第二百一話 一時後退
7450年4月のある日
デーバス王国の王都ランドグリーズにあるダーリンス宮殿では今日も会議が紛糾していた。
「ですから、何度も申し上げている通り、ドラゴンに手出しなどすべきではなかったのです!」
大蔵大臣の要職にあるジュール・ダンテス公爵は声のボリュームを上げる。
彼はこれまで何度も同じようなことを主張していたのだが、会議の出席者は黙って聞いているだけで賛同者は殆どいなかった。
答えなど、いや、彼が望む結果など既に分かりきっているからだ。
なお当然ながら、出兵それ自体について彼に対して責を問うような者はいない。
「……ダンテス公よ。それについては結論は出ている。あの時点ではドラゴンの恐ろしさについて、誰も正確なところは掴んでいなかったし、周辺地域への被害も懸念されていた。第一、そなたも最終的に出兵には賛成していたではないか?」
国王であるアゲノル・ベルグリッド公爵が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
どう考えても時間を浪費するような会議なのだが、国を治める三公爵家の当主は全員御前会議の招集権があるため、国王と言えどもサボタージュは出来ない。
嫌々でも出席せざるを得ないのだ。
会議の議題は当然として、ダンテス公爵が望む内容について国王は良く理解している。
しかし、国王としてはそれを容れる訳には行かない。
まして、先月からこちら、出兵それ自体の責任は問うが己に責はない、と言うような主張を続けるダンテス公爵への態度には少しばかり腹も立てていた。
「陛下の仰る通りですよ、ダンテス閣下。私も今回の件についての報告書は各方面からのものも含めて幾通も、何度も目を通しました。勿論緊急御前会議の議事録もです。ロンベルト側も大きな被害を受けていたことも判明しております。そこから判断するに、あの時点で出兵する、しかも可能な限りの戦力を整えて、という結論は至極尤も、とまでは申し上げられないでしょうが……次善、くらいには言っても良いかと思います」
外務大臣であるロルモート・ストールズ公爵も苦い声で言う。
三公爵家でも上席の二人がこれだけの感情を見せたことは今までない。
正直なところ、ストールズ公爵もダンテス公爵の言いたい事について理解している。
だが、それを認めるつもりは露程もないだけだ。
――ダンテス公も迂遠なことよな……。
その様子を眺めていた宰相であるランナル・ベルグリッド侯爵は誰にも気付かれないように小さな溜め息を吐いた。
二ヶ月ほど前に敗軍の将であるアクサル・ダンテス伯爵の査問会が開かれ、そこでは将軍は大きな罪には問われなかった。
しかし、壊滅的な被害を受けた黒狼騎士団は一時的に解隊を余儀なくされ、団長であり将軍であったダンテス伯爵も生き残りの元黒狼騎士団と共に青虎騎士団の一介の隊長として千人長である将軍から五百人長へ降格されている。
今回のドラゴン討伐の失敗について、その責を問われたのはダンテス将軍ただ一人であり、最初に出兵を主張し、出兵計画や補給計画を整え、それを援護した第一王子については何一つ責任を問われることはなかった。
ダンテス公爵としても、従兄弟であるアクサル・ダンテス伯爵の降格処分は仕方がないと思っている。査問会が開かれた際には彼の死罪を主張したくらいだ。
当然、身内であるダンテス伯爵が罪を被る事についても只で被らせるつもりはなかった。
狙いとしては、アレキサンダー王子にも相応の責任を被せ、せめて当分の間は閣僚の席から追い払いたかった。
簡単に言うと、強硬に出兵を主張したアレキサンダー王子が無傷で済んでいるのが気に食わないのだ。
無論、そのアレキサンダー王子は将来的に王位を継ぐことが内定しているばかりか、ダンテス公爵の娘との結婚が決まっている。
だが、王子に弟はいない。
妹は今年一六になるライシーヤを筆頭に五人ほどいるが。
そして、そのライシーヤ王女はあと数年でダンテス公爵の長男との結婚が内定している。
ダンテス公爵としては可能な限り王子の経歴に傷を付け、最終的には廃嫡させるように仕向けたいのである。
