第二百二話 水化の腕輪
7450年5月1日
「……そうなんだ」
バルザス村から少し離れた森の中に作られたキャンプで、リンビーの話にネルがおかしそうに相槌を打つ。
「ええ。本当にマールって勝手なんですよ」
そう言いながらリンビーは革鎧に丁寧にオイルを塗り込んで磨き、装備の手入れに余念がない。
ネルも手持ちの矢を一本一本正面から見て、歪みや曲がりなどがないか確認していた。
「でも、男ってそんなもんよ。少しでもリンビーに良い所を見せたいんでしょ?」
「え~、そんな可愛いもんじゃないですよ、あれは」
全ての矢の確認を終えたのか、ネルは矢を矢筒に収めると立ち上がった。
「じゃあ、そろそろちょっと見てくるわ。リンビーは馬に水を飲ませて、何か食べさせてやってね」
「わかりました」
武器と防具以外、碌な荷物も持たずにネルはキャンプを離れていった。
バルザス村にいるフィオ達から手紙が来ていないか確認するためだ。
二時間ほど歩いてネルはバルザス村を見渡せる丘の上に到着した。
丁度よい木の陰に身を隠して村の様子を窺う。
耕作地では農奴達が畑仕事に精を出し、領主であるランバー士爵の館の脇にある訓練場で従士達らしき人影が槍を突き出したり剣を振ったりしていることが遠目に見えるだけだ。
いつもと特に変わったところはない。
ネルはそっと丘を下ると、川沿いに村を目指して進んだ。
誰の目にも触れないように用心しながら村の傍まで到着すると、大きな岩の窪みに身を隠した。
ここで日が落ちるまで時間を潰した後、もう少し先にある水車小屋まで行って、手紙があれば回収するのだ。
――ふう。しっかしここ、いい場所よね。寝転がれるし、日当たりもいいし。
おまけに寝る場所をちょっと移動して日当たりを捨てれば多少の雨なら凌げるという、本当に素晴らしい待機場所だ。
――これを見つけたってだけで、私なんかマールは大したもんだって思うけどねぇ。
ここで待機している者を見つけるには川の対岸から見るしかない。
そして、その対岸は雑草や蔦などが深く生い茂っているだけで道などもないため、村人などはまず足を踏み入れることはない。
――でも、麻薬……ねぇ。確かに撲滅はすべきでしょうけど……私だったらどうするかな?
ネルは主人の主人である男の顔を思い出した。
その男に対してネルは昨年来、かなりの負い目を感じている。
――私が川崎さんなら、情報収集だけして何もしなかっただろうな。
領土持ちの伯爵でもあるその男は、己の領土でもない場所で作られている麻薬に対して非常に神経質だった。
ネルとて麻薬に対する忌避感はあるが、自領でもない場所なら警戒だけして放っておいただろう。
――そこが違いなんだろうな。確かに麻薬なんて今まで聞いたこともなかったし……。
ネルと同様の提案をした者もいた。
だが、男はそういった案については全て却下したのだ。
麻薬など無かった世の中であるため、麻薬市場や中毒患者はまだ多くないこと。
従って、まだ今なら撲滅できそうなこと。
オースに生まれ変わった人達は、彼以外に誰もそういった観点から麻薬を見た者はいなかった。
――言われてみれば、その通りなのよね。麻薬の効果にばっかり目を取られて……。
麻薬を作った者を捕らえるなどして製法を聞き出して量産するにしても、その麻薬を求める者など現時点では殆どいないのだから。
彼女も含め、出てきた意見はどれもこれも麻薬の薬品としての効果を利用できないか、というものが大半だった。
侵略を含め他領の力を削ぐために使えばいいとか、医薬品として研究価値はあるだろうという意見である。
それらの意見に対しても男は冷静に一つ一つ反論して潰していった。
国家などの大きな組織が麻薬を販売、流通させる目的は一つだ。
販売して収益を得る。
究極的にはこれしかない。
侵略を含め他領の力を削ぐためなどと言っても、それは金を吸い上げるということなのだ。
