金杯の称号を持つ筆頭宮廷魔術師、ロボトニー伯爵は村の中心地にほど近い場所に建つ領主の館の前まで来ると、おもむろに馬車を降りた。
先触れはもう何日も前に、この日この時に伯爵が到着することを告げている。
それを受け、領主の館の門のあたりには何人もが彼の到着を待っていた。
伯爵はそこそこ上等な革製のコートの下に綺麗に洗濯された服を着ているが、それらの材質やデザインは着ている者が王国の重鎮、宮内大臣を務める者だとは思えない程に粗末なものである。
流石にみすぼらしい、とまでは言えないが、贔屓目に見てもせいぜいが田舎貴族の旅装程度の品質であった。
馬車を降りた伯爵の前には、ラーライル村を治めている准男爵とその息子で従士長を務めている士爵が進み出て跪いた。
彼らの服装は伯爵のそれとは異なって相応より少し上等なもので、この日のために精一杯おめかしをした感じが伝わってくる。
「伯爵閣下、このラーライル村を治めておりますユージーン・コーロイルと申します」
「私は従士長のタークッド・コーロイルと申します。以降お見知りおきを」
頭を垂れる二人に対し、伯爵は鷹揚に返事をする。
「委細につきましてはストールズ公爵閣下より既にご連絡を頂いております。村の広場は二百人以上が野営可能な状態に保っております。ですが、閣下に於かれましてはどうか我が家にご滞在頂けますと……」
「いや、准男爵。ご厚意は誠にありがたいが……すまんが今回は遠慮させて頂きたい」
跪いたまま申し出る准男爵に伯爵は心の底から申し訳無さそうな顔と声音で答えた。
デーバス王国に限らず、高位の貴族が家に宿泊する事は一般的に誉れとされているのだ。
そのため、誘いを無下にしようとすることへの詫びの言葉であった。
「し、しかし……」
「私も皆のように広場で天幕を張るつもりだ。一緒に赴く者共とはお互いによく交流しておきたいからな。准男爵らのご厚意を断って申し訳ないが、出発予定日まであまり時間もないゆえな。どうか許して欲しい」
伯爵は高圧的にならないように留意しながら丁寧に侘びた。
その言葉に、伯爵の前で跪いている二人はそっと視線を絡ませた。
微妙な動きでも頭の上に長い耳を備えた兎人族だと、こういったことは多少の注意深さがあれば誰が見ても判ってしまう。
「……あの、伯爵閣下。お言葉ですが、まだ閣下以外のどなたもご到着されておられませんが……」
視線での話し合いの結果か、遠慮がちに申し出た若い士爵の言葉にロボトニー伯爵は目を剥いた。
「は? 何を……? え? 一人も?」
驚きのあまり半ば呆然としたように声を出す伯爵に、准男爵も士爵も揃って頷く。
「我がラーライルは未だ発展途上にある土地で然程規模は大きくございません。村についての把握は容易いのです」
准男爵が言う通り、ラーライルという地の規模は然程大きなものではない。
普通の村よりは少し大き目であるが、とても街と呼べる規模ではない。
この近辺の土地では歴史も古いので領主は准男爵という地位についているだけの村だった。
「つまり私以外まだぼう、いや傭兵共は誰も来ていない、と?」
「はい、仰る通りでございます」
准男爵の返答に、伯爵は二の句が告げなかった。
なにせ、出発予定日は十日後の来月五日の予定なのだ。
勿論、集合日は今日ということになっている。
伯爵が声を掛け、作戦への参加を表明してくれた冒険者は一二パーティー、延べ一〇四人にも上るのだが、そのうちの一人も未だにラーライル村に来ていないとは想像の埒外であったのである。
一応、出発までの護衛兼側仕えとして伯爵家に仕える騎士を二人伴ってはいたし、荷運び用の一頭引きの小型馬車も十輌とその御者役の騎士、そして伯爵子飼いの連絡員が数名もいるのでたった一人きり、という訳ではないが……。
「そ、そうか。では今夜はコーロイル准男爵の饗応をお受けさせて頂きたい」
そう言って伯爵は頭を下げた。
・・・・・・・・・
7450年12月3日
ロボトニー伯爵はラーライル村の広場に張られた天幕で襲撃地点などの情報を持ってきた闇精人族の戦士と地図を前に打ち合わせをしていた。
勿論、作戦の詳細については伯爵のみの頭の中にあり、傭兵として雇った冒険者は疎かラーライル村を治める貴族にも「ロンベルト王国に対する後方撹乱任務である」としか告げていない。
