第二百四十一話 長子命名
7450年10月22日
俺が抱く前から赤ん坊は大声を上げて泣いている。
泣き加減によってはしわくちゃの猿顔が更に歪んでナンジャこいつは、というような顔になるがそれすらも愛おしく、可愛らしく感じられる。
しかし、この子も生まれ出ることで体力を減らしているだろうから泣き止んで欲し……それどころじゃねぇ!
俺の経験上、赤ん坊は臍帯を切除された痛みもあって泣いているのだ。
確か……多分。
……だったよね?
仮に違っていたとしてもどうでもいい。
腹に切創を負っているのは確かなんだから。
「おい、もう治癒魔術を掛けてもいいか?」
ミヅチの股間を拭いてくれている産婆に声を掛けた。
「ええ。最初はお子さんのお腹に、それから奥様にもお願いします」
そっと赤ん坊をミヅチに返すと、その体を包んでいたタオルを丁寧に剥がし、臍をむき出しにする。
切断された臍帯の跡から薄っすらと滲むように出血が続いている。
直接患部に触れることは憚られたので臍のそばに指先を当ててキュアーオールを三発。
すると、今の今までびーびーと泣き声を上げていたのにピタリと泣き止んだ。
あれ? お腹痛かったのに、何で?
という感じだ。
ふふん。お前を治してやったんだ。
「赤ん坊の傷は臍だけだよな?」
念の為産婆に確認する。
「はい、その筈です。でも、念の為何回か掛けて……」
「一箇所だけならキュアーオールを三回も掛ければ充分だろう。次は妻にも掛けてやりたいのだが、大丈夫か?」
「え? もう三回も? まだ大丈夫でしたらお願いします」
「わかった」
はだけたタオルを赤ん坊に掛けてやり、それを抱くミヅチの手に触れる。
今の俺はとんでもなくハイになっているから魔力が切れるまでだって掛け続けてやれるさ。
ミヅチがもういいと言うまでキュアーオールを掛け続けてやる。
「んあっ!?」
最初のキュアーオールを掛けた時点でミヅチは変な声を上げてビクリと体を震わせた。
これはシャーニ義姉さんの時に経験していたので知っている。
治癒魔術によって膨張していた子宮が自然治癒力を超える速度で急に収縮したことで強烈な違和感を与えたからだ。
勿論、その際に我が子を取り落したりしても大丈夫なように片手を子供の背に当てていたが、ミヅチは子供を取り落とすようなヘマはしなかった。
「あうっ!?」
次は出産で剥離した胎盤跡が修復されたからだろう。
それとも産道が収縮したからか。
シャーニ義姉さんはくすぐったいと言って笑っていた。
「……んっ……あっ……ふっ……もう大丈夫みたい。ありがと」
何回も掛けてやって痛みが引いたからか、ミヅチは笑顔を向けてくれた。
俺も手の甲で額に浮かんだ汗を拭いながら微笑みを返す。
格好つけてなんぼでも治癒魔術を掛けてやるだなんて意気込んではいたが……流石にやばいね、これ。
視線を絡ませたのはほんのひと時で、二人共すぐに赤ん坊へと目を向けた。
赤ん坊はミヅチの手の中ですやすやと眠っていた。
・・・・・・・・・
出産による傷(?)は治したとは言え、体力までは回復できない。
そのためにミヅチと息子とは僅かに数分間触れ合っただけで、産婆たちやメイドたちに部屋から追い出された。
そして、バルトロメはグアイレとラセルナの下男ズにもズールーやギベルティへの連絡に走らせた。
ミヅチや赤ん坊を寝かせたまま運べるストレッチャーのようなベッドを作らなかったのは痛恨の極みだが、もともとバルトロメなどから一晩も眠れば自力での移動も出来るようになるからと聞いて、それならわざわざ作る必要もないだろうと判断したのは俺だ。
ふと気がつくと夜も明けていて、既にお日様も顔を覗かせている。
ミヅチ程ではないが俺も疲れてはいるんだし、今日はもう大人しく眠ろうと思ったがどうにも暫くは寝付けそうにはなかった。
それに、腹も減っている。
昨日からポリッジにスープくらいしか腹に入れてないし、多少は眠れているからもうそろそろ何か固形物を食べても大丈夫だろう。
とは言え、初めての子が生まれたのだ。
折角だし一人で食うのも味気がないというものである。
ミヅチの護衛に付いていてくれたダークエルフたちと居間で軽食でも摂ろうと思って彼女らが待機している客間に足を向けた。
ギベルティももうすぐ来るだろうし、どうせなら好みくらいは聞いてやってもいい。