結果的に麻薬を広められた土地の経済力の弱体化が狙えるだけのことで、その土地の金を吸い上げる方策の一つでしかない。
そういった方策を採るにしても、麻薬の需要が高まり市場が形成されてからの話である。
一生懸命にバラ撒けば他領や外国に市場を作り出すのは出来るだろうが、時間や費用はそれなりにかかるだろうし、その後が大変になる事は火を見るより明らかだ。
使うならその目的地の住人のうち、最低でも五%は中毒患者に仕立て上げないと国力を削ぐという目的は達せられない。本気で国力を削ぐという目的を達するには一〇%以上は狙うべきだ。
その為に作らなければならない麻薬の量を考えると、費用、手間、時間に見合うものかどうか。
何より、そんな事をすればいずれは自領に帰ってくる可能性も見過ごせないし、大量の中毒患者を生み出す事になるからその後の統治を考えれば益よりも害の方が大きい。
また、唯一の利点であるという、麻酔など痛み止めとしての使用法についても外傷やそれに起因する痛みであれば治癒魔術でカバーは可能だ。
内科的な痛みについても魔石から作られる痛み止めも元からある。
それらを考慮すれば、医薬品としての需要もそれ程高いとは言えないであろう。
却下の理由を説明されると納得せざるを得なかった。
――でも、なんでいちいちああいうこと言うんだろう?
最後に男は「今、この瞬間に金がなきゃ、そして今後も大きく稼ぐ算段も無ければ考えたかもしれない。でも金はあるし、今後も稼げるつもりでもいるからな。麻薬に頼る必要はない」と言ったことを思い出す。
わざわざ言う必要もない言葉であるし、言ったら言ったであまり印象が良くない部分もある。
どう考えてもそれが理解出来ない、思い至らないような頭の持ち主とも思えない。
――照れ隠しなのかも……。そう言えば、親衛隊に日本人が居たって事、直接はまだ言ってなかったな。次の連絡の時に伝えて貰おう。呼び出されちゃうかなぁ? でもそれもしょうがないよね……。
ネルはゆっくりと目を瞑り、夜の到来を待った。
・・・・・・・・・
7450年5月3日
バルザス村へ進駐させる部隊を待っているとトリスから連絡が来た。
トリスを含め、皆には先日の宴会の際に麻薬組織壊滅について「デーバスの間者組織を捜査・壊滅する」という形で、軍の越境について国王の許可を得て組織の壊滅を計ると話していた。
トリスからの報告は、その「デーバスの間者組織」である証拠を捏造するための「証拠品」についてある程度の目処が立ったという内容だ。
「証拠品」には今年の頭に占領したタンクール、キンケード、デナンの三つの村に遺されている品物も必要だ。
今の所、それらの村々には少数の防衛部隊だけを置いて守りに徹しており、死体の片付けくらいは行っている。
元々、死者の少ないキンケード村とデナン村はともかくとして、タンクール村の方は宴会の直前に「遅くとも五月中には全ての死体を埋め終わるだろう」との報告が来ている。
尤も、デーバス軍が持っていた命令書や高価な武具などはドラゴンを倒した直後にタンクール村に残したトリスによって粗方回収されている。
従って、目ぼしい物が残されている訳ではないが、デーバスでしか作られていないような生地やデザインを使った衣服などは持って帰っていない。
今回の報告は以前回収した命令書などから証拠として使えそうなものの選別が終わったという事と、衣類などその他の証拠品を入手するためにもう一度タンクール村まで出かける出発の準備が整ったというものだ。
埋められた死体を掘り返し、使えそうなものを選別するにはそれなりの人手が必要になる。
そのため、トリスはジェルやミース、ビルサインなどの信用のおける従士や奴隷たちを伴って占領地へと出向くのだ。
トリスの「用意は整ったのですぐにでも出発できる」という報告書を携えてきた彼の従士に労いの言葉を掛け、ドレスラー伯爵領の代官であるヘムリン伯爵への親書を持たせて送り出した。