そして今、天幕の外から護衛の騎士によって遠慮した声で新たな冒険者の一団の到着が告げられたところである。
――やっと来たか。
それを聞いた伯爵は立ち上がってダークエルフの戦士に中断を詫びると天幕から出た。
ここ何日かで伯爵は冒険者、特に迷宮冒険者という者共の習性についてかなり正確に把握していた。
特に目立つのは一般の冒険者からは考えられないほどに日程についてゆるゆるであることだ。
一般の冒険者はなんらかの依頼を請けることで生活の糧にしているためか、時刻は別にして日程については結構几帳面に守ろうとする。
そうでないと護衛対象は出発してしまうかも知れないし、期限付きの依頼であれば依頼失敗で収入ゼロなどという事態さえあるからだ。
また、そういったことを繰り返せば当然評判は落ち、行政府などで依頼を受ける際にも支障が出かねない。
対して迷宮冒険者は誰かの依頼を請けるという事自体が少ない。
場合によっては正規の依頼など一回も請けた事がない、という者すら珍しくない。
迷宮に潜る際も、基本的には食料などの需品が尽きるか誰かが大怪我を負うなど戦力維持が難しくなるまで迷宮内で探索に明け暮れ続けるだけなので、迷宮に潜る際も知り合いなどに「○日で帰る予定だ」と伝えれば上等な部類である。
そして、その予定も非常にアバウトであり、首尾よく有望な鉱脈などを発見できれば持ってきた食料などは限界まで食い延ばして少しでも長く迷宮に留まろうとする。
従って、迷宮冒険者にはカレンダーなど意識する者は少ない。
今回も一流どころとされている冒険者パーティーでさえ「集結予定なんかどうでもいい。結局は出発日までに集まればいいんだろう?」という意識が垣間見えていたし、酷いのになるとベンケリシュからラーライルまで別口の護衛依頼を請け、そのせいで集結予定日に間に合わなかったが、そもそも集結予定日に間に合わねばペナルティがあるなど聞いていないと堂々と言う始末であった。
勿論、中にはちゃんと伯爵が到着した日に来た者も居たが、それは僅か二つのパーティーのみであり、大部分は数日遅れで到着したのだ。
「あ~、これはロボトニー伯爵閣下。遅くなって申し訳ない」
伯爵を前にして、最後に合流した一団も少しも悪びれたところなく言った。
嫌味を言ったり叱責をしたところで何も響かないと学習している伯爵は「ご苦労。そなたらの出発日まで戦闘訓練だけは怠らないように」とだけ告げると再び天幕に足を向けた。
天幕の中ではダークエルフがやれやれという顔でお茶を口にしていた。
そしてこの日の夕方。
王都から伯爵に一つの荷物が届いた。
全員が騎乗した騎士である軍の一個小隊に護衛された荷物には厳重な封がなされ、また一通の手紙が添えられていた。
手紙の主は伯爵の本家であるダンテス公爵本人である。
一人手紙に目を通した伯爵は興奮の表情を浮かべたり、腕を組んで唸り声を上げたりしていたが、遂にそっと荷物の梱包を解くと中身を手に取り、ランタンの光を透かすように見た。
「これが例の……」
“それ”は子供の拳程度の水晶球で、どうやって磨いたのか想像すら出来ない程に滑らかな表面と、真球かと見紛うばかりの形状には惚れ惚れとするのみである。
「ふ……む……なるほど……」
脳内に流れ込む使用法に、確かに魔法の品であることを理解し、同時に水晶球から感じる魔力の質に僅かな畏れも抱く。
だが、伯爵もデーバス王国にその人ありと謳われる程の魔術師である。
「ま。伝承の通り物騒な代物ではあるようだが、貴重な物であるのは確か。閣下の仰る通り最後の手段であろうな、これは……」
そう呟くと再び水晶球を見つめた。
彼も過去の使用者がどういう末路を辿ったかについての知識は持っているのだ。
暫くの間、水晶球を見つめていた伯爵だが、飽きたのか元々水晶球を包んでいた天鵞絨のような上質な布で作られた小さな巾着袋に慎重な手付きで戻し、いつも腰に付けている物入れに収納した。
「……明後日には第一陣を出発させねばな。さて、最初はどのパーティーから送り出してやるべきか……」
小机に片肘を突きながらその拳に頬を当て、伯爵は独り言ちた。
――やはり最初は比較的実力の低い者共であろう……。案内のダークエルフも同行するからそうそうないとは思うが、万一ロンベルト側に捕捉されたら徒に戦力を失うことに繋がる。提示された移動ルートが本当に安全かどうかなど知れたものではない。