「カルサスロスさん、ちょっといいですか?」
声を掛けながらノックをすると、すぐに扉が開かれた。
部屋にいるのは護衛隊長のマリーナ・カルサスロスさんとリヅィー・タンスリエンという若手の三位戦士の二人だった。
二人の女戦士は体の線が浮き出るようにピッタリとフィットしたレザーコルセットアーマーに身を包んでいるばかりか、腰には剣も佩いた完全武装だ。
「これは、伯爵閣下。ご無事にお生まれになりましたようで、お慶びを申し上げます」
そう言って微笑んでくれた。
「ありがとうございます」
俺も微笑みを返す。
「それで、お子は? どちらでしたか?」
これは性別を尋ねているのだろうが、まだウチの人間は誰も教えてやっていなかったのか。
「お陰様で家内も心安らかに出産に臨めたようで、息子も五体満足で元気に生まれてくれました。お二方、それから護衛してくださった他の皆様にも心から御礼申し上げます」
息子だと報告するとカルサスロスさんは我が事のように嬉しそうに微笑んでくれた。
「それで、その……祝杯を上げようと思ったのですが、家人は皆妻や息子にひっついておりますし、ちょっとお付き合い願えないかと……」
「えーっと、そのぅ、お誘いは非常に有り難いのですが、我らは奥様の……とお世継ぎの護衛をせねばなりません」
分娩室周辺にはメイドや産婆がうろついてるんだから護衛なんか必要ないと言っても駄目だった。
だが、息子の誕生について心から祝福してくれている様子は伝わってきた。
そうこうしているうちにギベルティが駆け込んで来た。
「おっ、おめでとう御座います、ご主人様!」
「うん。腹減ったから何か作ってくれ。肉がいいな。あと早く出来るやつにしてくれ」
数分でバルドゥッキーが出てきたのでワインと一緒に流し込む。
あっという間に眠くなったのは覚えている。
・・・・・・・・・
「ませ……様……お屋形様、お目覚めくださいませ」
女中のテフラコリンに起こされた。
いい加減に見慣れちゃあいるが、鎧戸を締め切って薄暗くした寝室で起きて最初に目に入るのが髭面の女ドワーフの顔ってのは……声が妙齢の女性なだけにどうもね。
「どうしたぁ……?」
っつか、今何時よ?
もう少し寝かせ……ミヅチか息子の身に何かあった!?
跳ね起きた。
昨夜、騎士団で起きた時に着た鎧下のままだった。
「あ。奥様がお呼びです」
テフラコリンが言い終わる前に寝室を飛び出す。
慌てて分娩室に入ったらミヅチが息子に乳をあげていた。
「あ、おはよう」
ミヅチは笑いながら言う。
「ん。もうおはようって時間じゃないな。どうかしたか? 治癒魔術か?」
「それは大丈夫。この子も起きたから顔が見たいかなと思って」
「おう、そうか。抱かせて……」
「今おっぱい飲んでるからもうちょっと待って」
「ああ」
抱くのは無理だが撫でるくらいは大丈夫だろう。
ミヅチの胸に吸い付いている息子の頭に手を伸ばし、そっと撫でた。
息子の頭は焦げ茶色をしたにこ毛のような薄い毛が生えている。
心地が良い。
「目の色は?」
「まだ開いてないわ」
「そうか」
ベッドの上に乗り出して息子の顔を見てみると、相変わらずのサル顔で皮膚の色のせいか血色も悪く見える。
「……」
「……」
暫くの間、二人で息子が乳を吸うところを眺めていた。
「名前」
「え?」
「この子の名前。決めてくれた?」
「ああ」
名前についてはミヅチの妊娠が判明した頃から二人で話し合ってきた。
男の子なら「アルソン」「カイラン」「ミナト」。
女の子なら「アリーヤ」「ソフィア」「ミオ」。
俺の知る限りオースではミドルネームは一般的ではない。
一部、いないことはないがごく少数に留まっている。
「やっぱり俺の子だしな。アルソンに決めた。今日からお前はアルソン。アルソン・グリードだ」
そう言ってまた息子の頭をそっと撫でた。
「そう。良かったわね。名前を貰えたよ、アルソン」
ミヅチがアルソンを抱き直した拍子にアルソンはげっぷをし、口元から乳が溢れた。
「あら、お腹が一杯になったかな? ん?」
腕の中のアルソンに笑い掛けるミヅチは、もうすっかり母親の顔になっている。
俺も微笑みながら傍にあったタオルでアルソンの口の周りを優し~く拭いてやった。