その結果、ライシーヤ王女が即位すればその王配は彼の息子になる。
デーバス王国はロンベルト王国とは異なり、どちらかと言うと男尊女卑の文化が強い。
過去に女王が立たなかった訳ではないし、女性が貴族家の当主になれない訳でもないが、飛び抜けて優秀な資質が必要になる。
その結果、王配は王配でも男性か女性かでは王に対する発言力は段違いで男性の方が強くなるのだ。
それだけではない。
場合によっては王女を王配として彼の息子がベルグリッド家の養子となって即位する可能性も低くはないのだ。
――狙いは見え見えだが……。
序列的にはストールズ家の嫡男であるセンレイドの方が彼の息子よりも上位にはなるのだが、センレイドはもういい年なのに何故かアレキサンダー王子の妹も含めた全ての縁談を断り、異人種である精人族の愛人に熱を上げている。
それどころか、かなり以前からアレキサンダー王子と行動を共にする事が多く、仲も良い。
その上、王族親衛隊という小さな軍まで組織して積極的にアレキサンダー王子の下にいる事を望んでいるようにしか見えなかったので、最初から眼中には無かった。
それ以前に、ストールズ家の係累は現閣僚中に六人もいるので少しは勢力を減じるべきなのは誰の目から見ても明らかな事も大きい。
昔から、閣僚には副大臣も入れてベルグリッド家が八、ストールズ家が五、ダンテス家が五、その他五という体制が理想的であるとされていた。
それに対して現在はベルグリッド家が九、ストールズ家が六、ダンテス家が三、その他五であり、かなりダンテス家が凹み、その分ベルグリッド家とストールズ家の勢力が伸びている。
――確かに先代のダンテス公爵が不慮の死を迎えて以降、最近は宮廷内でダンテス家の勢いが減じている。バランスが悪くなった。娘を王子に嫁がせるのも陛下がそれをお認めになられたのもそれをご憂慮なされての事……。
要するに、誰かにアレクの罪を問うて欲しいのだが、万が一を考えて自分では直接的な糾弾をしたくはないという事である。
茶番だが、世の中には誰かにとって大切な茶番というものは確かに存在するのである。
それが解っているだけに、誰もアレキサンダー王子を、現時点で将来の国王として最有力候補である者を糾弾するような真似をして、将来的に嫌われるという貧乏籤を引きたくないだけだ。
――ここは私が泥を被……いや。
ランナル・ベルグリッド侯爵は弟である軍部大臣のトルシャー・ベルグリッド侯爵へ目配せをした。
――軍を司り、アレクの上司でもあるそなたが何とかしろ。
しかし、トルシャー・ベルグリッド侯爵はじっと正面を見つめて黙るだけで視線を合わそうもしない。
仕方がないので国王である兄の方へ視線を移動させた。
――陛下。陛下もお解りの通り、アレクの責任を問うた上で無傷で済むのは陛下だけです。
その視線に気付いた国王は更に苦い顔をした。
国王も弟達の考えには気が付いている。
気が付いてはいるし、ある程度納得もできるのだが、国王としては何が悲しくて無罪放免になっている息子にわざわざ傷を付けねばならないのかと思っているだけだ。
加えて、一度決定した内容について、それをひっくり返すような真似は出来ない。
まして、今回の出兵において何の関わりもない、三公爵家第二位のロルモート・ストールズ公爵の目の前で言える事ではない。
彼の息子のセンレイドもそういう意味ではアレキサンダー王子と同罪とも言えるのだから。
――しかし、この会議ももうこれで三回目だ。失った戦力の立て直しや遺族への一時金など問題は山積みなのに……時間の無駄以外の何物でもない。どうしたものか……。
ランナル・ベルグリッド侯爵は力のない目で末席に座る甥であるアレキサンダー王子を見やった。
王子は無表情を貫き、無関心であるかのようですらあった。
沈黙が流れた後、手を上げて発言を求めた者が出た。
宮内大臣を務め、金杯の称号を持つ筆頭宮廷魔術師のロボトニー伯爵である。
彼はダンテス公爵家に連なる者だ。
「ロボトニー伯爵。何か?」
議長を務めるランナルは慌てて発言を許可をした。
「此度の出兵、確かにダンテス閣下の仰る通り出兵を提案した者は些か軽率であったやも知れません……」
