第二百七話 適材適所
7450年5月13日
「……という訳で、フィオさん達の方はバルザス村の従士達と一緒に周辺地域の間引きにも同行出来る様になりました」
俺の前に跪いたリンビーが、潜入させたヒーロスコル夫妻の現状について報告する。
「そうか。じゃあ、予定通り軍の方は明日出発させる。バルザス村への到着予定は……今月二〇日過ぎになる」
「はい」
「他に変わった事や気が付いたことは無いか?」
「いえ。全てご報告した通りです」
今回、リンビーはバルザス村の耕作地のうち、麻薬を栽培していると思われる畑の場所について簡単な地図を持参してきた。
勿論、調査したのは教会に潜入したヒーロスコルたちだ。
それによると栽培面積は合計して三〇aと言ったところで、大した広さはない。
その気になれば一個小隊二〇名の兵士が居ればものの一時間で破壊できる。
一本の芥子からどの程度の量の麻薬が採取可能なのかは知らないが、隠し畑なんかが無ければ教会の幹部を取り逃がすと言った最悪の事態に陥ったとしても、当分の間は今以上の蔓延は防げるだろう。
「わかった。ご苦労だったな。今日はゆっくり休め」
「あの、ご主人様」
役目を終えたリンビーを下がらせようとしたら、まだ言い足りない事があったようだ。
「ん?」
「これ、ネルさんからです。今回の仕事には関係がない事だから報告が終わったら渡してくれと……」
そう言ってリンビーは懐から名刺よりも一回り大きいくらいの木片を取り出した。
木片は薄いもので二枚一組となっている。
一枚に木炭などで文字を書き、もう一枚はそれが消えないようにするためか蓋のように重ねられて細い紐でしっかりと十字に縛られていた。
まぁ、紙は高価だし、潜んでいる山中では入手も出来ないからこれは仕方がないだろう。
リンビーの忠告を聞いて慎重に紐を解くと丁寧に木片を引き剥がした。
木片には日本語で別件の報告が書かれている。
そこに書かれていたのは、デーバス軍の一部であると思われる親衛隊には日本人がいること。
彼女が存在を確認したのは二人だけだが、もう何人かいても不思議ではないこと。
その二人は、兄弟かそれに近いような存在であると思われること。
うち一人の固有技能は、恐らくは完全に姿形を変えて他人になりすませるもの。
もう一人の方は不明。
次に会う機会があれば詳しく話したいということがごく簡単に書かれていた。
内容は驚くべきものだったが、確かに今回の仕事には関係がないと思う。
だが、こういった事は直接話をしてくれても良かったんじゃないか、と思わざるを得ない。
今までも何度か顔を合わせてるんだからさぁ。
ま、今んとこはデーバス王国にいる日本人の情報という以上の物ではない。
急いで聞かなきゃいけない話でもない。
何しろ日本人だと思われる二人組の名前すらわからないんだし。
要するに、職場がわかるよ、という程度のものだ。
とは言え、気になることは多い。
例えば、ノブフォムは何故彼らと会話をしていないのか、とか、その二人組の存在をどうやって知ることが出来たのか、などだ。
「……ま、今それを知ったところでな」
何も出来ないよねぇ。
よく考えたら、過去、ノブフォムと顔を会わせた際に報告され、詳細が聞けたとしても結局何も出来なかったと思う。
聞いたからと言ってどうなるもんでもないし。
彼女もそう考えて報告のタイミングを考慮していたのだろうか?
今なら日中の殆どは暇だろうし、限られた紙面(?)にどうやって、どれだけの情報を詰め込もうか考えることも出来るだろう。
……違うか。
文字数を増やしたければ木片を大きくしても、枚数を増やしてもいいんだし。
苦笑いが浮かび、軽い溜め息を吐く。
「リンビー。お前が戻ったら交替で一度ノブフォムを戻せ。ちょっと疲れてるのかも知れん」
「わかりました」
リンビーを下がらせた。
・・・・・・・・・
夕方。
行政府での仕事を終えた俺は、屋敷には戻らないまま食事に向かった。
行き先はベグリッツで最高級を謳われるレストラン、カムランだ。
ああ、別にカムランの料理が食べたくて行っている訳じゃない。
週に二日は行政府に務める者たちを伴って行くことにしているだけだ。
大体月曜日と水曜日に決めている。
今日はジャバ、もとい、ハリタイドとカニンガムを呼んだ。
席に着き、赤ワインを頼む。
店のボーイが今日のメインは子羊の香草焼きだと言うから赤にしたんだが、俺はオースのワインってやつはあんまり美味しく感じないんだよね。
尤も、生前から酒としてはあまり好きな部類ではなかったというのも大きいんだろうけれど。
それでも美味いかそうじゃないかくらいは判る程度には飲んでいたから、そこは信用して欲しいんだけどさ。
地球みたいにどこそこ産でなんちゃら種の葡萄を使ったホニャララというような銘柄付けが殆どされていないのが原因だろうか?