ミヅチの乳首からはまだ染み出すように白い乳が出ている。
ごくり。
思わず唾を飲み込む。
そう。
一度くらい乳を飲んでみたい。
そう思った事がある人は多いと思う。
……確か、お袋の乳はうっすいミルクみたいな感じで、決して美味いものではなかったと思うが、もうよく覚えていない。
「どうしたの?」
動きを止めてしまった俺を見て、ミヅチが不思議そうに聞いた。
「あ、いや。まだ乳が……どうしたら?」
「ああ。タオル貸して」
言われるがままに手を伸ばすミヅチにタオルを渡すと、ミヅチは片手で器用に折りたたむとタオルを胸に当てて着物の前を閉じてしまう。
なんとなく、本当になんとな~くだけど小さな未練を感じてしまった。
そういえば、アルソンを妊娠してお腹が大きくなったころからミヅチの乳首の色は若干濃くなり、乳輪も少し大きくなっていた、気がする。
いつだったか、風呂の中で「だんだんお腹が大きくなるたびに赤ちゃんを生む準備が進んでる気がする」とか言っていたっけ。
そうだ。あれはもう俺が独占出来るものではなくなったのだ……。
それに、もしも俺がミヅチの乳を口にすることでアルソンの分が減ってしまったらことだし……。
「うあああぁぁ~~っ!」
アルソンが泣き声を上げてむずかる。
「おお、よしよし……眠くなったのかな?」
ミヅチはアルソンの背中をぽんぽんと叩きながら少し揺らした。
「あ、そういえば」
「ん?」
「この子、多分ラグダリオス語も『日本語』もわからないと思うよ」
「へ?」
急に何を?
「いや、ほら、私達『転生者』の間に生まれた子だし、あなたに鑑ては貰ったけれども一応は確認しとかないとと思って……」
ミヅチは照れくさそうに言った。
そう言えば、以前、もし生まれてきた子が転生者だったなら、とか冗談で話し合った事もある。
リルスからは「今の転生者が皆死ぬまでは新しい転生者は生まれない」とは聞いていて、一応は信じられるとは考えていた(これについては、俺には固有技能を見ることが出来る鑑定もあるし、嘘を言ったところであまり意味はないと思われたから、という理由もある)ので本当に冗談のようなものだ。
そもそも、俺の子が俺みたいなおっさんとか本当に止して欲しい。
いや、若いかも知れないけれど、それはそれでなんか嫌だ。
当時、改めて考えてみて両親には申し訳ないなぁと思ったものだ。
特に親父に。
自分の女房の乳房をどこの誰とも知らない、当時自分よりも年上のおっさんに吸われていたのだから、本当に申し訳ない以外の言葉が出てこない。
ついでに、本物のアレイン・グリードの精神はどうなったのだろうとか、どうしようもない事まで話していた。
尤もこれについては「丁度出産と死産が重なった子供に転生させたのでは?」とミヅチが言ったので、俺もそう思うことにしたんだ。
まぁ、真実がどうだったかなんて知ったところでそれこそ本当にどうしようもないんだけど。
「そうか。でも正直なところ『転生者』かどうかなんて些細な問題だよ。『転生者』であろうが、そうでない普通の子供であろうが、俺は……無事に生まれてくれただけで嬉しい」
喋っている途中で真剣な表情になりながら答えた。
でも最後はふにゃっとした顔になってしまったと思う。
うん。俺とミヅチの血を引いた子なのだ。
まして健康で五体満足。
こんなに嬉しい事はないよ。
「そうね。私も嬉しい……」
そう言ってミヅチが少し強くアルソンを抱くと、アルソンは「うあ~……」と小さな声を上げて腕を動かした。
手のひらに指を伸ばすと小さな手が俺の指を握ってくれた。
ちょっと湿っぽい感じの小さな小さな手で握られた感触。
きっと一生忘れることは出来ないだろう。
「んふふ」
我ながらヤニ下がった気色の悪い声が出た。
「さて」
「ん?」
何がさて?
「もうお昼を過ぎたわ」
「ああ」
それがどうした?
腹減ったのか?
「何か食べたいもののリクエストはあるか? ギベルティに言って何か作……」
「ううん。ご飯はさっき食べたから今はいい」
「あ、そう」
「まだ想定訓練、二つ残ってるよね?」
「え?」
ま、まさか……?
「訓練に戻って。私とこの子の顔も見て名前も付けたんだし、もうあなたに出来る事はないわ」
「……は?」
いやいやいや、子供が生まれたんだぞ?
しかも、長子でお世継ぎなんだぞ!?