伯爵の発言を耳にしたダンテス公爵がほくそ笑む。
ランナルはその顔を見て不愉快になった。
「……ですが、既に陛下はご判断を下されました」
伯爵が連なる家系を考慮すれば些か意外な発言に多くの者が僅かに表情を変える。
勿論、ランナルもその一人である。
「ここは当人のご意見をお伺いしては如何ですかな?」
伯爵はそう言ってアレキサンダー王子に視線を向けた。
王子は無表情を保ったまま伯爵を見返し、次いで議長であるランナルに視線を移して発言を求めたので、ランナルは許可を出した。
「まず、もう一度、諸閣下方にご確認頂きたいのは議事録です。一月二八日に行われた緊急御前会議において、最終的に反対ゼロでドラゴン退治の出兵は可決されました。勿論、ご出席の方々にはご存知の事ですが、当初、ドラゴンの討伐軍は私自らが率いて行く、と主張いたしました。ですが、ダンテス公爵閣下が実績のあるダンテス将軍……いえ、ダンテス伯爵閣下をご推薦なされたのです」
静かな声で話し始めたアレキサンダー王子の言葉に全員が耳を傾ける。
「私としては、指揮を任されなかった事については残念に感じましたが、ダンテス伯爵の実績を考えると彼に指揮を任せるのは道理であると思い直しましたので、討伐軍の編成や補給に回ることでお力添えをした方が役に立てると考えました」
ここまでは今までにも何度も王子が主張してきた内容なので、聞いていた全員が次の言葉も同じようなものだろうと思った。
この後には自己や腹心を弁護する言葉が続くのだろう。
「ドラゴンの力を見誤ったことについては慚愧の念に堪えませんが、確かに私は今暫く様子を見た方が良いと言う意見には耳を貸しませんでした。先を見通せなかった先見の明のなさを恥じるばかりです」
予想とは異なる言葉にランナルは目を剥く。
「実戦部隊の指揮を執られたダンテス伯爵は将軍の地位を退かれる事で責任をお取りになりました。私も軍部省の副大臣の職を返上し、一介の騎士団員としてやり直したく存じます。後任には現在軍部省の次官にありますヴァゾール伯爵を推薦いたします。この程度では此度の戦死者遺族の慰めには不足でしょうが、彼らの死を無駄にしないためにも私は再度己を鍛え直したいと存じます」
それを聞いて閣僚達は思わず顔を見合わせた。
王族であり、次期国王の最有力者が自らの地位を返上するなど前代未聞であるからだ。
勿論、ダンテス公爵はしてやったりである。
後任に推薦されたヴァゾール伯爵はダンテス家の係累である事も大きい。
「……ふむ。そちがそう申すのであれば良かろう。そなたの軍部副大臣の任を解く」
少し考えた様子の後、国王は息子から地位を剥奪した。
「……アレク。そなた白凰騎士団の百人長であったな?」
「は。副大臣から退くに当たり、そちらの階級も返上したいと存じます」
予想を超えた言葉に閣僚達はダンテス公爵も含めて全員が言葉を失った。
「……それで、どうするというのだ?」
「青虎騎士団に移られましたダンテス伯爵の下へご配属願います。私も伯爵と共に東部戦線へ赴き、戦線押し上げの一助を担いたいと存じます」
「……うーむ……分かった。では、そなたを青虎騎士団の百人長に任ずる。現在の部下達も連れて行くが良い」
「は。ありがたき幸せ。東部戦線はお任せあれ」
「……三年だ」
「は?」
「三年以内にドラゴン退治に勝る大きな手柄を上げるか、戦線をカリードまで押し戻せ。さすれば此の度失った地位以上の昇進は勿論、不名誉も濯げよう」
国王としては、ライシーヤ王女の結婚をギリギリまで伸ばす腹積もりだった。
閣僚ではなくなったアレキサンダー王子が会議室を退出した。
その背中を、眉一つ動かすことなく落ち着いた様子で王族の親衛隊長が見送っていた。
ランナルも含め、国王を除く閣僚は意外そうな面持ちでその様子を眺めている。
――セルを連れて行かないだと? まぁ王族の地位を追われた訳でなし、親衛隊からは何人か伴うのだろうが……それにしてもたった三年で戦線を五〇㎞も押し戻すなど陛下も無理難題を仰るものだ。あれでは……ま、まさか、陛下は王子を切り捨てると言うのか!?