トリスも従士たちもそれぞれ畑を持ち、麦を育てている。
麦の生育は人の都合に関係がない。
行けと言われてもすぐには行けないことは分かっていたので、ここまで出発に時間が掛かった事について怒りの感情はない。
むしろ、忙しいときに面倒なことを頼んですまんなぁ、という気持ちの方が強い。
なお、この日の午後には領地に駐屯していた王国軍から抽出された騎士や兵士たちがべグリッツに到着し始めていた。
俺の騎士団員と合わせ、一度は合同訓練をしておかねばならないだろう。
・・・・・・・・・
7450年5月6日
証拠品を入手するために出発したトリスたちを見送ったベルは屋敷に戻りながらゆっくりと頭の中を整理し始めた。
――この前ネルから聞いた情報だと……王族の親衛隊……日本地図……連絡……うーん……。
そして、その日の晩、夕食が終わった頃に旧“暁”の幹部を集めた。
「さて、このガルへ村に入植して一年。確実にわかったのは一人だけでいいのね?」
冷たい目で勢揃いした四人の元幹部を見てベルが尋ねた。
「へい。間者はダマルーン一人だけだと思いやす」
凶相持ちの二つ名を持つジンガルが皆を代表して答える。
ダマルーンは四〇を超えた農奴で、九年前にガルへ村がロンベルトに占領される前から夫婦で村に住んでいた女だ。
トリスと共にベルが入植した直後、彼らが旧“暁”に指示したのはデーバスの間者がいないか確認させることだった。
一年間に亘る調査の結果、村に来た隊商などを含め、外部の者との不自然な接触や夜の闇に紛れて村から出る姿が確認されたのは彼女一人だったのである。
なお、ダマルーンという女は、ある理由で最初から重点的に確認をしろと指示していた。
当然そのダマルーンについてはアルに報告済みであり、間者であるという確証を得ても当面は放っておいて構わないという指示も得ている。
「あの人は確かザリーシュさんの奴隷だったわね……」
ダマルーンという女の顔を脳裏に浮かべながら、ベルは形の良い頤に指を当てる。
確実に独り言だと判るため、四人は誰も答えない。
「……どうしたら……」
暫く沈黙が続いた後でベルの口から言葉が漏れた。
「あたいが消しましょうか? 証拠を残さず、家族にすら気付かれないように……」
串刺しの二つ名を持つゾーイが身を乗り出すように言う。
「なんでそう思うのよ? 殺す必要はないわ」
前半を口の中だけで、後半をきちんとした音声で発しながらベルが答えた。
殺す必要はないというセリフだが、その口調は四人の耳には酷く酷薄な印象を伴って届いた。
では、まだ暫く泳がすのだろうか?
四人はそう思って続くであろうベルの言葉を待っている。
「ん~、出来るだけ早くそのダマルーンと二人だけで話したいわ。どうしたらいいと思う?」
にこりと笑ってベルが尋ねた。
「と、仰いますと、持ち主のザリーシュ様や旦那のジャスラーにも知られない方が良いと……?」
邪爪の二つ名を持つキャロルが尋ねた。
「ええ、そうね。でも用は一〇分もかからないわ」
「では、明日の農作業中が宜しいかと。姐さんが見回り始めたらそれとなくダマルーンが一人になるように周囲の者に声を掛けますので」
「そう。わかったわ」
そう言ってベルは笑みを深める。
その表情は、年相応の美しい女性が嬉しそうに笑う顔そのままである。
「あの……聞いても宜しいですか?」
千本指の二つ名を持つガムランが尋ねた。
「なに?」
「間者を殺さない理由です。流石にこれだけ時間を掛けて丁寧に調べましたから、ダマルーン以外に間者はおりません。始末しても用心する奴はいないかと……」
「もう暫くはまだ使い道があるからね」
そう答えるベルの笑みは一見して先ほどとはあまり変わらないものだったが四人は冷たいものが背筋に走ったような気持ちになった。
・・・・・・・・・
7450年5月7日