エムイー訓練とかやってる場合じゃ……。
「せっかく寝たのに、赤ん坊の前で大声を出させないで」
ミヅチは優しい声音で今の俺にとってあまりにご無体な宣言をした。
「でも……」
「頑張って、パパ」
パパか。
そう言われちゃあな。
のろのろと立ち上がる。
「わかったよ」
返事がエムイーじゃないと腕立て伏せを期待したのだが、そういう時間稼ぎはお見通しだったようだ。
後ろ髪を引かれる思いで屋敷を後にした。
よーし、パパ、一丁、頑張っちゃうぞ!
・・・・・・・・・
7450年10月29日
「はぁ……やっとか」
軍馬の上でヴァルモルトが呟いた。
彼が指揮する部隊はここまでかなり急いできたのだが、漸く西ダートに入り、正に今、遠くにウィードの耕作地を臨むことが出来たのだ。
彼に課せられた本来の任務はリーグル伯爵に駐屯兵力を割いて貰う交渉をする事である。
だが、割いて貰うにしてもその部隊が王国北部のフラキスという街に到着するのは来年末で良い。
超特急で急がねばならない訳ではなかった。
まして、国王に押し付けられた交渉の顧問も伴っており、その顧問の身分を考慮するとこれでも最大限に急いで来たのである。
「……!」
街道の両脇に生い茂る森の奥から何やら声がした。
――む。今のは……?
この場所は危険なダート平原からは少し距離があるものの、オークやホブゴブリンを始めとした魔物などの襲撃への用心は必須である。
同時に歩兵を帯同していない身軽さを利して部隊の進行速度を上げて振り切るべきかとも考えた。
しかし、この街道でこれ以上の速度を出せば馬車は相当に揺れる。
馬車に搭乗している顧問の事を考えるとこれ以上馬車を揺らしてしまうのは憚られた。
もう既に耕作地が見えているため、ウィードの街までは指呼の距離だ。
昨日中には先触れも到着しているであろうし、ウィードの従士隊も出迎えに来ている筈である。
「全周防御!」
そういった事もあってヴァルモルトは覚悟を決め、部隊の中心にある二両の馬車を守るように騎兵たちに命じた。
同時にヴァルモルトは一両の馬車の脇まで移動すると、魔物の襲撃かも知れず、場合によっては馬車を全速力で走らせることになるかも、と伝えた。
万が一、オークやホブゴブリンなどよりも危険な魔物の襲撃であれば揺れるのを承知で馬車を先行させれば良い。
その程度の時間稼ぎであれば王国第二騎士団長であるヴァルモルトと直属の騎士ならば問題はない。
……ドラゴンのような無茶苦茶な魔物でもない限りは。
周囲への警戒を始めて数分後。
「……げ! ……しれ!」
どうやら声の主は人間らしい。
ヴァルモルトを始めとする騎士達の肩から力が抜けた。
あまり見通しの良くない森ではあるが、数一〇m程度であれば完全とは行かなくともどんな者が近づいてきたのかは見ることが出来る。
近づいてきたのは、ゴムプロテクターに身を包み、大きな荷物を背負っている一人の兵士と騎乗している二人の騎士らしき者達だった。
二人の騎士も兵士同様のゴムプロテクターを着用している。
騎士達は道なき道をよろよろとよろめくように移動する兵士に大声で罵声を浴びせている。
「なんだ?」
「さあ?」
「犯罪者か?」
「それにしちゃあ様子が……」
そうこうしているうちに罵声を浴びせていた二名の騎士もこちらに気が付いたようで、一人が駆けてきた。
下草などがぼうぼうに生えている足場の悪そうな地面にも拘わらず、馬の姿勢は全くブレることがない。
騎士はとんでもなく高度な騎乗技術を持っているようだ。
「……そなた。バリュート士爵か?」
近づいてきた騎士の顔を見たヴァルモルト准男爵だが、驚きを隠せない。
彼の知るバリュート士爵の騎乗技術はここまで卓越してはいなかった筈だ。
リーグル伯爵の指導か訓練の賜物か。
「これは、ヴァルモルト閣下?」
街道に出たバリュートの方も騎乗したまま驚いた顔をしている。
自分達の到着について、先触れから聞いていないのであろうか?
「あ、ああ」
ヴァルモルトの返事を聞くよりも早くバリュートは後ろを振り返る。
そして、
「団長! 王国第二騎士団長ヴァルモルト准男爵です。お急ぎください!」
と声を掛けた。
彼の声を耳にした騎士は並走する兵士に「急げ!」と怒鳴った。
ヴァルモルトにはその騎士の声は女性のように聞こえ、不思議に思った。
――あの騎士がリーグル伯爵かと思ったが? まさか……?