王子に命じられた課題はそう考えざるを得ない程に難しいものであった。
ダンテス公爵など嬉しさを隠せないほど顔筋がヒクついている。
……しかし、今回の進退についてはドラゴン退治の失敗以降、国王と王子の間で相談されていたシナリオの一つであったのである。
「あー、議長。折角なので皆が揃っているうちに一つ報告させて頂きたい」
軍部省において片腕とも言える王子を無くしたばかりの軍部大臣が発言を求めてきた。
ランナルは発言を許可する。
「昨年からこちら、ストールズ閣下のご協力も得て行っていた調査について一応の結果が出ました……」
内容はロンベルト王国で新たに上級貴族に叙された男についてである。
冒険者出身でまだ若いが、バルドゥックの迷宮においてワイヴァーンを倒し、その鱗から作られた鎧をロンベルト王家に献上したこと。
また、未確認ながらその後には迷宮に巣食っていたドラゴンをも退治しているらしいこと。
そして、ロンベルト王国の南方軍の司令官となり、ダート平原近辺の軍権を掌握したらしいこと。
併せて出身地はジンダル半島であり、ゴム製品や食品を中心とした商会も経営し、商売は順調らしいことなどが次々と報告される。
「うむ。其奴だが、嘗て儂の手の者を殺したという情報もある。お蔭でジンダル半島の情報が全く入らなくなった。忌々しく思っていたが、それだけ優秀だったという表現もできる」
国王が壁に貼られていた地図に視線を送りながら言ったため、全員が地図を見た。
「陛下の手の者、と仰いますと、赤ですか……」
国王は外務省や軍部省以外にも独自の諜報組織を持っており、その組織は通称を「赤」と称していることが知られている。
その組織の手は、近隣諸国だけでなく、国内にも張り巡らされている事は閣僚であれば全員が知っていた。
誰しもが知られたくない秘密を持っているものである。
それを握っているからこそ、三公爵家でもベルグリッド家が最大の権勢を持っているのだ。
と、思われていた。
「うむ。まぁ、ジンダル半島はまだまだ未開らしいからあまり重要ではないのだが、忌々しいことは忌々しい」
「確かに。しかし、それだけ力のある者がダート平原周辺を……」
「ああ。どうにかしてこちらに付けたいものよな。せめて、あちらの王家との繋がりを絶ち、隔意くらいは持って欲しいものだが……誰ぞいい案はないものか?」
「冒険者から身を立てた事自体はそう珍しくはありませんが、上級貴族に叙して貰ったという恩もあるでしょうから、そうやすやすとは……」
「ですな……。隔意を抱かせるなど、余程のことでもないと難しいかと……」
「確かに。南方軍を纏めているという事は例のドラゴンも彼の者の配下の部隊が退治したのでしょうし……こちらの被害から考えて、恐らくは大きな犠牲を払ったのではあるのでしょうが」
「……軽々しく退治の軍など出さねばドラゴンに弱体化されたであろうダート平原の北方も切り取れたのでしょうが……逆にこちらの村を幾つも落とされる始末……」
「ダンテス公爵も過ぎたことを蒸し返さなくても」
「そうですぞ。陛下の決は下されたのですし……」
閣僚達は暗かった議題が一応の解決を見たからか、活発に意見を交換し始めた。
・・・・・・・・・
『レーン。君にはすまないがプランBだ』
アレクは親衛隊の詰め所に姿を現すと同時に言った。
その言葉を聞いた者達に緊張が走る。
『……CやDじゃないだけマシよ。出発はいつ頃になるの?』
覚悟を決めた様子でレーンが尋ねた。
『引っ張れても二週間後だろうな。それぞれ準備は出来ているか?』
全員から口々に返事が上がる。
『ああ、火薬も弾もたっぷりある』
『銃も付いて行く皆の分の他に三〇丁近くの予備も出来てるし』
『数日も練習させれば誰だって弾幕くらい張れるようになるさ』
アレクの口の端がゆっくりと上っていった。
『三年もいらんよな……』
「静寂」オルタレーション
(風魔法Lv7、無魔法Lv7、消費MP14)
効果範囲内に於いて発生した音のみを伝わらなくする。基本範囲は術者のレベルの三分の一mを半径とする球体。効果時間は1分間。対象は術者が指定する空間となるため、効果の移動は不可。また、効果範囲内に居る者は効果範囲内外で発生したいかなる音を聞くことが出来なくなる。効果範囲外に居る者は効果範囲内で発生したいかなる音を聞くことが出来ない。
この魔術のバリエーションとして、フォロー・サイレンスがある。こちらは空間ではなく、生物や物体をも対象とすることが可能であるため、対象が移動すれば効果範囲も一緒に移動する。