昔、バルドゥックに向かう途中で知ったんだが、例えば飲食店で使っている赤ワインの樽があるとする。
銘柄なんか付けられていない、日常使いの安いやつだ。
俺の感覚ならそれが空になってから新しい樽を開ける。
なぜなら、別の樽と混ぜるなんて以ての外だという意識が働くからねぇ。
だが、一般的な店は樽の中身が残っていてもそれに継ぎ足したりすることが多いのだ。
勿論、全部の店がそうじゃないだろうが、どちらかと言うとそういう事をする店の方が主流派なんだよねぇ、これが。
地球でもこのくらいの時代はそうだったのかも知れないけど、どうにも俺にはそれが気に入らないと言うか、何と言うか、とにかくそれを知った瞬間にオースのワイン、イコール、あんまり美味しくない物という先入観が出来上がってしまった。
ワインに限らないけど、ファーストインプレッションって怖いよね。
身だしなみや態度を含めた言葉遣い、マナーってのは本当に大切なものだ。
ん? ビールやエールの方はどうなんだって?
あっちは炭酸飲料だから混ぜた瞬間に大量の炭酸ガスが発生して噴き出したりするし、その前に栓が出来たとしても、そんなものすぐに内部の圧力で抜けるか樽自体が壊れたりするから混ぜられていないだけの話だ。
俺としてはカクテルならいざ知らず酒を混ぜるなんて、それを作った職人に対する敬意が足りないと思う。
まずい酒の話は置いておいて、話を戻そう。
「どうだ? カニンガムは?」
ジャバに尋ねた。
「流石に閣下のご紹介なだけあって、優秀です」
ジャバは少し落ち込んだような、微妙な表情で答えた。
彼が赴任してきておよそ半年。
もともと勘定は得意で、外側はともかく頭蓋骨の中身は優秀な男だったので行政府の中でもすぐに頭角を表し、誰もが近い将来の出納官長になるだろうと認めるまで大した時間は掛からなかった。
そこに飛び込んできたカニンガムは、文字通り桁違いの能力を有していた。
即座に仕事の流れを把握し、ジャバが指摘した以上の改善点を指摘し、改善法についても、より洗練された物を上げた。
更に、行政府の業務において革新的とも言える方法を提案したのだ。
尤も、そういう意味では俺もミヅチも、その事務能力においては彼女と同様に見られてはいたのだが、領主とその妻という立場もあってか、ある意味で当然とか納得できるとかいうように思われていたフシがある。
また、会計処理など余程のことでもない限り今までのやり方を廃して新たなやり方を押し付けることはしなかった。正直に言うと、覚えねば、やらねばならない事が多すぎてそこまでは手が回らなかった。
つまり、複式簿記など金の流れに対する俺の理解度を高めるのに必要な事や、収税を楽にしたり経済を活性化させるための物流整備などは行ったが、軍事の事や己自身の稽古などに時間を取られて一番面倒な事には手を付けることが出来ずじまいだった。
カニンガムが提案し、実行したのは、要するにマニュアル作りである。
製作途中の報告で俺も見たが、なかなか良く纏まっており、可能な限りの例外処理についても網羅されて相当に几帳面な性格をしているなぁという内容だった。
行政府で働く事務官は半徒弟制のようなところがあり、仕事の流れや基本的な処理については後進に教えるが、効率的な処理法やキモとも言えるコツなどについてはなかなか教えない。
例えば、収税した麦の袋の山を前にして「これはミード村から収められた税だ。今月は一四五袋あれば順調と言ってもいい」とは言うが、山になった袋の効率的な数え方(掛け算)やなぜその数字だと順調なのかの理由までは語らない。
なので、出来ない奴はいつまで経っても出来ないままだ。
そして、そういう者はいずれ切り捨てられる。
要するに馘首だな。
行きつく先は商家の下働きか自ら身を売っての奴隷かごろつきか。
これは偏に価値観の違いである。
オースの人々は変なところに職人気質を持っている者が多く「事務官とは“事務職人”である」とでも言うかのような感覚なのだ。
誤解を恐れずに言わせて貰うと、職人なので先任が後任に対してある程度の教育はするが、肝心なところは見て盗め、という感じかな?