拳に頬を乗せたまま、反対の手をお茶のカップに伸ばす。
――それを確認するためにも最初は失っても痛くない者共にすべきだろう。……ふむ、あやつらが適任であろうな。
伯爵が思い浮かべたのは、今回招集した中でも一番の若手冒険者のパーティーだ。
帯同させる荷運びの馬車についても御者(伯爵の騎士である事は冒険者達には隠しており、田舎の平民を装ったステータスに書き換えさせている)も連れてきた中では一番実力の低い者を選ぶことにした。
なお、彼らに帯同させる者は他にも数人居り、その全員が伯爵家に仕えている連絡員である。
彼らは国境を越える際やチェックポイントとなる地点を越える際に第一陣と別れ、ルートの安全を伝える役目を負っているのだ。
・・・・・・・・・
同日。
べグリッツ。
アルは屋敷の居間でミヅチやアルソンらと夕食後のお茶を愉しんでいた。
「ん~、貴方が良いと思うなら良いんじゃない? 私には反対する気持ちはないわ。確かにあの人って……優秀よね」
アルソンをあやしながらミヅチが言った。
「だよな。あいつ、あんな顔してるけどやっぱ優秀だわ……」
彼らが話題にしている人物は昨年末に行政府の役人となったハリタイドである。
この一年程で彼の優秀さは行政府内でもすっかりと知れ渡っていた。
任されていた会計や収税は当然として、アルを主催者として開催した大市についても周辺各領地を本拠とするある程度以上の規模の商会に軒並み声を掛けたばかりでなく、自前の商店を持たないような零細商会である行商人までも巧みに使ってビラを撒くなどして精力的に参加者を集めていた。
お陰で大市は大盛況で終わり、参加した商人達は市の規模が大きければ大きい程商機が増す事も理解できたようだ。
当然だが、ロンベルト王国の辺境の地であるダート地方やその周辺でも今迄に市が立たなかった訳ではない。
が、その全ては開催地である都市の商会に加え、僅かな他領の商会という形で行われていた為に、基本的には市に参加した商会が、主にその都市や周辺地域の消費者となる住人達に手持ちの商品を販売する、合同販売会の域を出なかったのである。
勿論、市において仕入れを行う商人もいるが、顧客全体の割合から考えると少数であった。
王都など、本当に人口の多い大都市では商人同士の商いが売上の大半を占める大市が定期的に開催されるなど一般的ではあるのだが、辺境の地にはまだまだ浸透していない。
周辺各地の有力な商人を集めての大市など税の問題もあってなかなか開催しにくかったという実情もあったが、ハリタイドはそれらについて体に似合わない身軽さを発揮して動き回り、関係各所に働きかけるなど解決を図っていた。
アルも彼が最初に結構なマイナス予算を計上してきたことについては驚いたが、同時に今後の為の投資という概念についてハリタイドがよく理解しており、来年には確実に黒字が見込まれるなどの説得を受けた事で開催の許可を出したのだ。
この地方では初開催となった大市だが、ハリタイドは運営責任者としてその運営も滞りなく行っていた。
これは地方の娼館とは言え、彼一代で大店にまで成長させた商売人としての腕は本物であったとの証明でもある。
アルとしては大市の開催は未だ西ダートの地でしか開通していない鉄道路線が他領まで伸びて以降の開催を予定していたのだが、前倒しでの開催を認めたのは彼の多大な熱意によるところも大きかった。
「いずれは土地を任せても面白いだろうな……ま、とりあえずは領地なしの政治士爵ってとこか」
「そうね。正直言って、今の行政府で能力的に彼と張り合えるのはインセンガ事務官長くらいじゃない?」
「確かにな……」
アルは明日にでもハリタイドに正式な爵位を与える内示をしようと考えた。
なお、貴族は政治貴族だろうがなんだろうが、家紋を持つのが当然であり、義務でもある。
それについてアルは完全に失念しており、従って本人に注意する(注文をつける)事はなかった。
当然ながらハリタイドは、成長が頭打ちだった頃の彼の娼館を再び躍進させた品を象ったものを新生士爵家であるハリタイド家の紋とし、アルに苦い顔をさせるのだがそれはまた別の話である。