ベルはいつもと同じように従士たちの戦闘訓練を行ったあと、昼過ぎから村の耕作地の見回りに出た。
「調子はどう?」
「あ、奥様。お陰様で順調です」
農作業をしている農奴たちに気さくに声を掛けながら畑を見回っている。
「奥様、今日採った小松菜です。今晩にでもお味見してみて下さいまし」
「ありがとう。あとで屋敷の方に届けておいてね」
「わかりました」
カロスタラン家だけでなく、他の従士家の畑にも足を運ぶ。
「長期の訓練でジェルを借りて悪いわね」
「いえ、ご不在中の事についてはランスーン様に伺っておりますので……」
「あら、ジェルったら、もうミースに頼りきりなのね」
「どちらかというとランスーン様の方が世話を焼きたがっているように見えますよ」
「それはそうね」
そして、遂に目的の畑まで来た。
接近するタイミングを調整していたので丁度ダマルーンが畑の外周近くにいるところに通りかかった感じだ。
勿論、ダマルーンの傍には誰もいない。
「えーっと、ダマルーンだったわよね?」
「ええ、奥様。今日は良い天気ですね」
ダマルーンは人の良い笑顔を浮かべ、首にかけていた手拭いで額の汗を拭った。
右手に嵌められている腕輪が太陽の光を鈍く反射する。
「それ、まだ使えるのよね?」
変わったレリーフのある真鍮製の腕輪を指さしてベルは尋ねた。
農作業中でも身につけられていた腕輪は汚れや小さな傷も目立つ。
が、腕輪には立った人、地面に寝た人とその隣の腕輪、水の溢れた水瓶のレリーフが並んでいるのははっきりと判る。
「使えるとはどういう事でしょうか? この通り、大したものではございませんが腕輪としては……」
顔色一つ変えずにダマルーンは答えた。
「あら。優秀ね……その腕輪も使ったことがあるのかな?」
ベルは笑みを浮かべながら言った。
「でもそれが何だか知っているから。以前にしっかりと魔力も確認しているしね……隠さなくてもいいわ」
ダマルーンの顔色が変わった。
ここまで言われてしまったら流石に誤魔化せないと思ったのだろう。
「別に貴女をどうこうしようだなんて思っていないから安心してくれないかな?」
ベルはにっこりと微笑んで言う。
「……」
ダマルーンは答えずに黙ったまま素早く周囲に視線を送るが、一番近くにいる彼女の旦那も五〇m以上先で誰かと話しているのが確認出来ただけだし、息子夫婦はそれ以上遠くで農作業に精を出している。
「そんな顔しないで領主の奥様に愛想を振りまきなさいな。もし誰かに見られていたら変に思われるでしょ?」
なんの気のない口調に笑みさえ浮かべているが、その目が笑っていないことに気付いてダマルーンは恐怖を感じた。
同時に彼女と結婚しているという領主は異種族であることも思い出す。
「同じ立場なんだし、そう怖がらないでよ」
腕輪に視線を送りながらベルは言った。
勿論、同じデーバス王国出身という意味だが、意図的に単語を減らしている。
「楽しそうに声を上げて笑いなさい」
笑みを深めて命じるベル。
「ははっ……」
抗えないと悟ったのか、抗う必要などないと納得したのか、ダマルーンは笑い声を漏らす。
「まだ硬いわね。もっと大きな声で、いつものようにしなさい」
「は、あははっ、嫌ですよぅ、奥様!」
硬い笑みをうかべつつも、その声音だけは楽しそうにダマルーンは笑った。
「ん。それでいいわ。適当に続けて」
「ウチのなんかもうすっかり役立たずですから!」
「緊急の連絡は出来る? 文書を送りたいんだけど」
ベルは楽しそうに顔の前で手を振りながらも小声で言う。
「まぁ!そんな。お若くて羨ましいです!」
慣れてきたのか、ダマルーンの表情も崩れてきた。
そして早口に「一応ありますが、こちらからだけで、いつ回収されるかまでは……」と小声で答えた。
「そ。じゃあ今晩頼むわ。日が落ちた後ならいつでもいいから来て」
自室に籠もったベルは何やら難しい顔で机に向かい、夕食前まで忙しくペンを動かしていた。