とにかく、カニンガムはそんな世界に対して「それじゃいけない。仕事の為のマニュアルを整備して、それさえ読んで理解すれば誰もが同じように仕事が出来るようにしなければならない」と、まるで企業がISOの取得をする時のような事を宣ったのだ。
俺は前世、勤めていた会社が「ウチもISO9000シリーズを取得しよう」と食品商社のくせに気が狂ったとしか思えないような目標をブチ上げ、あまつさえ俺をISO推進委員長に任命しくさったお蔭でとんでもない量の事務仕事を押し付けられた。
そのせいもあって、マニュアル類の効用については認めつつもそれを自分が策定し、制作するのが大嫌いになってしまった。
何しろ目標を掲げてから取得までのたった二年余りで、積み重ねたら自分の身長程になるような量の書類を書いたのだ。
それも通常の仕事と並行してやらされたんだ。
……あの頃は土日休出徹夜なんか当たり前、三ヶ月に一回の釣りサークルが唯一の息抜きに近かったという、地獄のような日々を送った。
あれがISO14001みたいに環境マネジメントとか、比較するのもアホらしいほど楽に取得出来るもので済ませられたのであればどんなに楽だっただろうか。
自社ブランドの食品もあるとはいえ、本業のメーカーでもない、謂わば単なる食品商社で9000シリーズはやりすぎだよねぇ。
まぁ、お蔭で会社は大いに箔が付いて顧客から大きな信用も得られたし、ブラック企業じゃなかったから、ボーナスや昇給では法令違反になってしまうので普段つけられなかった無茶苦茶な残業代を含めてかなり多額の反映をしてもらったし、取得した時にはご褒美で特別有給も貰ったけどさ。
それでもマニュアルなんか大嫌いになってしまったのは当然だろう。
……いい経験ではあったけど。
その際に俺を補佐してくれたミヅチも同様だと思う。
おっと、また話がずれちゃったね。
とにかく、優秀だ優秀だと言われ、それを自認してもいたであろうジャバだが、赴任半年もしないうちにもっと優秀な後進が入ってしまった。
それも同じ出納部門に。
普通なら嫉妬の気持ちくらい起きても仕方のないところだ。
仕事のコツを教えないばかりか、嘘を教えたりする可能性さえあった。
だが、そこは俺が見込んだ男である。
胡散臭い俺が持ち込んだコンドームの効用を即座に見抜き、認めるべきは認めて採用したばかりか、次に繋げるために俺を飯屋に連れて行った男なのだ。
ジャバはカニンガムが提案した業務マニュアルについてもその効用を認め、できるだけ急いで策定や制作すべきだと言ってきた。
勿論、提案者であるカニンガムの功績を奪うようなセリフは一言だって吐かなかった。
むしろ、カニンガムからの報告では掴んだコツについて丁寧に教えてくれたという。
弟子の功績は己のもの、とするような人が多い職人界隈にはこういう人はあまり多くない。
まぁ、カニンガムはジャバの弟子って訳じゃないけどさ。
会社や役所など地球の組織だって部下が大手柄を上げたら、全部を自分の物にしようとするような上司は少数派だろうけど、客先に同行してやったとか普段からそうなるように指導していたとか、僅かでも関わりがあったと主張してせめて更に上の人の印象を良くしようとそのおこぼれに与かろうとする人が大多数なんじゃないかな?
「本当に……私などカニンガムの優秀さには舌を巻くばかりです」
テーブルにアペタイザーとして鹿肉の赤ワイン煮込み、生ハム、そしてオリーブの実のピクルスが運ばれて来た。
「そうか」
一口分しかない鹿肉を更に半分に切って口に入れた。
同時に一緒に煮込まれていた人参のようなタモーラという根菜も合わせる。
生前レストランで食べていた物ほどではないが、べグリッツ最高級の名に恥じない味わいだ。
この分なら今までに何回も食べて既に飽きの来ている子羊のローストも少しは新鮮な気持ちで頂けるだろうか。
「ええ」
ジャバは専用に大盛りにされた生ハムをたった一口でペロリと平らげて言った。
こいつだけは食う量が多いので予め三人前を一人分の食器に盛り付けてこいと注文してあるのだが、足りないかな?
「そんな……私などまだまだ未熟者です」
カニンガムもフォークに刺したオリーブを口に運びながら謙遜する。
「ま、よく働いてくれているようで安心した」
俺もオリーブを食べよう。
完熟する前の若く鮮烈なオリーブの香りが口中に広がる。
完熟前なので味はともかく、この香りはいいな。
赤ワインにもよく合う。
「あの、閣下、カニンガムですが、本当に半年で騎士団の方へ異動させるので?」
ジャバの口調は惜しい人物を他にやりたくないと言う意味にも取れる。
やはり自分の出世を脅かすライバル、という意識は低いのだろう。
それはそれでどうかと思うけれど。
「ああ、本人の希望でもあるしな」
生ハムの方も適度に塩気もあり、かなり良い味と舌触りだ。
惜しむらくは僅かに硬い部分があるところだが、これは機械で温湿度管理が出来ない以上、どうしてもそういう部分は出てしまうから仕方がない。
この店では出来るだけそういう部分を取り除いてくれているが限界はある。
「すみません、ハリタイドさん。でも、今週中にはマニュアルも出来ると思いますし……あら美味しい」
カニンガムは鹿肉のワイン煮に舌鼓を打ちながら言う。
そうか、今週中にな。
俺の行政府の仕事量なんて、たかが知れているからこの際全ての業務マニュアル制作を押しつ、おっと、お願いすべきだろう。
「……なら次は民生関係の方を頼む。来週からはダジーグル士爵の方に行ってくれ。それが終わったら街道整備とか領土関係の方な」
カニンガムと一緒に鹿肉を片付けた俺がそう言うと、
「え゛? あ、はい」
という変な返事があった。
因みに民生関係の部署ではべグリッツの区画整理や耕作地の割当、その管理、住民や商会からの各種陳情などの受付、裁きの日に送られる程ではない簡単な裁判、領内全域における各種統計や人別帳の管理なんかが主な業務だ。
民生関係でたったこれだけだ。
領土関係の方だって仕事量は似たようなものだし。
な? 大したことないだろう?
双方、業務内容自体は出納より幅広いが、そう難しい事はない。
うむ。やはりこのアペタイザーだと鹿肉が一番美味しいね。
そして料理は出汁が薄いいつものカム芋のスープを終え、メインである子羊の香草焼きが運ばれてきた。
焼き加減も俺好みな感じなうえ、羊肉の臭みを消す香草がなんとも食欲をそそる香りを鼻に送ってくる。
勿論、ジャバの前には俺たちの三倍量の肉の塊が鎮座している。
「こりゃあ、美味しそうですね」
ジャバの言葉に大きく頷いてナイフを入れた。
うん、こりゃあイケるね!
妊娠初期だからか、肉や魚が苦手になったミヅチは野菜ばかりしか食べられなくて可哀想だなぁ。
でもそれは仕方がないことだし、そもそも俺にはどうしようもない。
その分俺が美味しく頂いてやるさ。
・・・・・・・・・
7450年5月14日
先日の間引きにおいて、考課が下だった、と言うか、俺の目に留まる程の働きが出来なかった五〇人と、近所であるダモン村、バーリ村、クドムナ村から徴用した合計二〇〇人を率いて間引きの現場に到着した。
今日の仕事は折角モンスターがいなくなった土地なので、木を斬り倒してしまえ、というものである。
斬る、というのは誤用ではない。
まぁ、伐る、とすればいいんだけどさ。
そこはそれ、気持ちの問題だよ。
何しろご領主様である俺自身が持てる力の全てを投入してダート平原の端っこを伐採するのだ。
率いてきた者たちは伐採した木をその場から移動させる人足だ。
その方法だが、大きな火を放って燃やしてもいいが、消火やその確認が面倒だし、大量の水で地面は大いにぬかるんでしまうから却下。
そもそも俺の魔術でも生木を芯まで燃やし尽くすってのは、数十本程度なら問題ないが、今回の面積と本数を考えると流石に無理がある。
風魔法最大の攻撃魔術、超乱気流塊もしっかりとダート平原に根を張っている数mも高さがある木々を引き抜くことは出来ない。
そうなると方法は限られる。
騎士団本部の敷地を拡張したり、線路を敷く時にさんざんやった方法しかない。
そう。
一本一本、真空刃で斬り倒していくしかないのである。
なお、モンスターについてはそれなりの速さで動けるものを全滅させたのは確かだが、動きの鈍いものや、新たに外部から入って来たものは手付かずなので、ここ数日でどんな種類のモンスターがどの程度入り込んだのかを確認するという意味もある。
現在時刻は午前一〇時。
予定では昼まで伐採し、飯食って四時間寝る。
そして、一六時から日没までまた伐採するのだ。
木々の伐採は俺の限界も試す事になる。
気合いが必要だよな。
「よし、始めるぞ!」
俺は大声を上げると手近な木の幹に右手を当てた。
ISO……うっ、頭が!




